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森田童子の『淋しい雲』と寂寞


いつもきみのあとから長い影を踏んで
いつも君のあとからついてゆきたい

どこにゆくあてもなく僕たちは

よく歩いたよね
夏の街の夕暮れ時は
泣きたいほど淋しくて
僕ひとりではとてもやって
ゆけそうもないよ


君の好きなミセス・カーマイケル
僕もいいと思うよ
夏休みが終わったら
もう逢えなくなるね

そしたら時々懐かしいミセスの話をしようよ
夏の街の夕暮れ時は
泣きたいほど淋しくて
君一人では
とてもやってゆけそうもないから
 


どこにゆくあてもなく僕たちは
よく歩いたよね
夏の街の夕暮れ時は
泣きたいほど淋しくて
僕ひとりではとてもやって
ゆけそうもないよ

 森田童子
『淋しい雲』


 森田童子の歌には、学園闘争に敗北、挫折した若者の悲哀と寂寞があると思う。柴田翔の小説が抱えたテーマのような。
 漱石の「寂寞」を書いたので、仕事帰りの車の中でふと頭に浮かんで、口ずさんだこの歌の寂寞を書きたいと思った。思えば、それは思春期には早すぎるほんの少年の頃、夕暮れを見た時にいつも感じていた「淋しさ」があって、それはいつまでも俺に付き纏ったけれども、あの「寂莫」はいったい何だったんだろう。
 
 
 
彼女は
あの時、新宿のロフトで歌っていた。
 
それは俺が経験した
初めての
アンダーグランド
であったかもしれない
 
俺は同級生と一緒に
息をひそめるようにして
彼女が
か細くかん高くて強い
そんなボイスで
ギターを抱えて
物語の語りを交えて歌う
歌を聴いていた。
 
何故だかわからないけれども
彼女はそれをわかっていたかのように
俺の一番好きなフレーズを
ジャケットに書いた。
 
ありがとう。
と言って
 
 
^^)/R.  Thank You

コメント

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