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リュック・ベンソンの『ジャンヌダルク』

 先日、リュック・ベンソンの『ジャンヌ・ダルク』を3回目くらいで、久しぶりに見た。何故、これを書いているかと言うと、以前観た時とは、違う実感と感覚、感想を覚えたからだ。


 リュック・ベンソンの『ジャンヌ・ダルク』は、ほぼ史実に基づいて製作されている。大筋は、フランスの農夫の娘が幼いころ、神の啓示を受けて、純粋に神様のために何かをしなければならないと思うようになる。教会に行き神父に尋ねると、それは間違った啓示ではないようだから信じて従いなさいと言う。そして、ジャンヌ12歳のある日、その声は「イングランド軍を駆逐して王太子シャルルをランス連れて行きフランス王位に就かしめよ。」と言う。フランスとイングランドの百年戦争、フランス劣勢が続く真っ只中に、ジャンヌはシャルルに謁見し(この場面でのミラ・ジョヴォヴィッチの演技は見事だなと思う。フランスの片田舎から出てきた娘が貴族たちに囲まれて、どこかおどおどした様子を見事に演じているし、その演技は、ジャンヌもやっぱり人の子だと思わせるからだ。ようするにその演技がよりジャンヌをリアルに思わせるからだ。)、シャルルと二人だけで契約を交わす。そして、ジャンヌはフランス軍に従軍し、軍を鼓舞し、度重なる戦いでフランス軍を勝利に導く。


 そして、見事にシャルル7世を王位に導く。しかし、ジャンヌは講和を結ぼうとするシャルルと対立し、ブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドに引き渡され、異端審問にかけられ、19歳で火刑に処せられる。ジャンヌの死後、ジャンヌの復権裁判が行われ、ジャンヌは無実となり、聖人の一人に加えられる。


 「あぁ、本当に可哀そうなジャンヌ。」これが、以前観た時の感想だ。そう思った時の自分には、ジャンヌが異端審問にかけられるに至る周囲の人間の醜さというものが、その裏にあるのだと思う。


 ジャンヌ・ダルクは、本当に神の啓示を受けたのかという、本当に神の声を聞いたのかという点(それが、異端審問のテーマであったわけなのだが)で多くの議論と検証が重ねられている。例えば、医学者が出て来て、ジャンヌは精神病であり、妄想の中でその声を聞いたというような説もある。しかし、どうだろう。フランスの片田舎の農夫の娘として育ったジャンヌが精神病にかかるような要因はないと思うし、また、そんな大胆な策略を思いつく筈もないと思う。事実、ジャンヌはフランス軍をそのカリスマ性によって鼓舞し続け、勝利に導いている。そのカリスマ性がどこから発揮されるのかいうと、一点、自分は神の啓示を受け、それを実行しなければならない、信じて疑わないというただひたすらに強く純粋な使命感であると思う。それにしても実際に、農夫の子として育ったジャンヌが挫けることも失敗することもなく、フランス軍に従軍するところまで辿り着けるだろうか。軍を鼓舞し率いる力を持ってである。それは明らかにジャンヌでなければならなかったのだと思い、それは貴族ではなく、片田舎の農夫の娘として育ったジャンヌでなければならなったのだという思いに至ると、神がジャンヌを指差しているような気がしてくるのである。そこで、全く、場違いのような例を出して申し訳ないが、我が国の信長を自分は思ったのである。

  ジャンヌに神が啓示を与えたとして、何故、神がそんな啓示を与え、それを実行させたかったのかということである。ジャンヌは啓示とされる言葉のとおり、劣勢であった長い戦争の中で、フランス軍を勝利に導き、シャルル7世を王位に導く。その道はイングランドとの講和、協定、戦争の終結に続く。それがなければ、長い殺戮の戦争はさらに続き、フランスの歴史は終わっっていたかもしれない。そういう理由しか考えられない。そうして、ジャンヌは理不尽な異端審問にかけられ、人間自らの醜さによって、火刑にされる。神がその彼女の戦いの殺戮の責任を自らとらせるようにだ。ジャンヌの生涯は結果としてこうして幕を閉じる。




   ここで、「あぁ、本当に可哀そうなジャンヌ。」という思いに私はもう一度至るのだが、「神様のために何かをしたい。しなければ。」と信じたジャンヌの思いは達せられたのだと思うしかないのだ。神というのはそういうものだと。

 
 
 
 
 

                                                                   R.

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