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6月, 2019の投稿を表示しています

水無月庭花九花

    Mに捧ぐ   (^^)/R. Thank You !

OUT BACK ! ―弘前編Ⅱ―

  先の弘前編には、続編がある。実は、晩春に花追いをして、そのことを梅雨の今書いている。思えばあの時、福島で桜に会ってから、北上する桜前線、桜花を追うことに憑かれていた。或いは、そのことを目的として、ただ走りたかったのかもしれない。片道 643km の距離を。先の弘前編で長い高速をひたすら走っていると、ただ走るだけに走っているような気がしてくるというようなことを書いたと思うが、それ自体が目的であったのかもしれないとも思えてくるのである。    夜桜を弘前で見た翌日、起きると、やはり桜を見たくなる。見たくてホテルを出て歩く。歩きながら、桜を探して、見ている自分がいる。弘前駅の方に歩き、朝食をミスター・ドーナッツを見つけて食べることにした。いつも自分で作っているパン食の朝食に慣れきっているせいか、その味に少し飽きがきていて、ミスター・ドーナッツのミートパイのようなものであったと思う、それとカフェオレが本当に美味しく感じた。それなので気をよくして、店の写真を三枚撮った。そして弘前駅頭上に昇る太陽と、駅近くの桜と通りで会った枝垂桜をやはり撮った。桜は確かに俺に笑っていたと思う。「おはよう。」と言いながら。 そうして、岩木山を見ながら、帰路につくつもりでいた。ところが、弘前城を車で過ぎようとする時、昨晩の桜にもう一度会いたくなってしまったのである。弘前城近くに車を止めて、城に向かう。天気もよかったので、もう既に多くの人が公園を歩いている。家族連れやカップル、若年や壮年、老年仲間・・・。多くの人に見られて、桜のやつはちょっとよそゆきの気取った態度であった。俺をみても知らんふりしているようでもあったが、写真を撮り始めると、「あら。やっぱり。また、来たのね。」と言った。やっぱり、桜は、確かに俺に綺麗な笑顔で笑いかけていた。福島編で、この日この時の花には二度と会えないような気がしてと書いたが、この桜は、来年も再来年も、何十年先まで、百年以上経って朽ち果てるまで咲き続けるのだろう。その両方の意味で桜が愛しいと思えた。やはり、目的はここにあったのだと確信した。一時的に桜に憑かれた自分がいた。それは桜に限らずこの見えている美しい世界が自分にとって一時的なのかどうか、今の自分にはわからない。   この土地で神格化され、「...

ヘジョワーダの日

 仕事が忙しくて、あってはならないことかもしれないけど、親父の命日を逸してしまった。墓参りに行って、そのことをさんざん詫びた。墓をきれいにして、 Boss と花を捧げて、香をたくと太陽が少し西に傾いて、自分を照らしていた。その日、ターリーズ珈琲の派手なパッケージに入っているブラジル豆を購入して、珈琲を丹念に入れ、豆とともに仏壇から親父に捧げた。 親父に詫びる気持ちが継続していて、日を改めて、ブラジル料理を食べにいくことにした。1時間 20 分から 30 分くらい車を走らせて、その店に着いた。夕食だけど、店は明るい店で、店の真ん中に座った。テレビでは、今風のラテンミュージックのライブが映されていて、心地よい歌を美しい女のボーカルリストが歌っていた。真向かいの少し離れた席で、綺麗なラテン系の女性が陽気に笑いながら、亭主らしき日本人の男性と食事をしていた。その男性は料金を払ってから、しきりに「ありがとう。ありがとう。」と何度も「ありがとう」を繰り返し言っていて、俺は運ばれてきた料理食べながら見ずに聞こえてくるその声だけを聞いていたので、誰になんの理由で言っているのかはわからなかった。ただその「ありがとう」が耳に残っている。 帰りがけに、店主にちょっと親父のことを話した。深く頷きながら店主は聞いていた。店から出て車を出そうとすると、店の勝手口から店主の両親と思われる優しそうな老夫婦が出て来て、自分を見送ってくれているようだった。    窓を開けて、その街の風を感じながら車を走らせた。ラテンの街とはいえないけれども、所々ささやかにそのイルミネーションが、ラテンの雰囲気を醸し出していた。親父がいなくなった時、俺はまだ若かった。あの頃、なにひとつ俺に言わずにいなくなった親父を俺は憎んでいたが、休みの時にこの街を走って、親父を探していた自分を思い出した。   親父に家の仏壇から、一緒に食べたつもりの親父のぶんのヘジョワーダとブラジルお菓子を捧げた。   (^^)/R. Obrigado !

クロマニヨンズのエルビス(仮)の比喩表現の考察

「無法者が昨日、運命蹴飛ばした 何もかもがみんな変わってゆくのなら」 倒置法が使われている。こんなにもなにもかも、変わってしまうのなら、いっそ無法者になって、運命なんか蹴飛ばしてやれ!ということだろう。無法者はもともとロックンローラーの自分で、運命を蹴飛ばすとは、ブルーハーツから、クロマニヨンズへの移行を言っているのかもしれない。後に解釈するが、なにもかも変わるとは、ロックンロールの神さま、エルビスさえ、ほこりをかぶってしまうような時代ということを言っているのだろう。   「裏切りの城から秘密が逃げていく。千里を走ってく、天の馬に乗って。」 逃げていく秘密を持っているのが自分だとするなら、裏切りの城は、自分が活動をしてきた現場、場所、世界、音楽界というような解釈になるのかと思う。逃げていく秘密は、千里を走る天の馬に乗っている。それは、いまの音楽をとりまくネット環境を言っているのだろう。 YouTube のような。それは一瞬にして、天をかけ、千里を走る。秘密は宝物であるエルビスであると思われる。   「歪んだ唇エルビス。歪んだブルースを歌えば。価値のわからない手から手に渡り、埃を被っている宝物。」 エルビスの魂を継承しようとするくちびるは歪み、その唇で歪んだ音でブルースを歌えば。エルビスはロックンロールの租であり、かつ最初の最高のパフォーマーであり、ボーカリストであったけれど、ロックンローラーからロックンローラーへと次から次に渡っていくうちに、いつしか埃を被ってしまった俺の宝物なんだ。   「今だけ。今だけ。今だけ。」 だから今だけは、この魂で歌って、歌い続けるんだ。   「惑星が燃え尽き、人として笑顔でお別れの時間だ。沈んでいく朝陽。」 いろんな解釈が可能だが、自分の歌とバンドを惑星とすると、エルビスの魂で、燃え尽きるまで歌ったあとは、神様エルビスでさえ、忘れ去られる時代、自分も潔く笑いながらお別れをして、沈む朝陽のように消えていこう。だから、今だけ、燃え尽きるまで歌わせてくれ。 甲本はきっと何もそんな解釈をしなくても・・・と思うだろうな。メロディとリズムにのってそのまま聴いてくれれば・...