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新宿

   10年ぶりに、新宿はどうなっているのだろう?と思い、立ち寄ってみた。

かつて自分にとって新宿は、大学時代のサークル(文学研究会)の大きなコンパから始まって、仲のいい友と酒を飲んだり、また食事をしたり、映画を観たり、新宿御苑を散歩したり、伊勢丹や丸井等のデパートで衣類をみたり、ジャズのレコードを探したり、ピットインで好きなジャズをさんざん聴いたり、写真を撮ったり・・・・という街だった。

足は自然にかつてアルパのあった出口から出て、そうして、ランチタイムということもあって、懐かしいラーメン屋を探し、またジャズ喫茶に向かった。そして、歌舞伎町の中心に、確か噴水があったかな?その中央の広場に向かった。さらに区役所通り、花園、ゴールデン街へと。そうして、大通りを渡り、昔、ピットインのあった場所を通り抜け、また、DUGに至る。ジャズ喫茶もかつては、DUGだけでなく、何軒かあったんだ。例えば、木馬とか・・・。西口やガード付近には、全く縁がなかったというと、そういうことでもない。とにかく、その日はそこに足が向かったということなんだ。

変わったとこと言えば、コマ劇場がなくなり、そこに大きな東宝?のビルが建ちそびえ、ゴジラが新宿の中心部に出現したということだ。そして、かつてはあったジャズ喫茶やジャズの店が無くなり、中央広場の突き当りの映画館が消え、そこが、突き抜けている。アルパは無くなったが、駅周辺に、紀伊国屋はあり、高野フルーツパーラーも、中村屋もある。短時間で見たからわからないところもあるかもしれないが、見た目であっても、見えないところであっても、10年もすれば、他にも変わったところは、あるのだろう。何がそれを変えたというならば、原因はやっぱり、よくもわるくも、商業に伴うスマホの情報革命であると思う。しかしながら、新宿のような古い街は、その根っこはやはり変わらないだろうと思うのだ。だから、DUGのマスターはいつまでも、いつまでも、その店を維持し続けて欲しいと心から願うのである。そこには、見えるものと見えないものと新宿とジャズの歴史が刻まれていると思うから。

 今回は短時間であったが、新宿を去るとき、「青春のかけらを置き忘れた街」という河島英五の歌のフレーズが頭に浮かんだ。新宿だけがそうだと言いたくないような気持がどこかにありながら、でも、そう言うならば、ある時期の青春のかけらを置き忘れた街であるのかもしれないと思うところがあって、少しまたセンチになって、涙ぐむ俺がいた。










Mu u u・・・新宿さ♬。

 

(^^)/R. Thank You !

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