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桜島 Ⅰ

   九州道を鹿児島北インターで下りて、鹿児島市内に入り、港に近づいていく。小高いエリヤから、低い方へと道は街の中を走りながら続く。既に夕刻も過ぎ、夜の時間に入っているのに、まだ薄明るい、すると突然、パッと目の前に、錦江湾の向こうに薄っすらと桜島が現れる(桜島。俺は来たよ。と心で言う。)。その瞬間、何故かこみ上げてくるものがあった。涙が止まらない。

 俺は本当に、桜島をこの目で見たかったんだなということに気づいた。車で走ってくるにはあんまり遠いので(距離は片道約1,500km。時間にして19時間。)、少し躊躇いもあったが、来てよかったなと思った。かつて、車で走って青森から北海道にフェリーで渡った時、この次は桜島フェリーだなと思っていた。そして10年くらい前からその思いが強くなっていった。その思いに拍車をかけたのは、長渕剛の「いつかの少年」や「桜島」という歌だったことは、自分にとって疑いもないことである。

しかし、港に着いてホテルを探しているが、その時には、桜島はどこにも見えない。とすると、さっきのは幻か、蜃気楼だったのか・・・と思う。ホテルに着いて、指定のパーキングに車を収め、部屋に入った時は、既に八時過ぎだった。ひとまず、夕食だな。ひとりでこういう遠っ走りをしていると、ご当地の産物は食わずじまいで、結局、サービスエリアかコンビニで済ますことになることが多いからだ。

   ホテルを出て、徒歩でまず、酒寿司というのが美味しそうだと思い、そこを目指すが、辿り着いてみると、残念無念、既に閉店。そこで、第二希望の黒豚を食うことにする。『黒べえ』という店で食べることにする。料理人も給仕も若者でやっている感じの店だが、ちょっと初代と思われるおやじが顔を出したりする。給仕の女の子は愛想のいい子で悪い感じはしなかった。黒豚とんかつのヒレを定食で食べた。まぁ美味しかった。と同時にミッションとして当地の食をひとつクリアして嬉しい気持ちにもなった。だから、機嫌よく店を出た。

 
  大通りを歩いて帰ると、鹿児島ではまだ、都電が走っていて、その光景がなんともレトロというのか、ノスタルジックな印象を与えた。そういう街に住んでいたわけでもないのに、なんでだか、懐かしく温かくて、故郷にいるような気がした。

   ホテルにすぐに戻らず、港に向かった。夜の港の向こうにうっすらと桜島が見えるんじゃないかというような気がしたからだ。そして、明日乗る予定のフェリーの場所や位置を確認しておきたかったからだ。港に近づくと海から熱を帯びた風がかなり強く吹いていた。しかし、汗をかきながら港のどこをどう歩いても桜島は見ることができなかった。街側の空に綺麗な月がでていた。

 
(^^)/R.  Thank You  !

『桜島』 -長渕剛-

錦江湾に陽が沈み
海が赤く血の色に燃え始める
照り返す雲は紫に染まり
鋭んがったまんまでモクモクと息をしている

俺は桟橋から
桜島フェリーに乗り
山よ、岩肌よ、ゴツゴツのおまえ
貴様の前に立つ

燃えて上がるはオハラハー桜島
丸に十の字の帆を立て
薩摩の風が吹く

 

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