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毛虫予防と風呂の椅子

 今日は、お休みだったので、いつものようにゆっくり起きて、自家製王様のブランチを食べながら、昨晩見ていた古いドラマ、豊悦の「愛していると言ってくれ」を思い出していた。豊悦も若いが、常盤貴子は子供みたいだったんだな。その前は、ドラマ版の「世界の中心で愛を叫ぶ」を観た。そのドラマは俺に空景のことを考えさせ、その思考は少し次元を変えて空海にまで及んだ。それから、そういえば、風呂場の椅子が割れてるから、今日は新しいのを買いにいこうかなどと今日はなにすっかなの筋を考えた。そうなんだ、風呂で椅子に座って体を洗っていると、チクチクなんか尻が痛い、何回もそう感じたのだが、気にしないでほっておいた。尻に傷があるとか・・・、小さなできものができているとか・・・、そんなことより仕事のことが頭にあって、気にしなかった。そうして2、3週間過ごして、明日お休みの昨晩、もしかしたら、プラスチックの椅子が割れてるんじゃないか?と思い確かめて 
 
みると、確かに五センチくらい裂けていて、座ると口が開いて俺の裸の尻に噛みついていたのだ。やれやれだよ。風呂の椅子に噛みつかれるやつなんて、俺ぐらいしかいないだろう。さらに庭の冬桜はもう葉桜も通り越した。ところが、幹をみるとなにやら、くっついている。よく見ると大きめの茶色い毛虫だった。う~ん。しょうがないな。たぶん、この親玉みたいな毛虫が卵をこれからたくさん産んで、そして梅雨があけるころ、ウジャウジャと毛虫が発生するんだろう。今日はこれをやっつけるかなということになった。

 まず、ユニクロでパンツとシャツとジャケットを買ってから、ホームセンターへ行って、風呂の椅子と風呂だわしを買い、それからホームセンターの女の人に相談して、毛虫退治の薬品を選んだ。オルトロンとか、なんとかいう名前の薬品を選んだ。毛虫予防用の噴霧器も購入した。そして、家に帰り、トーストをかじって簡単におやつをとってから、合羽をさがしたけど、見つからなかったので、ビニール系の薄いパーカー、下は冬もののナイロンズボン、プラスチック眼鏡、マスク、手袋、長靴という防備をして、薬品を500倍希釈で噴霧器に入れ、桜の木中心に庭の植木、菊にも噴霧を済ました。これで毛虫の大量発生は免れるといいんだけど。作業が終わってから、作業しながら気づいた新たに咲いた庭花の写真を撮った。花はなんだか得意そうにしていた。

 今夜は、茸だけの汁で、さっぱりした茸汁うどんでも作るかな。
 
 
(^^)/ Thank You !

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