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焼き肉ご飯

   夕飯時や昼飯時のランチ狙いで、、ひとりで焼き肉屋で、焼き肉ご飯を食べるってのは、それなりに根性がいるもんである。カウンターかなんかあればいいが、カウンターが無い店だと、ボックス席を独り占めすることになるからだ。それでも、どうしても焼き肉屋でひとり飯したくなった時には、それをやるしかない。ずっと焼き肉みたいなものを食べない日々が続いたが、ある日、焼き肉を食べたくてしょうがないというほどでもないが、食べたくなった。そこで、高級焼肉店ならそんなに混んでもいないだろうと思い、米沢牛でうってる琥珀屋(以前は確か、一口ステーキの焼き肉弁当が美味しかった、喫茶店風レストランだった)に行くことにした。
 それでも、二組待ちくらいになっていたが、待つことにした。店内は、全く改装されていて以前とは違う。段違いでボックス席が置かれているようだった。席が空くとボックス席に通され、注文をする。飲みたいわけじゃないので、ノンアルコールのビールを頼をんだかな頼まなかったかな、カルビ、レバー、鶏ももと野菜焼にご飯を頼んだ。まもなく、肉や野菜が皿に盛られて運ばれてきて、カルビからどんどん乗せて焼きはじめ、まず、カルビを食べると、これまたやっぱり旨い!ご飯も進むってなわけである。焼き肉ってのは、タレで食べるもんだから、旨いってのは、タレの味と肉の食感と肉汁と脂身の味ってことになると思う。何が旨いんだと聞かれると、焼いてタレ無しで食べても旨い味ってことになると思う。実際、いい肉は旨い。それで、その晩はひとり美味しく焼き肉ご飯を済ませたというわけだ。ウエイトレスのお姉ちゃんも。まぁ、愛想のいい可愛い娘で、気分も悪くない。若い時だと、むしゃむしゃ食べたいだけ食べて、そういうわけにはいかないと思うが、それで3,900くらいだったかな。この歳になるとそれで腹いっぱいで十分なんだ。

 墓参りをした翌日は、じゃあ、高級焼き肉を食べに行こう!ということになり、風の強い日だったけれども、二人で出かけたが、あいにく、本日は予約で満席ですみたいな、表示が入り口にあった。ちぇっ!なんだよ、せっかくまた来たのに。少し拍子抜けで、がっかりもしたが、焼く肉を予約して食うってのは、いったいどんな奴らなんだよとその中に自分がいなくてよかったという気もした。とは言っても、焼き肉食おうで出た以上、おなかは焼き肉のおなかになっているので、次の焼き肉屋に向かうことにした。ランチでTと一緒に食べた、別の焼き肉屋が頭に浮かんだからだ。その店は値段も手ごろで、値のわりに肉の量も多く、味もよしで、満足した店だからだ。週末のせいか混んでいて、やっぱり、二組待ちくらいであったが、少し待つと、名前を呼ばれてすぐに二回のボックス席に通された。メニユーをみて、昼のランチセットとは違い単品で注文する。まず、ノンアルコールビールと、それからカルビ、レバー、豚カルビ、野菜焼とライスとスープをそれぞれに頼んだ。スープは彼女は、卵スープで俺はカルビスープにした。話しながら食はどんどん進み、最後にデザートの黒ゴマのアイスクリームをオーダーしてそれでしめ。美 
 
味しかったなぁ。ひとりじゃないってことも手伝っていたかもしれないけど。この店は席も座敷とボックスとあり、入り組んでいてたくさん席もあるようで、更にそのボックス席の四人掛けがゆったりと余裕があって、本当にお薦めだな。二人で食べても3,900だったかな。




 さて、世ではよく焼き肉を男女二人で食べる仲はなんとかと言うもんだが、彼女とはいったい誰だったんでしょうか?また、この焼き肉店はどこなんでしょうか?

ヒントは、「ジンと肉」だよ。

 
(^^)/R. ありがとう!

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