金曜日の午後は、健康診断をする必要があったので、休みをとって、健康診断をした。母の主治医だったY先生のY医院に行った。検尿、視力、体重、身長、X線、心音、呼吸、血圧チェックといったところだ。特に異常は無しという診断だった。身長が1.3cm低くなった以外は。あれっと思い、二回、三回計ってもらったが、やはり、低くなっていた。
そして、今日もまた、以前にも書いたタイルのテーブルが置いてあるベンチに座って、一服をした。俺はこのタイルテーブルが気に入っているんだろう。以前、書いた時は、そこで漠然と考えをしたと書いた。それは思考するともなく思考する。呆然とする。ボーっとする。というようなことだが、考えもなく記憶を辿っているというようなこともある。意識も思考もなく、うっすらと脳の中を、無声映画のような映像が映し出されるような感じ。仕事中に、同業者に小林旭という人がいるという話を聞いて、おれはつい「昔の名前で出ています」という反応をした。その話をしたTも、また、本人も嫌と言うほどそういうリアクションを聞いているに違いないと思って、自分自身、苦笑してしまったわけだが、話をしたTはそのことを期待していたかもしれない。その夜、夕食前にちょっと昭和歌謡ロックの練習をした時に、「東京ブルース」「星の流れに」「骨まで愛して」をやって、その後に、「昔の名前で出ています」を歌ってみた。「京都にいるときゃ~」で始まり、二番は即興で替え歌で歌っていた。「忘れたことなど、一度もなかったわ。いろんな食事を作るたび。いつもこの胸かすめる面影の。あなたが作ってくれるの待つわ。昔のご飯で食べています~。」食事の準備をしながら(ご飯が炊けるまでの練習)ということもあって。その日は、そんなことを、漠然と、或いは、呆然と辿っていたのかもしれないし、あるいは、全く違った場面がうっすらと写し出されていたかもしれない。
その呆然、漠然は、無のようでもあり、また、空(くう)のようでもある。しかし、Y医院は母の主治医でもあったし、母を連れてきたこともあるし、母の薬をとりに来たこともある。その無や空が支配する空気、世界、氣というものは、母が関わっているのかもしれない。だからといって、明るく日差しのあるベンチに座っているので、感情的になったり、悲しい気持ちが沸き起こるということもない。むしろ、爽やかで潔い感じなのだ。
その日、空を見上げると、太陽はいつも自分を見守っている(それは、勿論あなたも)。
あなたが、もし、どうしようもない淋しさで、誰にもわからないと思えるような悲しさや苦しさで、心を閉ざしていたとしても、太陽は必ずあなたを見守っている。だから、あなたも必ず太陽に向かって欲しい。陽の光は時としてあなたに皮肉かもしれないけれども、日々あなたを見て、見守り、あなたlに応えているんだ。だからあなたは、必ず太陽のもとにいて欲しい。そのあなたの太陽は、必ずあなたに微笑み、笑いかけるからね。
そして、それは太陽の輝きによって見えない金星のひかりなのかもしれないが(しかしその光は、常に太陽のもとということではなく、いや太陽の光に関わってという方が正しいかもしれないが。これまでに自分はよく見ているし、また写真にも写り込んでいる。青い目のような、真珠のような、オーブのような光である。)、太陽のそばに寄り添うように、小さな光があってやはり見守っている。それもまた、その氣と世界の顕れのひとつだと思っている。
あなたが、もし、どうしようもない淋しさで、誰にもわからないと思えるような悲しさや苦しさで、心を閉ざしていたとしても、太陽は必ずあなたを見守っている。だから、あなたも必ず太陽に向かって欲しい。陽の光は時としてあなたに皮肉かもしれないけれども、日々あなたを見て、見守り、あなたlに応えているんだ。だからあなたは、必ず太陽のもとにいて欲しい。そのあなたの太陽は、必ずあなたに微笑み、笑いかけるからね。
そして、それは太陽の輝きによって見えない金星のひかりなのかもしれないが(しかしその光は、常に太陽のもとということではなく、いや太陽の光に関わってという方が正しいかもしれないが。これまでに自分はよく見ているし、また写真にも写り込んでいる。青い目のような、真珠のような、オーブのような光である。)、太陽のそばに寄り添うように、小さな光があってやはり見守っている。それもまた、その氣と世界の顕れのひとつだと思っている。
(^^)/R. Thank You !
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