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ムーディブルース「サテンの夜」

 DJがラジオから、「次の曲は、ムーディーブルース。サテンの夜!」と言ってその曲をかけていたのが耳に残っている。


 バンドの名の通り、ひとつのムードを形成している。そのムードというのは、スローテンポののどかなフォーク調、ビートルズ調の曲にダイレクトトーンでなく一皮着せている感じである。今となっては、全体的に古臭い感じするが、プログレッシブロックの初期段階の様子が伺える。それは、クラシック調の間奏や伴奏の導入やプログレ独特の低音の響かせ方、歌、コーラスを含む共鳴のさせ方に感じられる。ブルースロックバンドではないのかと思う人もあるかもしれないが、デビューアルバム『Magnificent(1965)』では、ブルースロックをやっているのだが、その後、プログレに路線を変更し、名前はそのままということであったのだと思う。当時、メロトロンという管弦楽を奏でる鍵盤楽器が開発され、それを導入しているということで、プログレのくくりとなるが、全てそういう曲を演奏しているというわけではなく、総合的にはフォークロック、ポップスロックバンドの傾向が強いと思う。


 「サテンの夜」は、ムーディブルースのセカンドアルバム『Days of Future Passed(1967)』に入っている。このアルバムは、夜明けから、昼、そして午後、夕暮れ、夜に至るという一日の情景を音楽的に表現したアルバムである。その夜のイメージを歌って奏でる曲として「サテンの夜」が作られて、このアルバムに入れられたというわけである。そしてその「サテンの夜」がシングルカットされ、我々はそれを当時聴いていたということだ。このアルバムは、ロンドンフェステバルオーケストラのピーター・ナイトのアレンジで夜明けから昼に至るまで交響楽が演奏される。1曲目のオープニングは大河ドラマのテーマ曲のようなイメージである。ナレーションを入れて演奏は続く。2曲めの「Dawn」でドラムが入り、幾分哀愁を帯びたメロディでボーカルが入る。さらに物語を奏でるように交響楽演奏は続き、3曲目「Morninng」において、爽やかな歌がのどかな管弦楽演奏をバックに歌われる。そして4曲目「Lunch Break」に一日の物語は続く、人々の動きが活発になるようなイメージである。途中から、ムーディブルースのアップテンポで、ポップス・ブルース調のロック演奏が、ビートルズのコーラスに似た歌で入り、メロトロンの演奏と重複していく。そして5曲目の「Afternoon」において、オーケストラからムーディブルースの演奏主体に入れ替わっていく。再び、オーケストラ演奏にもどり、6曲目から8曲目へと、ボーカルとムーディブルースの演奏を交え、「Evening」の演奏に入って行く。7曲目の「Sunset」はアラビア風のメロディで歌われる。8曲目「Twilight」はプログレ的コーラスをバックに、歌われる。そしてオーケストラが9曲目に繋ぎ、いよいよムーディブルースの「サテンの夜」が演奏される。「サテンの夜」はフルート演奏を交え、メロトロンの音とオーケストラとムーディブルースの演奏で奏でられる。このアルバムはムーディブルースの「サテンの夜」のためにあると言ってもいいと思う。アルバム全体で、交響楽とロックの融合の過程が示され、また、オーケストラ→メロトロンへの移行が表現され、「サテンの夜」において正に、クラッシックとロックの理想的な融合がなされているのである。アルバムにおいて夜明けを奏でているように、そしてそれが、夜に向かうにつれて、交響楽とロックが融合し、熟していくように、イングランドにおけるプログレッシブロックの黎明を告げていると言えると思う。原題は「Night in White Satin」である。このサテンはホワイト・サテンであるということを知った。先に述べた一皮着せている感じというのは、このホワイト・サテンを着せているのだということがわかった。それは、プログレッシブロックの初期段階において、クラシックとの融合を図り、ロックを白人世界のものにするという手法であったのかもしれない。



 ムーディブルースのアルバムは、『In seach of the Lost Chord(1968)』『On The Threshold of a Dream(1969)』『Every good boy deerves favour(1971)』とある。先にのべたように、この全てにおいて、プログレロック的な演奏がなされているというわけではない。ムーディブルースは全体的には、プログレ要素を持ちながら、緩やかなフォークロック、ポップスロックの傾向が強いと思う。今聴いていると、ちょっと退屈してしまうかもしれない。上に挙げたアルバムの中では、「The Voyage」や「My song」という楽曲においてプログレ的な傾向が顕著であると思う。






 
R.










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