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男のブランチ(トマトースト)と『My Funny Valentine』

今日のブランチのトマトップルジュースカフェオレブルーベリープルーンヨーグルトトマースト
 
実は、俺の朝食は、パン食なんだ。ガキの頃かずっとそうなので、朝は、パンと珈琲(カフェオレ)じゃないと調子が出ない。というか、めしだと重すぎちゃうんだ。それに、朝は珈琲飲まないとやっぱり調子が出ない。だから、昨年12月末、ほら、雪が降った時だよ。高野山の宿坊に泊まった時も、精進の朝食を食べた後にも、珈琲飲みたくなっちゃうんだ。でもね。今、宿坊ってのは、宿泊客がほとんど外国人で(思い立ったが吉日で、下調べして行ったわけじゃから、宿も、この道で大丈夫なんだろなというような真っ暗な細い山道をさんざん走って、夜着いて、「今晩、泊まれますか」だから、知らなかったよ)、セルフの珈琲マシンが置いてあって、しっかり珈琲が飲めたんだな。美味しかったよ。勿論、精進料理もね。そしたら、その日、朝から高野山は大雪だったってわけなんだ。

Miles DavisMy Funny Valentine

マイルスが『マイファニーバレンタイン』をやってるアルバムとして有名なのは、1964年『My Funny Valentine in Concert』だ。これは、マイルスファンなら誰でも知ってる名盤だよ。19642月にN.Y.のリンカーン・センターのフィルハーモニック・ホールでのライブアルバムだ。この頃のマイルスは、メンバー(サイドマン)として、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウイリアムス(ds)と組んで、また新しいスタイルを模索していた時なんだ。試みとして、バンドとして自然発生してきたどんどん速くなるプレイ(4ビートから16ビートくらいに)にトライしていた時期だと思う。しかし、この『マイファニーバレンタイン』は、しっとりとしたハービー・ハンコックのピアノのイントロで始まり、これは、フリューゲルホーンなのかと思われるような、マイルスのスローバラードプレイが展開される。ただマイルスは、通常のバラードプレイをするというのではなく、高音域を多用し、叫ぶようなプレイが印象的で、聴衆を刺激を与え挑発している。ソロは滔々と流れ落ちる滝のように奏でられ、それが、岩に当たって砕け散る。この演奏はその時代において、やはり先端であり、かつ名演であると思う。 それから、約5か月後、マイルスは日本で、やはり、『マイファニーバレンタイン』を演奏している。新宿厚生年金会館でのライブである。同じようにスローバラードプレイをする。手抜きのない演奏であると思う。どちらかというと、このプレイの方が、高音域を多用するということではなく、テーマから崩して吹いているけれども、淡々と流れる河のようなわかりやすいジャズのスタンダードプレイに近いのかと思う。

先にも書いたが、マイルスは、その時々のスタイルってもんが必要だと言っているが、バード(チャーリー・パーカー)のそれは、超えられないものとして永遠だし、最先端としてジャズを長い間牽引する運命を担ってきたマイルスのその時々のスタイルも今となっては、既に永遠であると思う。

 P.S.   Hへ。手作りのチョコ、ありがとう!あの時、俺は2週間くらいなんだか風邪が抜けないような感じで、ほんと言うとちょっと参ってたんだ。しかも、仕事に夢中で、おまけにテレビは見てないだろう。バレンタインデーを忘れてた。でもね。あのチョコで、元気が出たよ。もっと、頑張んなきゃなって思えたんだ。おやつにして、ブラウンの一個はTtに、もうひとつは俺が食べた。フレーク状のホワイトチョコがナッツとmix&harmonyしてて食感もよくて、ほんとに美味しかったよ。ハッピー☆パピー☆スウィート!な味だったよ。
もし、(乱暴かもしれないけれど)ブラウンとホワイトのチョコを二つ一緒に口にほおばって食べてたら、本当にジャズとロックの融合の味(マイルスのジャズの変革の味)がしたかもしれないなんて思うのは、やっぱり欲張りってもんかなぁ。

 (^^)/R. ありがとう。
 

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