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桜島 Ⅴ


  料金所から島の外周を走る道路をゆったりと車を進ませながら、俺はとうとう桜島まで自分の車を走らせてきて、今、まさに走っているんだなという単純な満足感がただ心を占めていた。

そもそも桜島の名前の由来は、

①島内に木花咲耶姫命を祭る神社が在ったので島を咲耶島と呼んでいたが、いつしか転訛して桜島となった。『麑藩名勝考』『三国名勝図会』

10世紀中頃に大隅守を勤めた桜島忠信の名に由来する。『麑藩名勝考』

③海面に一葉の桜の花が浮かんで桜島ができたという伝説に由来する。『麑藩名勝考』。この説は、焼酎のCMで紹介されたこともあり、もっとも県民に知られている。

の三説が有効らしい。②なんじゃないかと俺は思うが、①も姫の名から由来するという説も夢、ロマンがあっていいなぁと思う。

 まず、ホテルに着いて、荷をおろして一服してから、桜島見学に出ようと思っていたが、ホテルを見過ごしてしまって、そのまま桜島見学に入ることになった。ホテルに入らず、まず島を見ろと桜島が言ってるんだろうと思った。

  外周を自然と走っていて辿り着いたのが、北の里の展望所。元気がよくて愛想のいい奥さんが自慢の桜島大根の味噌漬けを売っている。「まず、見てきていい?」ということで、俺は島で初めて、山(桜島)と対面した。ここからの眺めは、自然の中に立つ山が魅力だなと思う。埋もれた鳥居があったので、そこでも何枚か写真を撮った。桜島との対面が終わってから、大根の味噌漬けを試食すると、これがうまい。お土産としていくつか買うことにした。そして、奥さんが言った。「見てきたとこに鳥居あったでしょ?あれ、イミテーションだから。」「・・・・。あれイミテーションなの!ガハハハッ!」さっき、真剣きって写真を撮った埋もれた鳥居をイミテーションだと言われて思わず笑ってしまった。「これから、もう少し行くと本物があるからね。」「ありがとう。また来た時は、また寄るからね。じゃあ。」

  そこから少し走ると黒神様の埋もれた鳥居が確かにある。そのそばに樹齢何年というような巨木があって、その場所は学校と隣接していた。参道を歩くと途中、学校の外の渡り廊下が横切っていた。本堂は質素なものであったが、歩く参道といい、本堂あたりといい、その日は静寂に包まれ、妙に強い不思議な力というか、神聖な氣を感じた。先ほどの力と氣に触れたせいか、ちょっと疲れてしまって、一服したくなったところ、可愛い立て看板のある『椿の里』という店を鳥居から出たところで見つけた。店に入ってホットコーヒーを注文する。同じカウンターでママの友達らしき人がラーメンのようなものを食べている。


「昨日、鹿児島についたんだけど、夕方、桜島の陰を見るとついこみ上げるものがあって泣けてちゃったんだ。それから、ポロポロ、ポロポロ泣きながら、やっとホテルに着いたんだよ。」と話しかけると、ママは「感受性が豊かなのね。」で話が始まって、「火山の麓にいつも暮らすってのはどう?」と聞くとママは、「慣れちゃって、怖いと感じないのよ。噴火してる時も、今日は上がってる火が綺麗だななんてね。」と言っていた。そして、ここはちゃんぽんが自慢の店で、ママはロックというか音楽好きで、今、ワンオクロックの大ファンだということがわかった。空腹ではなかったのでちゃんぽんは注文しなかったけど、飲んでいたママの入れた珈琲がとてつもなく美味しかったので、その人が作るちゃんぽんがどんなに美味しいかは想像ができた。ママの友達も親切な人で、「桜島を撮りたいのね。だったら、有村の展望所となぎさ遊歩道からの眺めがいいからそこは行った方がいい。」と教えてくれた。そして道を教えるからと先に走って誘導までしくれた。ほんとうにありがとう!

 

  ママの友達が言う通り、まず遊歩道からの桜島を拝んだ。そこには食堂と売店と温泉、さらに足湯があったので、足湯に足を入れて疲れを癒した。そうして有村展望所へと向かった。有村展望所は、こちらで言うと中軽井沢の鬼押し出しのようなところで、桜島から噴出した岩石を麓に抱いた山を拝むことができた。
 
 
 
 

 
 
 こうして、その日は一日中、思う存分、桜島を外周から見続けて過ごした。気が付くと陽が沈もうとしていた。
 
 
  そして、その日疲れを癒したホテルの温泉が全く最高だった。ここに帰着、辿り着くために桜島の旅があったように思えた。
 露天風呂から眺める月が確かに微笑んでいた。
 
 
翌日、錦江湾は晴れ渡っていた。そして、桜島に別れを告げた。桜島は1914年の噴火で流出した溶岩流により、海峡で隔てられてていた大隅半島と地続きになっている。帰りはフェリーでなく地続きになった海峡を渡って、帰路に向かう九州道へと車を走らせた。途中、観音様が居る岩肌の場所があって、そこが桜島を拝んだ最後だった。蟹が出来て見送ってくれた。気持ちの中でもう見えなくなった桜島を振り返りながら振り返りながら車を走らせた。
 

 
 
 
 桜島 長渕剛
 
錦江湾に陽が昇り
命の雫が金色に燃え始める
水平線から無言の息吹よ
薩州薩摩の荒くれ俺らぼっけ者
俺は桟橋から
桜島フェリーに乗り
山よ、岩肌よ、ゴツゴツのおまえ
貴様にいだかれ俺は眠る
 
燃えて上がるはオハラハ―桜島
丸に十の字の帆を立て
薩摩の風が吹く 


 
 
 (^^)/R. ありがとう!
 
 

 


  

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