10年を一昔とするなら、もう昔の話である。俺はその休みに台湾に行こうと考えていた。理由は、候孝賢(ホウ・シャオ・シエン)の映画「悲情城市」の舞台となった九份を訪れたいと思ったからだ。同僚で山登りが好きなTに台湾に行くが一緒に行かないかと言うと、俺も台湾の山に登ってみたいと思っているので、下見するのにはいいから、行きたいということで、その旅は二人で行くことになった。
1. 北投温泉の滝乃湯
台北のホテルで一泊した翌日、台北の北部にある北投温泉を訪れた。そこの滝乃湯という、北投温泉の大衆浴場というか、謂わば、銭湯に行った。一っ風呂浴びて、移動の疲れを流そうという気持ちだった。当時の滝乃湯は全く古風な日本の銭湯と温泉をミックスしたような銭湯で番台で男湯と女湯に別れ、戸を開けると、いきなり湯船があり、その端に板場の脱衣場があるというものだった。湯船には5、6人の地元の人が既に気持ちよさそうに浸かっていた。さっさと衣服を脱ぎ、パンツを脱ぐと、湯船に漬かっていた台湾の地元民が一斉に「パンッ!!パンッ!!」と手叩きを始めた。一瞬、何が始まったのかと思った。Tはそれが始まった途端、ささっと何処かへ消えてしまった。あ“~歓迎してないのか~日本人を、と俺はすぐに気づいたが、同時に脱いだパンツをまたはいて逃げ出せるものか!と思った。いいよ、袋叩きにあっても俺はこの湯に入るからなという気持ちで、ザバ~ン!ザバ~ン!と桶で湯をかけて、ザンブリコンと湯船に入った。すると、手叩きは止まり、そのうちの一人が「日本から来たんですか?」と流暢な日本語で話しかけてきたのだ。その日、俺は台北の北、北投温泉の滝乃湯で、台湾人の洗礼を受けた。
台北からバスで九份に着くと、二人はその日一晩を過ごすチープな宿を探した。そのこじんまりとしたホテルには、「飯店」でなく、「旅社」という看板が掲げてあったと思う。受付の女の子に二人で一部屋という条件を言うと、女の子は値段を言い、二人は其の値で満足であったので、すぐにその部屋に決めた。女の子が俺たち二人のことをジロジロ見ていたかどうかは覚えていない。鍵をもらい、二階に上がって部屋のドアを開けると俺たちは顔を見合わせてしまった。ダブルベッドなのである。ツインの部屋がなかったからか、或いは、二つ部屋を借りる料金を惜しんだからかは、覚えていない。とにかく、二人はその部屋に泊まることにした。もう一つ掛布団を借りて、俺は床に寝ることにしたのである。俺はすぐに九份の町に出て歩き回りたかったのだと思うし、Tは山のある町に早く下見に行きたかったのだと思う。そして、この宿は寝るだけだから。しかし、この宿はもう一泊は御免だということになり、次の日は質素なバンガロー風の宿を見つけてそこに泊まることにした。ぐっすり眠って朝起きて、使い捨てのペラペラの歯ブラシで歯を磨こうとすると、その歯ブラシが包んであるビニール袋に、カタカナで「オハイヨー」と書いてあった。
その日俺は、腹を立てていた。そして、幾分ナーバスでもあった。なんで腹を立ててい
たのかは覚えているのだが、うまく説明できないので、書くことはやめにする。Tと喧嘩したわけではない。台湾の九份でひどい反日差別にあったわけでもない。そこまでに俺は九份をあちこち歩きまわり、山の上までも歩いて登り、九份という町の地理も町の店もよく知るようになっていた。台湾茶もふたつの店で十分堪能した。町を歩くと、ちょっと声をかけたり話したりするような住民もできていた。よく歩いて汗をかきちょっと疲れて、しかも腹を立てていた俺は、気が付くと町の食堂に入っていた。腹が減っていたのだろう。そうすると奥の方でお袋くらいの歳の痩せ身のかあちゃんが手招きしている。あんた(おまえ)は、こっちへ来てここへ座れということらしい。言われるとおりその席に座ると、注文もしていないのに、ご飯の上に肉がのった丼ぶりご飯をかあちゃんは出した。俺は黙ったままそのご飯を貪るように食べた。そのご飯がおいしかったんだ。本当に。涙が出るくらい。
そして
その味を
思い出しながら
牛肉飯を
作ってみたんだ。
R.


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