振り返って、そして遡って60年代のロックを聴いている自分にとって、また、『Atlantic Crossing(1975)』からロッド・スチュアートを好きになって聴いてきた自分にとって、フェイセズを聴くことは、60年代からのロックの森のなかで、親しい友達と出会うような感動がある。ロッドの歌声を聴くだけでひとまずホッとしてしまうところがある。
フェイセズのデビューアルバム『First Step (1970)』は、やはり自分が好きでよく聴いてきたボブ・ディラン(ボブ・ディランもその歌声を聴くだけで自分はホッとしてしまうところがある)の『ジョン・ウィズリー・ハーディング』からのカバー曲で、「ウイキッド・メッセンジャー」から始まる。ボブ・ディランはブルースハーモニカを吹きながら、2ビートの跳ねるような感じのアップテンポでこのブルースを歌っている。ドラムもベースも入っているが、アコスティックブルース調である。アルバムのタイトル曲や「聖オーガスティンを夢に見た」「見晴らし塔からずっと」「フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド」などと比べると、ブルース曲の押しではあるが、あまりパッとしない曲である。
ところが、フェイセズが歌うこの曲は、全く別の曲かと思わせるようなロックテイスト溢れるアレンジで、更にロッドのボーカルとロンウッドのリズムギターとくると別の命を吹き込まれたようで、本当にいかしている。ブルースロックというより、グルーブ感が効いたリズム&ブルースロックなのである。そして、ボブ・ディランのオリジナルの中から何故、この曲を選んだか考えてみた。歌詞の内容は、「悪意を持ったメッセンジャーがいて、ちょっとしたことでも何倍もにして、お世辞しかしゃべれないようなやつだ。ある日、そいつは足の裏が燃えている。海が裂け、人々が立ちはだかり、そいつは悟った。良いことだけ話せばいいと。」というような少しばかり、啓示的な意味合いもあるかと思われる内容である。フェイセズがそのデビューアルバムの初っ端にこの曲を入れたのは、まずブルースであることが挙げられると思う。それから、俺たちはお世辞でなんだかんだごちゃごちゃ誇張してやるのでなく、よい歌だけを歌うんだというようなメッセージがあるような気がしないではないが、真意はわからない。
ロッド・スチュアートとロン・ウッドは、第一期のジェフベックグループからフェイセズへの移行だが、そのころのロッド・スチュアートを聴くには、『Beck-Ola(1969)』『truth(1968)』がある。おもにブルースロックを歌うロッドが聴ける。ロン・ウッドよりジェフ・ベックの方がギターは上手いのかもしれないが、ロッドのボーカルは、ロックの歌ものの歌、歌うたいの歌を生かすという意味で、ロン・ウッドのギターの方が活きると思う。自分はどちらかといえば、『truth』が好きである。
フィセズのアルバムには、『long player(1971)』『A nood is As…(1971)』『OOH LALA(1973)』『LIVE(1974)』『Snake&Ladders(1976)』とある。どれもロッドのブルース、リズム&ブルースロック、ロックンロール、それからトラッド調ポップバラードのお馴染みのロッド節も聴ける。全体的には、フェイセズの音は、ラウドで、シャープさと切れに欠けるような印象を持っている。まだできあがってはいず、もっと洗練されるべきではないかと思ったりする。しかし、ロッドのボーカルが軸ということで、フェイセズは、既にファーストからスタイルを示し、ぶれることなくひとつの方向性を見い出していると思う。そして、そういうバンドは聴く者の耳に馴染む要素を大いに持っていると思う。ロッド・スチュアートは、フェイセズと同時に、ソロ活動を続けてきたが、やはり、自分が聴き惚れた『Atlantic Crossing』でロッド自身のボーカルをより生かすかたちで、音作りが洗練され、その後の活動があると思う。
R.
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