スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

6月, 2020の投稿を表示しています

続・庭花十五花

  ®

そして、北走!? - 会津へ「月日は百代の過客にして・・・」 -

  東の横須賀から 今度は 北の会津である。   猪苗代湖の近くに タロカフェ という 小洒落たカフェがある。       ただ 小洒落ているというだけでなく その日はアイスカフェオレを飲んだが 本当に美味しいカフェオレだった。 このカフェオレから 珈琲の味が推し測れるような味。   それに 焼き菓子がまた美味しい。     猪苗代湖から会津若松に向かうと 城の近くに 会津葵 という カステラあんの和菓子を商う店があって     その近くに シルクロード館   そして 北出丸カフェ がある。   その日は 珈琲ゼリーとエスプレッソをダブルで頼んだが   カフェと言っても ここは 立派な洋風レストランである。     会津若松市の 中心を ちょっと外れたところに とん亭 はある。 気前と切符がある 親父さんの店だ。   とんかつ屋だが 馬刺し も食べられる。   その日は 桜肉の ソースカツ丼 を食べた。 桜満開ならぬ 桜満腹である。     会津を去るときに もう一度 サービスエリアから 磐梯山を拝んだ。   こんな風に 好きな写真を廻って 再び旅をしていると それぞれの土地に 思い入れというものが生まれ また 土地の人と 写真を廻って 関わっていると 人情を感じることもあって 「旅を棲家とし」 と言った 芭蕉の気持ちが 実感として わかるような気がした。       「月日は百代の過客にして 行き交ふ年も また 旅人なり。」       R.

月印 ☽

  横須賀の 商店街の路地を入ったところに 「げついん」 ではない 「つきじるし」 というカフェがある。     ドアを開けて入ると 外見と同じアンティークな 内装が 本当にいい。     その時は ちょうど昼を回ったころで ランチメニューが 緑の黒板に書かれていた。   「茄子の挽肉乗せ を 下さい。」   「それは 30分ほどかかるけど いいですか?」   「いいです。」   昼下がりの 横須賀の路地に ママが調理する 匂いが漂っている。   俺は その香りが なんて幸せそうな 香りなんだろう と思う。   ママが心込めて出す珈琲は 椀型の大きなカップに入れられて 皿の上のスプーンに ブラウンシュガーがのせられ さらに 小さな焼き菓子が 添えられている。 ママの 心尽くしの珈琲。   そして 色とりどりの新鮮なサラダが運ばれ メインディッシュの 茄子の挽肉のせが 運ばれる。   茄子の挽肉のせ といっても ただ茄子に挽肉がのせられて揚げてある というようなものじゃない。   それに衣がついて揚げられ ソースをかけた 洋食風の料理である。   それが皿にふんだんにのせられて 美味しい丸いバケットと野菜が添えてある。   それを フォークとナイフで 召し上がる。   ママの 心尽くしのランチに 俺は いたく感動しているのだけれども   どこか古風な感じで サラサラとしたママは きっと そのことには気づかない。   ¥1,500 也。     R.   

西奔東走!?- 諏訪から横須賀へ -

  西は諏訪である。 そして 東は横須賀である。 東奔西走ならぬ 西奔東走なのである。   なぜ そんなことを忙しくしているのかというと 自分が撮った写真を 撮らせてもらった土地に 届けたいという切なる思いである。   まだ、 非常事態宣言下の 横須賀は その日 暑いくらい 晴れ渡っていた。   月印のママが 言っていた。   「ブログなんてことを言うのなら どうか コロナが収まって 落ち着いてから また来てくださいませ。」     R.

本屋の立ち読みとその後のダイエットご飯(焼き豚野菜ナポ) 

  今日の夕飯のダイエットの お努めは 小盛のナポリタン は 焼き豚野菜ナポリ 仕入れてみたナポリタンソースとケチャップで   それにいつものサラダ   苦い ゴーヤのコンソメスープ ・ ・ ・ 今日は 食材やインクジェットプリンターのインクや温感シップやら を買い出した後 蔦屋系の本屋に立ち寄り 小栗の『人間失格』、新作の『ターミネーター』、『マザーレス・ブルックリン』 を借りて本を眺め歩いてちょっと立ち読みした。   島田雅彦は自伝的な小説を書き始めている。 島田はあのときのままの島田と思っていたが 確かに島田雅彦もそういう歳なんだよな。   引退した養老孟司は 今は普段から いつも家にいることが多いと言いながら コロナを思う。   花村萬月は 長編の恋愛小説。   村上春樹は 猫を捨てに行く これまた自伝的な絵本調の小説を書く。 小 説の少年は猫を 父と一緒に海に捨てに行くのだが 俺も そういえば幼いころ 猫を捨てに行ったな と思い出し その時はその地方では 当然の慣わしと幼い俺は思っていたが 今頃になって なんだか ひどく悲しい気持ちになった。     R.