彼岸なので、春分の日は休日ということもあって、みんなもお墓参りしたかな?
俺も生まれ土地の鬼石町に訪れて、墓参りをした。非常にいい天気で、墓参り日和だったね。
P.S. 帰りに藤岡市の虎屋に寄って、瓦煎餅を買い、もう少し足をのばして吉井を抜けるコースで高崎に向かい(これが当時の我が家のお買い物ドライブコースだった。親父の運転で。)
、某デパートで買い物をして、サービスチケットをもらったので、2Fのカフェで珈琲とケーキを食べた。モンブランである。俺だって、ケーキも食べたりする。おいしい珈琲とケーキだった。そして、この日はひとり珈琲じゃない。さて、デパートはどこで、相手はだれだったのでしょうか?
俺も生まれ土地の鬼石町に訪れて、墓参りをした。非常にいい天気で、墓参り日和だったね。
生まれ土地の鬼石町は、なんの変哲もない小さな田舎町で、今日も静かに佇んでいた。子供の頃、ガキグループを作って、神流川で泳いだり、石の投げ合いをしたり、三波川渓谷で遊んで、沢蟹をとったりした。町のなかでは、先に書いた銀玉鉄砲で遊んだ。勿論、それだけではなく銀玉が流行る前は、チャンバラをやったり、缶蹴りやだるまさんが転んだ、二グループに分かれてやるかくれんぼ(逃がし)なんかをしてよく遊んでいた。山遊びは、町の西にある山を一本松と呼んで、そこには、秘密基地を作った。東側の山は一本松より高く、二本杉と呼んでいた。山道をひたすら登り、川の中や川のほとりを登ったりして、山頂征服を楽しんだものである。町の周りじゅうの山に登った。ある時は、はるか峠を越えて隣町まで行ってしまい、夜になって車で迎えに来てもらったこともある。相棒のYと秘密で、穴を掘り続け、地球の裏側に行くことを計画したこともあった。三波川渓谷には、一面、青緑の砂でできた山があって、俺たちはその山を青い砂と呼んでいた。「今日は、青い砂に行ってみるか!」ってな感じである。今思うとその青い砂は三波石が自然に削られてできたものか、或いは石を削った石の削り粕が捨てられてできた山かもしれない。
鬼石というのは、興味をそそるような不思議で変わった地名だが、幼いころ、「鬼が石を投げたその石のある場所(鬼石の神社になっている)ということで、鬼石という名がついた」という話を聞いたことがある。鬼石町に伝わる昔話からその名がついたのであろう。名物の八塩煎餅は藤岡の瓦煎餅とはまた違い職人技で焼いた非常に薄い煎餅(また磯部煎餅も薄いがそれよりも更に薄焼きである)で、地酒は鬼面山である。三波川には、天然記念物となった寒桜が山頂付近一面に咲く観光名所の桜山がある。健康ランド風の桜山温泉が後からできたが、古くから八塩館と神水館という温泉旅館もある。
天気がよかったので、その日は桜山に登り、鬼石町を山頂から眺めた。
(^^)/R. Thank You !
(^^)/R. Thank You !
P.S. 帰りに藤岡市の虎屋に寄って、瓦煎餅を買い、もう少し足をのばして吉井を抜けるコースで高崎に向かい(これが当時の我が家のお買い物ドライブコースだった。親父の運転で。)
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