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続々々聖観音の日

 今日はめでたい即位礼正殿の儀でお休み。お休みだが、朝から雨が降っている。以前から同僚のMTと観音堂に行こうと決めていた日で、どうしようかなということになったが、いっそ雨の観音堂に行こう!というと、MTも同意してくれた。観音堂の山門付近で待ち合わせして、三人それぞれの車で合流した。Tに会って「あいにくの雨だね。」と俺は言った。しかし、一時また強く降り出した雨も、見学の段になると小降りになっていた。農業センターに連絡をして、見学させて頂くことにする。

 

 
 
 
 なんでこのタイトルが「続々続」になっているかというとですね。ブログでみなさん覚えているかな?今年の当初の浅草の観音様に始まって、春の会津のさざえ堂、そして今回の児玉の百体観音堂と観音繋がりなんだ。前回、ひとりで下見をして、今回三人できて、お堂の中の観音様を拝見させて頂くというのが目的。実は二人は既に一度来ていて、もう観音様は見ているので、優しい二人は俺につき合ってくれたんだな。本当にありがとう。実は前回ひとり夕刻に来たとき、本当に百体の観音様があるんだろうか?という疑問をもった。なんたって百体だよ。それが、あの建物の中に本当に納められているのかなぁ?という単純な疑問である。好奇心と期待で観音堂の中に入ると、観音様が一体づつ整然と収められている。「M。本当に百体あるのかなぁ。」「う~む。だって、上にもあるから。」観音堂は三階建てになっていて、正面には観音は納めてなく、一階に三つの回廊があって回廊ごとに、約10体で、ひとつのフロアに約30数体の観音様がいて、×3で百体ということになる。確かに百体の観音様がいました。それは感動だった。それにさきほどは、Tにあいにくの雨というようなことを言ったけれども、雨ゆえに静かにゆっくりと観音様を拝むことができたのである。一体一体の観音の像は一度、各地域の寺に納められたであろう像が改めてこの観音堂に運ばれて納められたということだと思う。俺は全く飽きるこなく、百体の観音様を有難く拝ませて頂きました。
 
 
 
 
 外に出ると、雨はもう止んでいた。俺は三人で来られて、本当にいい見学だったなと思った。実に楽しい時間を過ごした。MT、ありがとう。そして、観音様ありがとう。という気持ちだった。雨だったけれども本当にいい観音堂見学だったよ。その後、三人で昼食をいずみ亭という蕎麦屋で食べた。話題は河川の氾濫ということだった。俺はとろろ蕎麦を頼んだのだが、MTも同じとろろ蕎麦を頼んだ。三人で並んでカウンター席に座って、外の山の景色を眺めながら、とろろ蕎麦を食べた。二人には言わなかったが、男には、とろろがいいらしいよ。
 



 

 外に出て、パーキングで一服をしながら、Mを見送った。そして、Tを見送った。たぶん、いいことあるよ。観音様のご利益で。煙草を吸い終わると、俺も車に乗って、蕎麦屋を後にした。俺にもいいこと、あるかな。


 
 
 
(^^)/R.Thank You !
 

 
 
 

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