その休日は、いつものようにゆっくりと起きた。起きたときに、あぁ、今日もやっぱり間に合わないなと思った。そして、天照に手を合わせ柏手を打ち、仏に線香をあげて、いつもの休日のブランチを食べた。食べ終わると、何故か、いや、間に合うか間に合わないか行ってみようという気持ちになった。身なりを整えて、戸締りをして、車を走らせる。思いのほか車はスイスイと走り進んで、スカイツリーが見えてくる。そして、大きな提灯が下がる朱色の門の前の交差点を超えた前方にある地下駐車場の入り口に着く。正月は満車で入れなかったが、今日は、空と出ている。車を地下3Fまで滑らせて、空いているところに入れる。間に合った、ありがとうと思う。間に合うどころか、十分時間がある。混雑している仲見世通りを一本左に避けて、歩く。これもスイスイと歩く。本堂内のご祈祷受付所まで。小木札を選び、夕座の法要を申し込む。
10分ほど前に、本堂外陣右側から中に入って、内陣に上がる。内陣というのは、参拝者が賽銭箱に賽銭を入れて手を合わす外陣の格子を隔てた内側で、僧侶が法要の際、経を読む場所である。そこには、御宮殿があり、その下段には御前立て本尊、上段には、絶対秘仏の聖観音が安置されている。内陣に上がると、既に二十数人くらいのひとが、座っていて、中央より右寄り、右側に大きな数珠を持った鎌倉の大仏のようなおかあさんが座り、左に痩せた夫婦の眼鏡をかけた夫が文庫本を読んでいるその間が、一人分空いていたので、失礼しますとそこに座ることにする。まもなく紫の衣を着た僧侶を先頭に、三人の僧侶が入ってきて御宮殿の前に座すと、紫の衣を着た僧が、経を唱え始めた。祈祷札と回向札は僧侶と聖観音の間に立てられて並んでいる。歌のような、和讃であろうか。内容は、参拝の人々の賑わいにかき消されて、歌のような音だけが聞こえてくる。自分には、それが、なぜだか自分が幼いころ、母がよく歌ってくれた『五木の子守歌」のように聞こえるのだ。右隣の大仏のおかあさんは大きな木の数珠玉を数え始めている。左隣の夫は、目を閉じて聞き入っている。僧侶の歌が終わると、おそらく三人で経を唱え始める。観音経であろうか。「念彼観音力・・・。」やはり、参拝の賑わいに消されて、内容が聞こえてこない。自分は聖観音の真言を心で唱える。「おんあろりきゃそわか。おんあろりきゃそわか。おんあろりきゃそわか。」聖観音の契印を公開、解放して手で組みながら・・・。法要が終わると、僧が去り、座っていた人たちは案内の僧に促され、順番に焼香を始める。自分は一番最後の方で、大きな木数珠のおかあさんと焼香を終え、住職から木札を頂いて、内陣を出た。
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