仕事が忙しくて、あってはならないことかもしれないけど、親父の命日を逸してしまった。墓参りに行って、そのことをさんざん詫びた。墓をきれいにして、Bossと花を捧げて、香をたくと太陽が少し西に傾いて、自分を照らしていた。その日、ターリーズ珈琲の派手なパッケージに入っているブラジル豆を購入して、珈琲を丹念に入れ、豆とともに仏壇から親父に捧げた。
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親父に詫びる気持ちが継続していて、日を改めて、ブラジル料理を食べにいくことにした。1時間20分から30分くらい車を走らせて、その店に着いた。夕食だけど、店は明るい店で、店の真ん中に座った。テレビでは、今風のラテンミュージックのライブが映されていて、心地よい歌を美しい女のボーカルリストが歌っていた。真向かいの少し離れた席で、綺麗なラテン系の女性が陽気に笑いながら、亭主らしき日本人の男性と食事をしていた。その男性は料金を払ってから、しきりに「ありがとう。ありがとう。」と何度も「ありがとう」を繰り返し言っていて、俺は運ばれてきた料理食べながら見ずに聞こえてくるその声だけを聞いていたので、誰になんの理由で言っているのかはわからなかった。ただその「ありがとう」が耳に残っている。
帰りがけに、店主にちょっと親父のことを話した。深く頷きながら店主は聞いていた。店から出て車を出そうとすると、店の勝手口から店主の両親と思われる優しそうな老夫婦が出て来て、自分を見送ってくれているようだった。
窓を開けて、その街の風を感じながら車を走らせた。ラテンの街とはいえないけれども、所々ささやかにそのイルミネーションが、ラテンの雰囲気を醸し出していた。親父がいなくなった時、俺はまだ若かった。あの頃、なにひとつ俺に言わずにいなくなった親父を俺は憎んでいたが、休みの時にこの街を走って、親父を探していた自分を思い出した。
親父に家の仏壇から、一緒に食べたつもりの親父のぶんのヘジョワーダとブラジルお菓子を捧げた。
(^^)/R. Obrigado !
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