今日、O君が「インドカレーしか食べないの?」と言っていた。うん。確かに、昼飯食えば、インドカレーばかりで、そう思うのも当然だね。全くO君ならではのナイス!な疑問とつっこみだね。
ここんところなぜ、インドカレーばかり食べてきたか、考えると理由がある。話すとちょと長いんだけど、いい?
10年、母の世話(いわゆる介護)をして、5年は仕事をやりながら、後の5年は仕事を辞して、世話だけに集中したんだ。その方が、お袋にとっても、自分にとってもいいと判断したから。仕事とケアに夢中だったということもあるけど、その10年は、時が過ぎるのもまた速かったな。過ぎて行った時は、「10年は一昔」「光陰矢の如し」というよりも、「色即是空、空即是色」だ。とにかく、仕事とお袋のケアのことだけ考えて、過ごしたんだ。後半は「お袋、頑張れよ~。俺がついてるから。」でケアのことだけ考えて暮らした。話をしない親子ではなかったけど、息子なんて、親が元気でいれば、外で仕事したり、遊んだりして、飯を食いに家に帰るようなもんだと思うから。お袋が階段を踏み外して、足を折った時は、自分が折ったように痛かったし、びっくりしたよ。その時も俺は、「お袋、もうちょっと待っててくれ。すぐ行くから。」と思い、仕事を終えてから駆け付けたんだ。「なんかまぶしくて、目がよく見えない。」と言っていたのに、俺は仕事が忙しいことにかまけて(お袋の初期の緑内障はすぐに眼科に連れて行くべきだったのに。そういう知識が自分にはなかった。)、「じゃあ。眼鏡変えてみたらいいんじゃない。少し色つけたりして。」くらいに考えていたんだから。その時だよ。あぁ、お袋も歳をとるんだなと思ったのは。昭和一桁のお袋は、強いし、頑張り屋なので、入院をして、リハビリを終え、また歩けるまでに回復したんだ。それから、10年間、お袋は、自分自身の気持ちでも、また俺のケアの甲斐もあって、頑張ってくれたんだと思う。
話をインドカレーに戻すと、その十年間、俺はご飯をお袋と自分のために作り続けたわけだけど、お袋はどんな風に作ってたかなぁが基本で、自分で工夫して、ほとんどの家庭料理は作れるようになったね。誰だって10年やれば、そうなるよ。それに自分が食べたいものは、自分で作るしかないと思ったのと、お袋にいろいろ食べさせて栄養つけてもらいたいと思ったから(飯の恩返しだよ。いくら作っても返し足りないけど。だから、その頃は既にお袋はもうミキサー食になっていたけど(それも誰にもできるよ。食べる方も味がわかって美味しく食べられるよ)、朝のお茶とジュースがとろみをつけてあっても、どうしても、作ったもんがお袋の喉を通らなくなった時は、悲しかったな。お袋に悟られずにひと泣きしたよ。そして担当医に電話したんだ。「先生。お袋はもうどうやっても食べられません。お願いします。」そして、点滴がお袋の身体に入るようになってから、お前のご飯じゃなきゃ、もういいとでもいうようにお袋は、すぐ、亡くなったんだ。或いはお袋は、食べて食べて、命を生ききったんだと思う。俺のお袋と親父の世代は、戦後の日本と高度成長を担った世代だよ。だから、働いて働いて働きっぱなしだった。)。だから、O君。君らのおじいちゃんとおばあちゃんのことは、よろしく頼むよ。あんまり寂しい思いはさせないでくれよ。もし、今、おじいちゃんやおばあちゃんの世話をしている人がいたら(それぞれの家の事情があると思うんだけど)、おじいちゃんやおばあちゃんは本当は、自分が家族と暮らしてきた家にいたいんだからね。それから、今までのと量だけほんの少し考えて、自分と同じもの(魚肉は皮と脂身は避けて)を食べさせていいんだからね。
それで、自分の好物で自分で作れず(カレーライスは作ったけど、インドカレーは作らず)、ほとんど食べられなかったのが、インドカレーということなんだよ(勿論、お袋が体力があるときは、車いすになってからでも、一緒によく出かけたし、どうしても食べたいもんがあった時は外食もしたよ)。だから、10年間、あまり、食べられなかったインドカレーを今、俺は食べているというわけ。ここまで食べると、もう満足したかもしれない。ラーメンとか、蕎麦とか、うどん・・・・は自分でも簡単に作れるし、食べてきたから。それともう一つ理由がある。俺はカメラと旅が好きだったから、インド料理屋や台湾料理屋に入って、店員だけで話しているとき、異国にいるような気分になって、自分の旅心や旅情を満足させていたんだと思うんだ。
それで、O君!
今日のリトル・インデアはコヤラズ。一番近い小島にあった店が、17号沿いに移転したんだよ。
ここのナンは、肉厚なのが特徴だよ。そしてもっちり。カレーは豆とほうれん草のカレーでヘルシー!だ。しかも、たっぷり盛り付けてあるだろ?!ホットチャイも勿論、おいしい。一服も最高!コヤラズというと変な店の名前だなと思うかもしれないけれど、これはねぇ、日本でいうと「バーベキュー」くらいの意味でとってくれる。タンドリー・チキンもバーベキューの炭の香りだするだろう。
(^^)/R. ダンニャバート! ありがとう!
ここんところなぜ、インドカレーばかり食べてきたか、考えると理由がある。話すとちょと長いんだけど、いい?
10年、母の世話(いわゆる介護)をして、5年は仕事をやりながら、後の5年は仕事を辞して、世話だけに集中したんだ。その方が、お袋にとっても、自分にとってもいいと判断したから。仕事とケアに夢中だったということもあるけど、その10年は、時が過ぎるのもまた速かったな。過ぎて行った時は、「10年は一昔」「光陰矢の如し」というよりも、「色即是空、空即是色」だ。とにかく、仕事とお袋のケアのことだけ考えて、過ごしたんだ。後半は「お袋、頑張れよ~。俺がついてるから。」でケアのことだけ考えて暮らした。話をしない親子ではなかったけど、息子なんて、親が元気でいれば、外で仕事したり、遊んだりして、飯を食いに家に帰るようなもんだと思うから。お袋が階段を踏み外して、足を折った時は、自分が折ったように痛かったし、びっくりしたよ。その時も俺は、「お袋、もうちょっと待っててくれ。すぐ行くから。」と思い、仕事を終えてから駆け付けたんだ。「なんかまぶしくて、目がよく見えない。」と言っていたのに、俺は仕事が忙しいことにかまけて(お袋の初期の緑内障はすぐに眼科に連れて行くべきだったのに。そういう知識が自分にはなかった。)、「じゃあ。眼鏡変えてみたらいいんじゃない。少し色つけたりして。」くらいに考えていたんだから。その時だよ。あぁ、お袋も歳をとるんだなと思ったのは。昭和一桁のお袋は、強いし、頑張り屋なので、入院をして、リハビリを終え、また歩けるまでに回復したんだ。それから、10年間、お袋は、自分自身の気持ちでも、また俺のケアの甲斐もあって、頑張ってくれたんだと思う。
話をインドカレーに戻すと、その十年間、俺はご飯をお袋と自分のために作り続けたわけだけど、お袋はどんな風に作ってたかなぁが基本で、自分で工夫して、ほとんどの家庭料理は作れるようになったね。誰だって10年やれば、そうなるよ。それに自分が食べたいものは、自分で作るしかないと思ったのと、お袋にいろいろ食べさせて栄養つけてもらいたいと思ったから(飯の恩返しだよ。いくら作っても返し足りないけど。だから、その頃は既にお袋はもうミキサー食になっていたけど(それも誰にもできるよ。食べる方も味がわかって美味しく食べられるよ)、朝のお茶とジュースがとろみをつけてあっても、どうしても、作ったもんがお袋の喉を通らなくなった時は、悲しかったな。お袋に悟られずにひと泣きしたよ。そして担当医に電話したんだ。「先生。お袋はもうどうやっても食べられません。お願いします。」そして、点滴がお袋の身体に入るようになってから、お前のご飯じゃなきゃ、もういいとでもいうようにお袋は、すぐ、亡くなったんだ。或いはお袋は、食べて食べて、命を生ききったんだと思う。俺のお袋と親父の世代は、戦後の日本と高度成長を担った世代だよ。だから、働いて働いて働きっぱなしだった。)。だから、O君。君らのおじいちゃんとおばあちゃんのことは、よろしく頼むよ。あんまり寂しい思いはさせないでくれよ。もし、今、おじいちゃんやおばあちゃんの世話をしている人がいたら(それぞれの家の事情があると思うんだけど)、おじいちゃんやおばあちゃんは本当は、自分が家族と暮らしてきた家にいたいんだからね。それから、今までのと量だけほんの少し考えて、自分と同じもの(魚肉は皮と脂身は避けて)を食べさせていいんだからね。
それで、自分の好物で自分で作れず(カレーライスは作ったけど、インドカレーは作らず)、ほとんど食べられなかったのが、インドカレーということなんだよ(勿論、お袋が体力があるときは、車いすになってからでも、一緒によく出かけたし、どうしても食べたいもんがあった時は外食もしたよ)。だから、10年間、あまり、食べられなかったインドカレーを今、俺は食べているというわけ。ここまで食べると、もう満足したかもしれない。ラーメンとか、蕎麦とか、うどん・・・・は自分でも簡単に作れるし、食べてきたから。それともう一つ理由がある。俺はカメラと旅が好きだったから、インド料理屋や台湾料理屋に入って、店員だけで話しているとき、異国にいるような気分になって、自分の旅心や旅情を満足させていたんだと思うんだ。
それで、O君!
今日のリトル・インデアはコヤラズ。一番近い小島にあった店が、17号沿いに移転したんだよ。
ここのナンは、肉厚なのが特徴だよ。そしてもっちり。カレーは豆とほうれん草のカレーでヘルシー!だ。しかも、たっぷり盛り付けてあるだろ?!ホットチャイも勿論、おいしい。一服も最高!コヤラズというと変な店の名前だなと思うかもしれないけれど、これはねぇ、日本でいうと「バーベキュー」くらいの意味でとってくれる。タンドリー・チキンもバーベキューの炭の香りだするだろう。
(^^)/R. ダンニャバート! ありがとう!
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