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天国

 そう、あの日、浅草を訪れた日に、前回行かなかった浅草らしい喫茶店を訪ねた。

 一軒目は、「天国」である。店構えからして、なんともレトロというか、下町っぽくて、しかも、どこかポップな感じがする。若いカップルが待っている様子である。ドアを開けると、女店主が出てきて、今、奥が空くので、もう少し待ってて下さいという。ちょっと待ってると、女の子が二人出てきて、店の前に置いてあるガチャガチャを回した。そして、出てきたプラスチックボールを手に取ると、ガチャガチャにある写真を指差して、これとこれがいいかななどどいいながら、去っていった。見てみるとガチャガチャには、喫茶天国のオリジナルバッジが何種か入っているらしい。そんなこんで、通りを行く人々を眺めていると、どうぞ、ひとつ席が空いたのでという。店内は非常に狭くて、もとから入っていた若いカップル二人と、外で待っていたカップル二人と、奥に四人の熟年仲間らしいグループ、そして俺は、男の子二人に挟まれて座ることになった。店の常連らしい熟年仲間は話をしていたが、可愛い女の子と男の子のカップルは、どちらも特に話はしていない。両サイドの男の子はスマホを見ていて勿論、話しをしていない。で、なんでそんな男の子や女の子がいる店にあなたはいるの?とあなたは思うかな。俺はいわば、奥にいる常連と同じ世代で、ようするに今のスマホ事情がこういう状況を作っていると思われ、あまりそういうことを気にしていないというのと、写真好きともの書き好きの酔狂とでも思って頂きたい。


  定番のホットドックとホット珈琲を頼んだ。定番というのは、ホットドッグのコッペパンに天国という焼き印がおしてある。しかし、持ってこられたホットドックには、焼き印が押してなかった。ん?と思ってひっくり返してそこまで見てみると、コッペパンの底に何故か押してあった。そのコッペの写真撮りたかったのになと持ったが、ま、いいやと思い、パックリとホットドッグを食べて、珈琲を飲みながら、それとなく前の席の若いカップルを観察していると、可愛い女の子は、ロールケーキかなんかを食べていて、男の子は、それを黙ってみている。男の子の表情は、どことなく時々曇りがちで、不安そうな感じが伺える。おい、お前の気持ちはわかるよ。でもな、その年ごろの女の子ってのは、こういう店に来てみたいもんなんだよ。喧嘩すんなよ。などと俺は勝手に思った。
 天国の珈琲もホットドックも旨い。

 女店主に勘定を払いながら、俺みたいなタバコ吸いは、最近は店の中でも吸えない、また、外でも吸えないで、ほんとに困っちゃうんだと言うと、うちは吸っていいんですよという。え?そうなんだと思ったが、でもなんか雰囲気が・・・と言うと、じゃあ、また、空いているような時間帯にのんびり来てくださいと言った。気さくな女店主だ。付け加えて言っておくと、この店には、外のバッジ以外に、金魚絵のコップと珈琲缶のオリジナルグッズがある。どちらもポップないい味を出している。それから、あとで思ったんだが、若い二人なら、二人でヘブンへということだろうが、俺くらいの歳だと、そのまま天国に行かれてもこまるので、裏に焼き印をおしたんじゃないかな。それは、考え過ぎってことでもないだろう。

 (^^)/R. Thank You !

  

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