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Fukushima Tripalbum Ⅱ


福島アルバムには、パートⅡがある。

  会津を去る日、叔父に「また、すぐ来るよ。」と言って別れたが、すぐまた来る予感がしたし、会津磐梯山はよくよく眺めて、満足したが、安達太良山を見たいという気持ちと、今、福島県立美術館で若冲をやっているので、叔父と叔母をそこに連れて行きたいという気持ちがあったからだ。

 甥のTに馬刺しとソースカツ丼の写真を送ると、「俺も食いてー。」ということになり、Tと一緒に、T曰く、「男旅」で行くことになった。

  今回の福島は安達太良山への思いがあって、裏磐梯から攻めることにした。二本松のカツでやっぱり、馬刺し名物ソースカツ丼を食べて、宿に向かうころには、日は既に暮れていて、雪が降り始めた。今年、二度目の「春の雪」である。

 
「あどけない話」高村光太郎

智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山(あだたらやま)の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。


・・・・・

(『智恵子抄』より)
 
 


安達太良山は、雪解けを待ち遠しく、待ちに待って訪れた登山者の場所だった。スキーをすれば、急な斜面を見せて、登山者たちをニッコリと向かい入れるように静かに佇んでいた。そして、俺は今回の福島Tripで、なんと幸運にも、今年、二度目の桜の開花をみることになった。


 裏磐梯から、安達太良山表磐梯猪苗代湖会津坂下喜多方鶴ヶ城というコースで旅をした。会津坂下からは、叔父と叔母も一緒に。
 
 
 
(^^)/R. Thank you !
 









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