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月印 ☽

 
横須賀の
商店街の路地を入ったところに
「げついん」
ではない
「つきじるし」
というカフェがある。
 
 
ドアを開けて入ると
外見と同じアンティークな
内装が
本当にいい。
 
 
その時は
ちょうど昼を回ったころで
ランチメニューが
緑の黒板に書かれていた。
 
「茄子の挽肉乗せ
下さい。」
 
「それは
30分ほどかかるけど
いいですか?」
 
「いいです。」
 
昼下がりの
横須賀の路地に
ママが調理する
匂いが漂っている。
 
俺は
その香りが
なんて幸せそうな
香りなんだろう
と思う。
 
ママが心込めて出す珈琲は
椀型の大きなカップに入れられて
皿の上のスプーンに
ブラウンシュガーがのせられ
さらに
小さな焼き菓子が
添えられている。
ママの
心尽くしの珈琲。
 
そして
色とりどりの新鮮なサラダが運ばれ
メインディッシュの
茄子の挽肉のせが
運ばれる。
 
茄子の挽肉のせ
といっても
ただ茄子に挽肉がのせられて揚げてある
というようなものじゃない。
 
それに衣がついて揚げられ
ソースをかけた
洋食風の料理である。
 
それが皿にふんだんにのせられて
美味しい丸いバケットと野菜が添えてある。
 
それを
フォークとナイフで
召し上がる。
 
ママの
心尽くしのランチに
俺は
いたく感動しているのだけれども
 
どこか古風な感じで
サラサラとしたママは
きっと
そのことには気づかない。

 
¥1,500 也。


 

 
R.



 


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