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男の珈琲時間 -『連帯という言葉の意味』編その2 -

 『近代・現代の社会が失ったものは、生命の結び合いである。経済活動の中では全てのものが商品化され、商品として市場で結ばれている。商品を作る人達も商品として扱われ、使い捨てられる労働力という商品にすぎなくなった。そして、社会と国家システムのもとでバラバラになった個人が結び合っているだけのものにすぎなくなった。』

 世界や国は政治が動かしていると我々は捉えがちだが、実は、それを動かしているのは、この資本主義社会、経済の中では、資本であり、資本家であると思う。政治が司っているのは、資本主義社会、国家のシステムである。『市場原理主義』ということが言われるようになってから、我が国では、「勝ち組・負け組」というような嫌な言葉が人々を煽り、『全てのものの商品化、バラバラの個人』の傾向はより色濃くなっていったと思う。国や世界を動かしている資本と言われても、ピンとこないならば、具体的に上げさせて頂くと、日本であるならば、トヨタや日産のような自動車産業、東芝やソニーのような家電産業、精密光学機器産業や部品産業、食品産業・・・・等があげられると思う。米国であるならば、フォードに代表される自動車産業(フォード・システムと呼ばれる大量生産化のシステムを考案した)や軍需産業、石油産業、・・・・、マイクロソフト、アップルのようなIT産業があげられると思う。そういう中で、特にIT産業の台頭以後、国家、社会システムの中で疎かにされてきたものは、第一次産業といわれる農林水産業であったと思う。それが、国民にとって最も大切なものであるのに。自分は日本の農林水産業を守り、その復興を願ったものだ。なぜなら、我が国は農産物としても非常に良質のものを作る技術を持っているのに(一言でいえば本当に旨い野菜や穀物だ。日本の米は米だけ食べても旨い。)、我々の口に入るものがほとんど海外からの輸入もんになったのでは、悲しすぎるじゃないか。また、長年をかけて培った大切な技術をその生産者とともに守るべきだとも思った。しかし、現代において様々な技術は既に海外に流出しつつある。また、産業界においては、内需と外需のせめぎ合いのようなこともあったと思う。私はまずは内需、そして外需と考えて欲しいと思ったもんだが、利益を追求するとそういうわけにもいかなかった。こうした中で、社会は生命の結び合いを失ったのだ。
 では、いったい『生命と生命の結び合い』って何?とあなたは思うかもしれない。

 『社会は様々な生命の結び合いによって作られているはずである。とすればそのことが見える、感じられる社会を作ることはできないだろうか。』

 例えば、あなたがスーパーで三元豚の豚肉を手にする。その豚肉は、ポークカレーやシチュー、生姜焼き、あるいは肉じゃが、うどんの具材として食卓を飾るだろう。その時、見えているのは、豚肉という商品である。その豚肉が街の市場であるスーパーの肉のコーナーに置かれるまでの過程を思ってみて頂きたい。生産者が「いい肉になれよ。」と思ったかもしれないが、家畜として愛情をもって育てられた子豚が、成長し、屠殺され(豚をのせ、屠殺場に行くトラックが家の前を通るが、その時、豚はそれを悟っているのか、ウィ~!ウィ~!と悲痛の声をあげている)、さばかれて、食用の肉になる。それが市場に出る。かつて、日本でも、鹿や野生の猪等を狩ってタンパク源としていただろう。それが、生産者による家畜に変わったということだ。
 食べなければ、人は生きていけない。そこには、生産者と豚(家畜)の生命の繋がり(かつては自然界の野生動物と人間の)があり、豚肉とそれを商う業者との命の繋がりがあり、そうして商品化された豚肉とそれを食べる消費者との生命の繋がりがある。人が自分で狩って、肉としてさばいて、食べていた時代はそれ(命をいただく)がよく見えていたが、いまではそれは見えなくなっている。かつて、自分のガールフレンドがトラックに乗せられている食用の牛をみて、「可哀そう。みんな殺されちゃうんだね。」と言って、ポロポロ涙をこぼして泣いたのを覚えているが、そんな彼女を愛しいと思いつつも、「泣くな、お前は。それならお前は牛肉を食うな。」と言ったのを思い出す。
 肉を例にとると、リアルな生命の繋がりが見えると思ったので例にとったが。そして、それが、人参でも、キャベツ、ほうれん草、・・・・・であっても同じことが言えると思う。そこには、生産者と自然との命の繋がりがあって、野菜も生き物だ。他の商品においても同じことが言えると思う。生き物でないものは、生産者の技術と思いと生活という生命の繋がりがある。

 『その緒にあるのが、連帯という言葉の意味を見つけ出すということではないかと思う。』
 
 『連帯のために知恵を使い、言葉を使い、お金を使うことのできる人間だけが、そしてそのことを実行に移せる共有された世界を築こうとする人間だけが、現代とは違う未来を見ることができる。』

 その共有された世界を望む人々が多数いるか、いないかは別として。そういった生命の繋がりが現在においても、思いを巡らせば、見える、思えるということは大切であると思う。また、自分から繋がりを見ようとする消費の在り方というのも、現代でもできないでもないと思う。自分で豚や牛をさばけと言っているのではない。例えば、生産者からじかに買う方法はあるかもしれない。
  それを社会の中で、実現するとするならば、生産者から消費者が実際に品物を手に取って買うことのできる巨大なスーパーマーケットを築くということや、生産者から直接品物を買うことができるシステムを想像するが、それも資本を持った資本家に委ねるしか
ないであろうと私は思うのだ。

参考文献:内山節氏『連帯という言葉の意味』


 それで、今日は、ちょっと遅い、男の珈琲タイム!
ドリップで入れたブラック珈琲とフレンチトーストのおやつってのはどう?
フレンチトーストは親父ゆずりなんだけど、俺は、シナモンシュガーをトッピングする。
ん?! 今日のミュージック🎶は、パット・メセニーとチャーリー・ヘイデンだよ。

「珈琲飲み来ない?!」   (^^)/R.  Thank you !













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