浅草寺で「金龍の鈴」を頂いたあと、この鈴を福島で叔母と暮らしている叔父にも届けようという思いが起こった。なぜなら、叔父はお袋の世話をしている期間に、お袋のことを心配して、しばしば、はるばる福島から訪ねてくれたからだ。叔父の口癖は、こうだった。「お姉ちゃんのことをよろしくたのむ。」
鶴ヶ城を見た後、既に夕食の時間は、過ぎていたので、会津と言えば、男のひとりめしは、馬刺しとソースカツ丼!会津若松市内のとん亭という店でそれを頂くことにした。店に入ると、安倍総理も訪れたらしく、総理の写真が飾ってあった。馬刺しは新鮮で無味無臭でさっぱりした味、ニンニク醤油で食べる。ソースカツ丼はボリューム満点でこってりしたソース味。
(^^)/R. ありがと!
そう思い立ったら、その日、俺は会津に向かって車を走らせた。叔父に前もっていうというのが常識だと思うが、前もって言っておくといろいろ気を遣うので、連絡をしないでいきなりいくことにしたんだ。
お昼頃出て、午後三時すぎくらいには、猪苗代湖にいた。以前もお袋を連れて叔父のとこは何度か訪れたが、会津観光というようなことはしたことがなかったので、ここで会津観光をしてから、叔父の家に向かうことにした。
その姿が現れた時は、感動的だった会津磐梯山を右手にみながら、高速を降りる。思っていたより広かったんだなと思う猪苗代湖には、白鳥が泳ぎ、白鳥船が浮かんでいた。それから、下道で磐梯山を意識しながら、会津若松に向かい、さざえ堂、鶴ヶ城というコースをとった。さざえ堂は、飯盛山の山頂にあって、白虎隊の霊堂とともに、その存在感を持って建っていた。このお堂の中を一巡りすると、観音巡りをしたのと同じ利益があるそうである。木造の堂の中の階段が螺旋状をしていて、極めて珍しい古い日本建築と思われる。堂は螺旋状の形をとり、塔のような体を成している。それでさざえのような形をしたお堂ということで、さざえ堂とよばれるようになったのだろう。帰りがけに一度、飯盛山を振り向いた時、脳裏に白虎隊の少年たちのことが浮かび、涙ぐまないわけにはいかなかった。そして、ここで見たさざえ堂は、いわば観音堂で、観音つながりだなと思ったんだ。おおげさな言い方をすれば、観音が俺を導いたんだなと思わないではいられなかった。鶴ヶ城はすでに西日を浴びていたが、その
名のとおり鶴のような美しい姿をして、会津若松市内にそびえ建っていた。城を出るころにはライトアップが始まっていた。
鶴ヶ城を見た後、既に夕食の時間は、過ぎていたので、会津と言えば、男のひとりめしは、馬刺しとソースカツ丼!会津若松市内のとん亭という店でそれを頂くことにした。店に入ると、安倍総理も訪れたらしく、総理の写真が飾ってあった。馬刺しは新鮮で無味無臭でさっぱりした味、ニンニク醤油で食べる。ソースカツ丼はボリューム満点でこってりしたソース味。
食べた後、車を会津坂下に走らせ、お土産の「赤城山」の一升瓶と薬膳クッキー、金龍の鈴を持って、叔父の家の玄関のドアを開けた。
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