実は、エレキ・ギターは練習し始めて、まだ1年ちょっとである。ギターには大きく、クラシックとフォーク、そしてエレキとあるからね。エレキギターのどこがいいのかと言われると、それは、まさに電気ギターであるところということになると思う。エレキ・ギターは、アンプによって音を増幅、増大し、また音を作るという他のギターとは大いに違う面があると思う。それは凝って、はまればはまるほど、創造の世界も無限大に広がる面であると思う。しかし、当然、なまくらなギターの腕やテクでは、思うように音は出せないので、ひたすらギターを弾くというある意味、地味な練習、作業が必要になるということになる。おそらく、名だたるロック・バンドやギタリストによって、その音の全ては、限界近くまで、出し尽くされているんだと思う。でもね、ポロポロ、ジャンジャン、ザッザッ、ピンピン、キンキン、ポンポン・・・と弾いているうちに、まだ誰もそのギターで出したことのない音に辿り着けるかもしれないよ。なんちゃってね。
それから、二つ目の理由。自分にロックが定着しているのか?ということである。
俺たちの世代は、戦後の第二期のといったらいいのかな、欧米文化ナイズまっさっかりの時代に果敢な時期を過ごしてきたもんだから、個人差は多いにあると思うが、欧米のロックやポップスの影響受けまくりといっていいと思う。今は、全くないのだが、柳ジョージがフェンスの向こうのアメリカを思うように、幼、少年期、確かに欧米、特に自分の場合はアメリカに憧れがあったと思う。例えば、スーパーマンや宇宙家族ロビンソン、サンダー・バードやら、・・・ジョン・ウエインやジェームス・ディーンといったような文化的な影響は、いつも自分が育った時代のポップスやロック交じりであった。子供や若者というものは、いつの時代も新しいものの魅力、ここにないものの魅力に憑かれるものである。だから、少年期の自分は、確かに、N.Y.の摩天楼に憧れながら、また飽くなき興味と好奇心を持って、ロックやポップスを漁ってまで聴いていたという記憶がある。
ロックとの衝撃的(あのときはそんな風だった)な出逢いは、具体的にいうならば、それは、小学校時代、友人のUの家での出来事であった。Uの兄とUと俺の三人は、卓上プレーヤーの上にのせられた中心に青い林檎の絵のあるレコードを見入っていた。Uの兄がレコードの上に針を置くと、ちょっとした卓上プレーヤー独特のノイズの後、なんとも衝撃的かつ魅惑の音楽がそのノイズをかき消すように、鳴り響いたのである。Beatlesの『A Hard Days Night』だった。今、思うとそれはあまりにシンプルであるのかもしれないが、所謂、ハード・ロックというものではないが、ロックン・ロールを基盤とした、永遠に魅力的な彼らのハーモニーと楽曲、そのレコードの音楽、それが自分とロックとの出逢いで、また始まりであったと思う。思い出すと、その頃、小学校の教室の休み時間、Uと仲の良かった友人のTは、机をステージにして、机の上に立ち、タイガースのジュリーを歌っていた。なかなかあのステージは見ごたえがあったし、楽しかった。あとから、みんな見えてきたことなんだが、タイガースは、ビートルズの影響で我が国に生まれたグループサウンズのひとつのバンドである。ビートルズは、我が国にグループサウンズと長髪をもたらした。その後、天地真理や南沙織・・・が歌い、新御三家が生まれ、そして、同時進行で日本には、ロックとポップスが流れ込んでくるのだけれども、その頃は、例えばビージースが『メロディ・フェア』を歌い、ミッシェル・ポルナレフは『シェリーに口づけ』、ニール・ヤングは『孤独の旅路』、デビットボウイは「スターマン」・・・なんかを歌っていた。そして、我が国にプレスリーとビートルズ影響の矢沢永吉のキャロルが、また宇崎のダンタウンブギウギバンドが生まれる。そして、同時進行の世界のロックは(ロックンロールから)ハードロック、ブリティッシュ、グラム、パンク、メタルと進化を続けていく。当時から歌い今も残る息の長いバンド、アーティストをあげると、ローリング・ストーンズ、イーグルス、エアロスミス、デープパープル、マドンナ、ボブ・ディラン、シンディ・ローパ、クラプトン、ニール・ヤング、ブルース・スプリングスティーン等々・・・。最近、別に当時を懐かしむ層によるバンドの復活ブームというのが確かにある。とにかく当時の俺たちは、自分でロックやポップスを漁り、一方、TVでほとんどポップス化した日本の歌謡曲を聴いていたりするいわば、聴きの両刀使いで、興味と好奇心が先行して夢中でやっていたけど、それはそれなり大変だったんだ。友人のAが俺に聞いた。「ビートルズってのは、エルピー!エルピー!って歌ってるけど、あれはレコードのLPのことを歌ってるんか?」「なに言ってんだよ。ちがうよ。レット・イット・ビーって歌ってるんだよ。」同時代として聴き始めたかと思うと皮肉なもんで、ビートルズはすぐに解散してしまった。H市の今は無い文映という映画館で、立ち見で『Let it be』を見た。ビルの屋上でいきなり演奏を始めるビートルズがたまらなくカッコよかった。通行人も思わず、見上げて聴き入っていたと思う。あれは彼らのゴールデン・スランバーだったのかもしれない。
その後、遅れて日本には、ピーターポール&マリーやジョーン・バエズ、ボブ・ディラン等の影響を受け、空前のフォークブームが起こり、森山良子が『この広い野原いっぱい』、赤い風船は『遠い世界へ』を歌い、小室が『おはようの朝』を歌い、岡林が『山谷ブルース』、及川浩平が『面影橋から』を歌い・・・、拓郎が『春だったね』、陽水が『傘がない』、こうせつが『神田川』を歌うというようにそれもあげればきりがない。更にだ、これもビートルルズ影響だが、フォーク・ロック・バンド、チューリップや甲斐バンド、さらに佐野元春、オフコース等が生まれる。ここで、日本のロックは、ポップス系ロックの方向をとろうとしていく。そうしてある程度までいくと同時進行の世界のロックは熟しきって、そこからは音(サウンド)の輪廻が始まったと俺は思っている。さらに日本は、マイルスの影響で、フュージョンブームが起こり、同時にリズム&ブルースとは別の、ジョージ・ベンソンのようなフージョン系ブラック・ミュージックもおこり、『南から来た十字軍』のクルセイダース・・・、更にリー・リトナーやラリー・カールトン、ボブ・ジェームス等々がもてはやされた。我が国にも渡辺貞夫グループの中から、本田竹廣率いるネイティブサンというフュージョンバンドが生まれ、そこからは、渡辺加津美等、日本のフユージョンバンドが生まれた。フュージョンブームとほぼ同時期に、一世を風靡したと思われるシンセサイザーを駆使したYMOが誕生するのである。そのあたりは入り乱れていたと思う。
おおざっぱではあるが、俺たちが受けてきたミュージックの欧米ナイズってのはざっとこんなもんであったと思う。それは本当に話し始めればきりがない。内外、同時進行で影響されているので入り乱れていたり、多少前後するところがあったら、申し訳ない。さて、エレキ・ギターの話に戻すと、それで、我々の世代は、確かにロックの音楽的影響は十分受けてきているけれども、果たして、それが、自分に定着しているかという問題である。聴く耳は肥え、確かに思考として定着しているけれども、自分の身体に定着していないなと俺は思ったのである。それをまさにロックの定着というのではないかという風に。それを、自分に思わせたのは、BOWYを思った時なんだ。あれは、俺がもうあんまり本気で聴くもんはないかなぁなんて思い始めてた時、Boysが、いいから聴いてみてみてと自分に進めてくれた、キャロル、矢沢栄吉以降、日本の一世を風靡したロックバンドだと思う。あれ以来、ロックは少年たちに本当に身近なものになり、エレキギターを持って歩く少年たちを見るようになった思う。かつて、フォークブームが俺たちの世代にフォークギターで、フォークを定着させたようにである。そのBOWYにおいて、日本にロックは真に定着し始め、そこからまた数々のロックバンドが生まれ、今に至る日本のロックの進化があると思うのである。ここからは、本家本元とか、差別とか抜きに、全世界にメッセージを送るような、待ちに待ったアーティストやバンドが、つまり、プレスリーやマイルスやボブ・マリーやマイケル・ジャクソンやマドンナというようなスーパー・スターが我が国からも生まれるかもしれないなという期待があるのである。今、Boys&Girlsが聴いていて教えてくれたOne Ok Rockのあたりから・・・。もし、それでもかなわないとしたなら、それは、パまだ、実力、フォーマンス不足か、この国にUSAのようにスーパースターを世界に売り出す地盤がまだできていないか、あるいは悲しくて悔しいが、人種差別であると思うのである。かつては、どうだろう?世界にアピールした日本の歌やバンドは、坂本九の『上を向いて歩こう』か、かろうじてYMOくらいかなと思うのである。
音楽好きなところがあるもので、つい話が長くなったが、ようするに、エレキ・ギターをやる第二の理由として、真には自分には定着していなかったロックを定着させてみようということである。同時にそれはフォークギターじゃなくて、まだやったことのないエレキ・ギターへの新しいトライ、試みということになると思う。
第三の理由は、コストパフォーマンスである。練習用のエレキ・ギターなら、チビアンプやシールド、教本等、すぐ音が出せるようなセットになっていて、中国産で2万円くらいで購入できて、これの音が全くまずいかというと、そんなことでもない。まあまあの音が出る。それにその後、趣味としてギターをいくら弾いたって、お金はかからないだろう?たまに自分のギターの音をある程度の音で確かめたい時は、個人練習でスタジオを借りて、大きなアンプにギターを繋いで音を出してみるのもいい。長く弾いているとわかってくるんだと思うけど、最初のうちは、そういう音をだしてみないと、エレキギターの音ってのが、みえてこないってのがあると思う。空いている時間を利用で1時間500円である。要するにエレキギターは金がかからないってことである。ただセットでついてくる極小アンプより、もう少し大きな練習用のアンプを購入する必要はあると思う。
第四の理由は、ひとり練習に飽きたら、仲間を探して、バンドを組んで、練習をするという楽しみがある。生の演奏でノリや演奏がピッタリ合った時の気持ちよさやビートにのった時の気持ちよさってのは最高である。
第五の理由は、あなたも是非エレキギターを弾いてみて欲しいんだけど、アンプにつながないで弾くときの素の音がまた俺は非常に気に入っている。フォークギターとは確かに違う。
あなたもどうかなと思っていたりしたら、ためらわず、是非、エレキ・ギターを弾いて下さい。
ということで、
1音の創造の楽しみ 2ロックを真に自分に定着させる 3金がかからない 4バンド練習の楽しみ 5素の音の魅力 でエレキ・ギターをやっているということになると思う。
更に個人的なきっかけを言わせて頂くと、母が亡くなって、仕事に戻るまでの供養の時期に、声を出したほうがいいなと思うところがあって、フォークはやっていたので、フォークギターで歌を歌おうと思ってフォーク・ギターのリペアまでを自分でやったのだけれども、どうせやるなら、やってなくてやりたいと思うものをと思いエレキ・ギターを購入した。ただ、供養の時期に歌を歌い、エレキ・ギターを弾くということには抵抗が当然あったのだけれども、母が聴いてきた昭和歌謡をやるのであれば、それは供養ということにもなるだろうと思ったわけである。また、昭和歌謡のカバー的なもの(ジャズやロックで)は、もともとやりたいと思っていたからである。それでその時期に自分は、母の供養のために経を読み、そしてエレキ・ギターを弾きながら、昭和歌謡をロックにするアレンジで歌い始めたというわけです。
昭和歌謡といってもなんでもかんでもということではなくて、既にもろポップスになっている曲をやったとしても、あまり変わらないと思うので、おもしろくない。正に昭和歌謡というような曲の中からあるイメージと雰囲気を醸し出すような曲を選んで、ロック・ビートにのせるという企画である。味としては、オーケストラバンドを電気楽器で演奏するようなイメージでなく、シンプルで、多少粗削りであっても、まさにロックに聴こえるようなアレンジを目指してやっていきたいと思っている。
昔ジャズをやっていた時に(その時はピアノをやっていた)、一緒に練習したことがあるベースの人と今、月に1か、2くらいの練習をしている。まだ自分のギターはへたくそだけれども、一曲一曲地道に仕上げていって、レパートリーを増やしていきたいと思っている。
今、ドラムのメンバーを探していて、募集中なので、この企画に賛同する人でロックビートを叩ける人がいたら、是非、俺と一緒に練習してやって下さい!よろしく!
(^^)/R. Thank You !
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