スキップしてメイン コンテンツに移動

高野山~龍神温泉(奥之院蝋燭祭り翌日譚)

 
 先に書いた夏の高野山奥の院の蝋燭祭りには、実は翌日譚がある。盛況であった蝋燭祭りの翌日、もう一度高野山に訪れた。何故かといえば、蝋燭祭りでは、夜の奥之院しか見ていないので、昼の高野山をもう一度見たいという気持ちと、一昨年の冬に雪のため行くのを断念せざるを得なかった龍神温泉にそこから向かうためである。







 
 一昨年の冬に訪れた時は、金剛峯寺と奥之院のみをじっくりと見学したので、その日は他のエリアを見ることにしたのである。写真を撮りながら見学していると、雨が降り始め、「お前はもうこ高野山の写真はいいから、龍神へ向かえ。」と言われているような気がして、そこで高野山を龍神温泉に向けて後にした。車で雨の峠を龍神温泉に向かった。
 


 
 峠の途中にあるドライブインで、猪丼を食べた。そして一昨年に断念した思いを果たすため龍神温泉へとむかった。


 
  龍神温泉は高野山から峠を越えた川の沿いにある。当初の予定は温泉宿に宿泊して、宿の温泉にゆっくり浸かるつもりだったが、元湯に入り、帰ることにした。元湯は龍神温泉の大衆浴場で、下足室で下足を脱いで、更に脱衣場に行き、衣類を脱いでロッカーに入れて浴室に向かうという二重式で下足と脱衣のロッカーと二つの鍵を持って温泉に入るというしくみだったと思う。湯船は広く川を見下ろす位置にある。体を洗い、ゆっくりと温泉を堪能した。目的を果たして満足して、車に戻ると、雨脚が少しづつ強くなっているように感じた。素直に高速道路に向かい帰路につくというコースを辿ればよかったのに、なんでだか、龍神の険しい山道に入り、山を越えていくコースを選んでしまった。
 
 

 
 
 
 
 一台の車が通るほどの道幅の道を、しかも舗装されてされていない道を暫く登って行くと、「転落事後多発!」「死亡事故多発!」の表示がある。崖はかなり深い。崖側を走って道が崩れると嫌だなと思い、山側にかなり車を寄せてゆっくりと走った。台風の雨が降り始めている。「龍神村」の標識を見た時、一瞬空を見上げた。ザアザアと降る雨の中、暗い雲が湧き出て流れていた。この雲の中から、龍が突然ぬっと顔を出したとしても不思議ではないなと思われるような光景だった.
 
 
 二、三時間走ると山道は、あぁ、無事に嵐の険しい山道を抜けたという安堵感とともに、舗装された広い道に至った。そこからまたしばらく、和歌山の山道を走った。
 
 
 山道を走り、奈良に辿り着いて、高速に乗る前に小休止した。そして、柿寿司と氷柿を食べることにした。
 
 
これで
二度目の高野山への旅は
終わりを
告げた。
 
 
 
R.
 
 
 
 
 
 
 
 

コメント

このブログの人気の投稿

橋本一子の『Miles Away』

橋本一子 のマイルスへのトリビュート・アルバム『 Miles Away 』は、どうしてこんなにも、今もなおマイルスの不在を寂しがるマイルス・ファンの思い ( 喪失感 ) を満たすのだろう。それは、マイルスのサイドマンであったり、ライブを重ねたミュージシャンたちのどんなトリビュート・アルバムよりなのである。 橋本一子はこのアルバムのライナー・ノートで自ら「マイルス・ディビスは、私にとって、ジャズというジャンルにおいてはもとより、音楽における最   も重要であり偉大な音楽家のひとりです。」と言っている。そして、「常に新たな地平を見据え、スタイルもジャンルも超えて突き進んだその天才は、いま音楽をやっているわたしたちに多大な影響を残していきました」とマイルスのことを語る。 橋本一子をライブで初めて聴いたのは、吉祥寺の確か曼荼羅というようなライブハウスであったと思う。山下洋輔との共演であった。橋本一子の出現は、日本の歌謡界でいうなら、荒井由実の登場のようなもので、日本のジャズ界においては、全く新鮮な輝きと驚きと幸福であったと思う。アルバム『 Ichiko 』『 Beauty 』『 Vivant 』~『 Mood Music 』の三部作、四部作は、彼女の傑作であると思うし、日本の当時のジャズに明らかに、新鮮な風を吹き込み、彩りを加えたと思っている。ジャズを基本としているが、クラシック、現代音楽、ポップスと融合し、更にハスキーでスウィートなボイス・パフォーマンスを加えた彼女独自のスタイルは、刺激的で魅力的であった。 このアルバムは彼女の 14 作目にして初めて、マイルスに捧げられたアルバムということになる。女のジャズピアノアルバムというと、ジャズの世界では、軟弱でジャズ以外の聴く耳に媚びたようなものというようなイメージを持ちがちであると思うが、「 milestone s」から始まるこのアルバムは、力強い、男顔負けといってもいいような骨太のアルバムに仕上がっている。単音は力強く歯切れよくというものであり、そこに女性的なエコーを添えて、更にボイス・パフォーマンスを加えるというようなイメージである。選曲も「 Blue in Green 」「 E.S.P 」や「 Neferutiti 」のような、マイルスのジャズとロック融合期のナンバー...

2022年3月:歯根嚢胞手術の巻(入院食でひとりめし!)

 2022 年は、年賀状を出したばかりで、「ひとりめし」の投稿、更新もなく、 申し訳ありませんでした。実は、手術があったり、その後、別の生活習慣病が起こって、自宅療養と言っても、通院しながらの自主食事療法のようなことをしていました。   m ( _ _ )/  ごめん!    昨年度から歯と鼻炎の治療を継続的にしていて、その関係で上顎のCTを撮るということがあって、そこで歯根嚢胞が上の左の歯の根元にあるということがわかって、その手術の必要が起こりました。それで、三月末に入院をして、口腔外科で嚢胞を除去する手術をしました。その口腔外科でもう一度CTを撮ると、やはり歯の根元に嚢胞があるということで、この歯根嚢胞というのは、後々、葉肉や周囲の歯に悪影響を及ぼすので、やはり除去する必要があるということでした。また、その時、別の大きな粘液嚢胞というのも発見されたのですが、この粘液嚢胞は悪影響はないので、手術の必要はないと言われました。へえ!この粘液嚢胞のやつの方が大きくて悪そうなのに、取らなくていいとはね。やっぱり、小さくても歯の根元にくっついてできた嚢胞の方が小さくても悪いということなんだろう。その時、ついでに、その粘液嚢胞のやつもとって欲しいと思ったわけですが、悪影響が無いものを手術除去する必要はないということになったわけです。しかし、普通では歯根嚢胞チェックのためのCT撮影なんてしないから、この嚢胞を発見する機会というのはないなとも思いました。だから、多くの人がこの嚢胞がもしあったとしても、なんらかの症状が出るまで、放置することになるなと思うわけです。    手術は、午前中、一時間くらいで終わったと思います。医師は腕のいいと思われる女医でした。「よろしくお願いします。」と言うと、医師は麻酔を何か所かにして、歯を何回かで根元まで抜いた感じでした。麻酔が効いていたので、痛みは全くありませんでした。ところが、その後、嚢胞を探している様子で、「あれっ?!」と言うのです。ちょっと。なんだ?嚢胞がみつからないのか?ちょっと探っていて、中心より横のあたりで、「あった。あった。」ということで、その嚢胞をピンセットで取り出して、「ほら。これが嚢胞。」と言って、看護師に差し出して容器に入れさせた。これで、手術は首尾よく終わったというわけです。「ありがとうござ...

faces. 『The First Step』

 振り返って、そして遡って 60 年代のロックを聴いている自分にとって、また、『 Atlantic Crossing (1975 ) 』からロッド・スチュアートを好きになって聴いてきた自分にとって、フェイセズを聴くことは、 60 年代からのロックの森のなかで、親しい友達と出会うような感動がある。ロッドの歌声を聴くだけでひとまずホッとしてしまうところがある。   フェイセズのデビューアルバム『 First Step  (1970) 』は、 やはり 自分が好きでよく聴いてきたボブ・ディラン ( ボブ・ディランもその歌声を聴くだけで自分はホッとしてしまうところがある ) の『ジョン・ウィズリー・ハーディング』からのカバー曲で、「ウイキッド・メッセンジャー」から始まる。ボブ・ディランはブルースハーモニカを吹きながら、 2 ビートの跳ねるような感じのアップテンポでこのブルースを歌っている。ドラムもベースも入っているが、アコスティックブルース調である。アルバムのタイトル曲や「聖オーガスティンを夢に見た」「見晴らし塔からずっと」「フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド」などと比べると、ブルース曲の押しではあるが、あまりパッとしない曲である。 ところが、フェイセズが歌うこの曲は、全く別の曲かと思わせるようなロックテイスト溢れるアレンジで、更にロッドのボーカルとロンウッドのリズムギターとくると別の命を吹き込まれたようで、本当にいかしている。ブルースロックというより、グルーブ感が効いたリズム&ブルースロックなのである。そして、ボブ・ディランのオリジナルの中から何故、この曲を選んだか考えてみた。歌詞の内容は、「悪意を持ったメッセンジャーがいて、ちょっとしたことでも何倍もにして、お世辞しかしゃべれないようなやつだ。ある日、そいつは足の裏が燃えている。海が裂け、人々が立ちはだかり、そいつは悟った。良いことだけ話せばいいと。」というような少しばかり、啓示的な意味合いもあるかと思われる内容である。フェイセズがそのデビューアルバムの初っ端にこの曲を入れたのは、まずブルースであることが挙げられると思う。それから、俺たちはお世辞でなんだかんだごちゃごちゃ誇張してやるのでなく、よい歌だけを歌うんだというようなメッセージがあるような気がし...