スキップしてメイン コンテンツに移動

カサブランカと『As Time goes by』

パリ陥落の時、リックとイルザは、恋に落ちている。その時、イルザは既に活動家のラズロと結婚していて、ラズロは投獄中で、脱獄して射殺されたという噂が流れていた。パリを二人で逃れるという日、待ち合わせ時間の駅にイルザは来ない。手紙一通を残して・・・。数年後(上記は回想場面で映画はここから始まる)、リックは、モロッコのカサブランカで、パリの時と同じように、リックの店を経営している。そこに、イルザとラズロが現れ、二人は再開するというストーリーである。
その時、サッチモのようなジャズを演奏するサムがパリの思い出を呼び起こすようにイルザのリクエストで、再び弾いて歌うのが、「As Times goes by」である。終盤、ナチスに追われることになったラズロを、リックは残る自分の身の危険を顧みず、イルザとともに飛び立つ飛行機に乗せて、逃亡させるのだ。

この映画が名作であって、永遠であるのは、まず、リックを演ずるハンフリー・ボガードとイルザを演ずるイングリット・バーグマンという二大スターの共演ということは、周知のことであると思う。両優ともモノクロの映画の中で、いっそう輝いているし、(ボガードは勿論いい男だが、今思うと幾分チンパンジーづらだなと思ったりもするが、映画史に残るいい男の象徴のようなボギーを猿づらとはなんだと思う人もいるかもしれない。確かに失礼だとは思うのだが、『猿の惑星-創世記-』で猿の惑星のヒーローであるシーザーがデヴューしちゃったのちに、このボギーをみると、どことなくシーザーと重なるような感じがあってそう思ってしまったんだ)特に、イングリット・バーグマンは美しい。いかした男優や美しい女優というのは、モノクロのフィルムの中で、その魅力をいっそう増すのだと思う。
女は罪深いものだと改めて思ったりもするが、三人それぞれの正統な純愛が描かれ、主人公であるリックの、その全てを包み込むような、いわば『男気』というものが、更にその時代の時勢、ナチス勢とフランス勢(自由・平等・博愛の理想を心中に持つ)、アメリカに逃れるために店に集まる人々と店の音楽というような入り乱れた雰囲気が、この映画を名作にしているのだと思う。先の正統な純愛とは、これは俗に言う三角関係の図だが、ひとりひとりが向かう思いをみると、それは十分な理由があり、正しいということだ。そして三人が三様で互いを庇い、自分を置いて逃がそうとして、三人三様でいい男といい女なのだ。
ただ、女嫌いでカサブランカでは通っているリックには、自分の約束と思いが踏みにじられたという思いがあり、強引にでも、イルザの思いをもう一度自分に向かせたい、あの時の二人を確かめたいという下心があったと思う。それで、葛藤し、酒を飲んで、飲んだくれて打ちひしがれる女々しいリック(ボギー)っていうのも見ものなのである。リックが女嫌いであったのは、イルザへの思い、その恋が忘れられなかったからかもしれない。自分はいいから、ラズロは逃がして欲しいと頼むイルザは(一方、ラズロはラズロでイルザを逃がして欲しいと願う)、再びリックに抱き締められ、「もうわからない・・・みんなのことも貴方に任せる。」と言う。みんなとは、博愛、弱者への思い、救済すべき人々ということである。アフリカで、スペインで、もともと活動家肌であったリックは二人を見送る空港で「俺だってこの状況がいいと思ってるわけじゃない。見ててくれ。」と言っていたと思う。三人はナチスの圧政に対する反体制、リベラルというところで、互いに信じ認め合っているところがあったと思う。(また、先にスペインと言ったが、そのスペインで、写真を撮っていた報道(戦争)写真家のロバート・キャパとイングリット・バーグマンは結婚しているのである。キャパは、どういう運命なのか、ベトナムで前方を兵士たちが歩くフィルムを残して、不覚にも地雷を踏んでしまう。絶頂期におけるほんのちょっとした油断が原因であると思う。今まで、再三再四注意を怠らず、警戒心を張り巡らせ、戦場で写真を撮って生き延びてきたキャパが、そこでだけ油断してしまったのだ。離れた前方を歩く、兵士たちの写真をファインダーを覗いて、立ち止まって撮りながら歩く。開けたエリアで、兵士も写真を撮るキャパも、樹木の陰に潜むベトナム兵を警戒する必要はない。晴れわたっていて視界も良好である。勿論、普段であるなら、そしてまた、足元の地雷に十分警戒しながら行く。俺なら、兵士が辿った足跡を踏んで歩くが、キャパはその時それを一瞬、怠ってしまったのだと思うのだ。)
しつこいようだが、最後にリックの選択、判断、男気というものを整理してみると通行証を持つリックには、五つの選択肢があったと思う。1ラズロのみを逃がし、イルザとカサブランカに残る。 2イルザのみを逃がし、ラズロとともにカサブランカに残る。3自分ひとりで逃げる。4ラズロを残し、イルザと共に逃げる。5イルザとラズロを逃がし、自分はカサブランカに残る。の五つである。1と2は、ラズロとイルザ夫婦の絆を考えるとありえない。また、自分とともにラズロ、或いはイルザをカサブランカに残し、危険にさらすことになる。3は、リックの気質から、また、イルザとラズロを危険にさらすことになりこれもない。そもそも追われるラズロを逃がさなければならない。4はリックとイルザ二人にとっては、最良の選択だが、イルザがラズロを残すことは嫌うし、また、リックにしてもイルザの夫であり、優秀な活動家であるラズロを見殺しにするということもありえない。そして、リックは5のラズロとイルザを逃がし、自分がカサブランカに残るという選択肢をとるのである。しかし、このリックの選択は、それだけのものではない。ラズロも危険を掻い潜ってきたとはいえ、リックほどのことではないと思うのだ。例えば、ラズロのみを逃がし、イルザとカサブランカに残るというのは、もうひとつの選択であるとも思われるのだが、その後、自分は、投獄されるかもしれず、イルザを守り切れない。投獄されないまでも、自分ひとりであれば、かいくぐれる危険も、イルザがいれば、イルザを危険にさらすことになりかねないと判断するのだ。要するに、リックは、これまでもリベラル、時の反体制派でありながら、店では、「店に政治は持ち込むな。」と嘯き、危険を伴う生き方であるゆえ、そばに女性をつけず(女性を危険に巻き込むことになり、自分の身動きができなくなる)に、生きてきたのであろう。パリはその花の都の雰囲気とあまりに美しいイルザに出逢い、例になく恋に落ちてしまったのだろう。『カサブランカ』は、ラズロとともに彼の活動の命の一部でもあるイルザを逃がし、イルザの思い出とともに生きようようとしたリックの男気と、時々の状況の中で、社交とサバイバル精神で、危険を掻い潜っていく、ある意味、不良の逞しいリック魅力というものがあると思う。ジェームス・ディ―ンのイメージも、そうであったように、女は不良っ気をもった男に惹かれる。そうして、カサブランカのハンフリー・ボガードは,男らしいいい男のひとつの典型としてシンボライズされ、永遠のヒーロー、カサブランカ・ダンディのボギーが誕生する。
そして、二人が乗った航空機を見守ろうとするリックは、嫌みなナチスの少佐が航空機が離陸するのを阻止するために管制塔に電話を入れようとるや否や、胸ポケットから出した銃で少佐を射殺する。航空機は霧の中へ消える。そして、警官隊が着くと、その一部始終をみていた地元の金目当ての狡猾な日和見巡査部長は、リックを庇い、「犯人を追え!」といい警官隊を追い払い、「あんたは人情家だな。」とリックに言う。ラスト。リックは巡査部長の肩を抱き、「あんたとは、今日からいい友になれそうだ。」などと言いながら、霧の中へ二人で消えていくのである。
 
そして、ハーマン・フップフェルドがブロードウェイミュージカルのために書いた「A Kiss is still a kiss….」と歌われるジャズのスタンダードにもなっている名曲がテーマ曲として、リックが抱く切なくも鮮明な思い出と胸中を反映し、この映画を名作とするのに大いに貢献している。  

As Time goes by』は、今は、身体に滲みるように聴こえてきて、他のどんなジャズ・ボーカリストよりいいと思えるのだけれども(最近しみじみ聴いていて気づいたことだが、ビリーの歌い方は、ブルースの古典的歌唱といえるようなものに帰属していると思う。また、音譜を意識せず、彼女独自のアレンジを加えながら歌う。そこに他にない彼女独自のボーカルの魅力というものがあるのだと思う。)、38年前に手にして、ターンテーブルにのせてみたものの、その時は理解はできてもこれのどこがいいのか全くわからなかった、ジャズ史最初のジャズレーベル、コモドアレコードからリリースされたビリー・ホリデ―のコンプリート盤『The Greatest Interpretations of Billy 』のBillie Holidayで・・・・。  R.
 
(^^)/R. Thank you !

 

コメント

このブログの人気の投稿

2022年3月:歯根嚢胞手術の巻(入院食でひとりめし!)

 2022 年は、年賀状を出したばかりで、「ひとりめし」の投稿、更新もなく、 申し訳ありませんでした。実は、手術があったり、その後、別の生活習慣病が起こって、自宅療養と言っても、通院しながらの自主食事療法のようなことをしていました。   m ( _ _ )/  ごめん!    昨年度から歯と鼻炎の治療を継続的にしていて、その関係で上顎のCTを撮るということがあって、そこで歯根嚢胞が上の左の歯の根元にあるということがわかって、その手術の必要が起こりました。それで、三月末に入院をして、口腔外科で嚢胞を除去する手術をしました。その口腔外科でもう一度CTを撮ると、やはり歯の根元に嚢胞があるということで、この歯根嚢胞というのは、後々、葉肉や周囲の歯に悪影響を及ぼすので、やはり除去する必要があるということでした。また、その時、別の大きな粘液嚢胞というのも発見されたのですが、この粘液嚢胞は悪影響はないので、手術の必要はないと言われました。へえ!この粘液嚢胞のやつの方が大きくて悪そうなのに、取らなくていいとはね。やっぱり、小さくても歯の根元にくっついてできた嚢胞の方が小さくても悪いということなんだろう。その時、ついでに、その粘液嚢胞のやつもとって欲しいと思ったわけですが、悪影響が無いものを手術除去する必要はないということになったわけです。しかし、普通では歯根嚢胞チェックのためのCT撮影なんてしないから、この嚢胞を発見する機会というのはないなとも思いました。だから、多くの人がこの嚢胞がもしあったとしても、なんらかの症状が出るまで、放置することになるなと思うわけです。    手術は、午前中、一時間くらいで終わったと思います。医師は腕のいいと思われる女医でした。「よろしくお願いします。」と言うと、医師は麻酔を何か所かにして、歯を何回かで根元まで抜いた感じでした。麻酔が効いていたので、痛みは全くありませんでした。ところが、その後、嚢胞を探している様子で、「あれっ?!」と言うのです。ちょっと。なんだ?嚢胞がみつからないのか?ちょっと探っていて、中心より横のあたりで、「あった。あった。」ということで、その嚢胞をピンセットで取り出して、「ほら。これが嚢胞。」と言って、看護師に差し出して容器に入れさせた。これで、手術は首尾よく終わったというわけです。「ありがとうござ...

橋本一子の『Miles Away』

橋本一子 のマイルスへのトリビュート・アルバム『 Miles Away 』は、どうしてこんなにも、今もなおマイルスの不在を寂しがるマイルス・ファンの思い ( 喪失感 ) を満たすのだろう。それは、マイルスのサイドマンであったり、ライブを重ねたミュージシャンたちのどんなトリビュート・アルバムよりなのである。 橋本一子はこのアルバムのライナー・ノートで自ら「マイルス・ディビスは、私にとって、ジャズというジャンルにおいてはもとより、音楽における最   も重要であり偉大な音楽家のひとりです。」と言っている。そして、「常に新たな地平を見据え、スタイルもジャンルも超えて突き進んだその天才は、いま音楽をやっているわたしたちに多大な影響を残していきました」とマイルスのことを語る。 橋本一子をライブで初めて聴いたのは、吉祥寺の確か曼荼羅というようなライブハウスであったと思う。山下洋輔との共演であった。橋本一子の出現は、日本の歌謡界でいうなら、荒井由実の登場のようなもので、日本のジャズ界においては、全く新鮮な輝きと驚きと幸福であったと思う。アルバム『 Ichiko 』『 Beauty 』『 Vivant 』~『 Mood Music 』の三部作、四部作は、彼女の傑作であると思うし、日本の当時のジャズに明らかに、新鮮な風を吹き込み、彩りを加えたと思っている。ジャズを基本としているが、クラシック、現代音楽、ポップスと融合し、更にハスキーでスウィートなボイス・パフォーマンスを加えた彼女独自のスタイルは、刺激的で魅力的であった。 このアルバムは彼女の 14 作目にして初めて、マイルスに捧げられたアルバムということになる。女のジャズピアノアルバムというと、ジャズの世界では、軟弱でジャズ以外の聴く耳に媚びたようなものというようなイメージを持ちがちであると思うが、「 milestone s」から始まるこのアルバムは、力強い、男顔負けといってもいいような骨太のアルバムに仕上がっている。単音は力強く歯切れよくというものであり、そこに女性的なエコーを添えて、更にボイス・パフォーマンスを加えるというようなイメージである。選曲も「 Blue in Green 」「 E.S.P 」や「 Neferutiti 」のような、マイルスのジャズとロック融合期のナンバー...

男のひとりランチ:コヤラズ

 今日、O君が 「インドカレーしか食べないの?」 と言っていた。うん。確かに、昼飯食えば、インドカレーばかりで、そう思うのも当然だね。全くO君ならではのナイス!な疑問とつっこみだね。  ここんところなぜ、インドカレーばかり食べてきたか、考えると理由がある。話すとちょと長いんだけど、いい?  10年、母の世話(いわゆる介護)をして、5年は仕事をやりながら、後の5年は仕事を辞して、世話だけに集中したんだ。その方が、お袋にとっても、自分にとってもいいと判断したから。仕事とケアに夢中だったということもあるけど、その10年は、時が過ぎるのもまた速かったな。過ぎて行った時は、「10年は一昔」「光陰矢の如し」というよりも、「色即是空、空即是色」だ。とにかく、仕事とお袋のケアのことだけ考えて、過ごしたんだ。後半は「お袋、頑張れよ~。俺がついてるから。」でケアのことだけ考えて暮らした。話をしない親子ではなかったけど、息子なんて、親が元気でいれば、外で仕事したり、遊んだりして、飯を食いに家に帰るようなもんだと思うから。お袋が階段を踏み外して、足を折った時は、自分が折ったように痛かったし、びっくりしたよ。その時も俺は、「お袋、もうちょっと待っててくれ。すぐ行くから。」と思い、仕事を終えてから駆け付けたんだ。「なんかまぶしくて、目がよく見えない。」と言っていたのに、俺は仕事が忙しいことにかまけて(お袋の初期の緑内障はすぐに眼科に連れて行くべきだったのに。そういう知識が自分にはなかった。)、「じゃあ。眼鏡変えてみたらいいんじゃない。少し色つけたりして。」くらいに考えていたんだから。その時だよ。あぁ、お袋も歳をとるんだなと思ったのは。昭和一桁のお袋は、強いし、頑張り屋なので、入院をして、リハビリを終え、また歩けるまでに回復したんだ。それから、10年間、お袋は、自分自身の気持ちでも、また俺のケアの甲斐もあって、頑張ってくれたんだと思う。    話をインドカレーに戻すと、その十年間、俺はご飯をお袋と自分のために作り続けたわけだけど、お袋はどんな風に作ってたかなぁが基本で、自分で工夫して、ほとんどの家庭料理は作れるようになったね。誰だって10年やれば、そうなるよ。それに自分が食べたいものは、自分で作るしかないと思ったのと、お袋にいろいろ食べさせて栄養つけてもらいたいと思ったから(飯の恩返しだ...