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アドアストラからインターステラー『リアル重力論』

  先の『アドアスラ』の話、「時々、俺はひとりで宇宙を旅しているような気分になる」ってのは、人によっては何言ってんだおめえ様はと理解出来ないと思った人もいるかもな。それはたぶん、あなたに家族があるからだろうと思う。あなたがもし、家族がいないでこの世の中で今生きていたら、と想像してもらえると理解してもらえるかもしれない。

  そして、『インターステラー』だ。インターステラーとは惑星間の移動のことを言う。一年ごとに職場が変わる今の環境は、まさにこの「インターステラー」だ。一年ごとに目の前に未知の世界が広がる。ちなみに「アドアストラ」はラテン語で「星の彼方へ」を意味する。ということで俺は「アドアストラ」では、とことん未知の星の彼方まで旅して、地球外の知的生命体を探索しなければならず、「インターステラー」では、ブラックホールの地平線を果てまで突っ切って、重力を超え、異次元空間の扉をこじ開けなければならない。

  それは途方もなく非常に困難な使命だなと思ってみるものの、これはSFの世界の話で、いわば想像上の夢物語である。そんな話と現実をちょっと重ねてみたんだ。映画『アドアストラ』では、人類は地球以外に知的生命体はいない、我々が全てだということを知り、映画『インターステラー』では、ついに人類は異空間に地球外の新たな居住地を見い出す。



  そんなことを考えていると、俺はつくづく、物理学者や天文学者は想像力の豊かな人種なんだと思う。 
 重力を解明するのになんでブラックホールまでいくんかなと思う。だいたい、俺はブラックホールだってないんじゃないかなと思うところがある。それは物理学者の想像力が造り出した大宇宙に空いたホールなんじゃないかなって。ある物理学者はブラックホール観測の為に地球規模の天体望遠鏡を作った。それは、嘘を現実に見せかけるための大規模な装置だなと思う。まぁ、天体観測全般に役立つことになるからいいかと俺は思う。ブラックホールはあるということは実証されているよという人がいるかもしれないが、それは、天体観測上ということ?実際に行って見たことがあるの?それはあると思わされているだけかもしれないよ。

  人類がまだ届いてもいない銀河系宇宙の果てか中心にあるとするブラックホール。その存在の実証、確認は当然されていない。そのブラックホールで重力の神秘を解明できる、或いはしようとするのは、どういうことなのか。解明されてもいないものを礎にして、さらに解明されていないものを解明しようとしている。彼に言わせるとアインシュタインは既に古典的なんだそうである。自分は現代的、未来的と言いたいのだろうが、なんか懐疑的だ。

  

  物理学的には重力自体が幻想だという考えもあるようだが、ニュートンが実証したとおり、重力はこの地球上にまぎれもなく存在する。なぜならば、宇宙空間では無重力ということが実証されているし、地上では物は必ず下に落ちるし、上に落ちることはない。

 

さて、現実的でリアルな重力論を言おう。

「地球上では物質はその質量に応じて、地球の中心に引力によって引かれている。引力は地上では重力として認識される。とすると、地球の中心に質量のあるものを引き付ける核があるのだと考えるのが妥当である。磁石は鉄を引き付けるが、地球の核にあるその磁力は、質量のあるもの、あらゆる分子を引き付ける性質があると思われる。その磁力によって宇宙世界で粒子、素粒子、分子、原子をひきよせ、地球ができたのだ。」 万有引力継続支持リアル論だから、重力を解明するためには、この地球が最も身近で、リアルな題材であると思う。

  あたり前のこと言いやがって。何がリアル重力論だ。と思う人もあるかもしれない。

そもそもブラックホールっていうのは、宇宙が吸い込まれていく穴ということでそれを引力、重力と関連づけ、そこから、重力の神秘を解き明かそうということであると思うが、ブラックホールというのは本当にあって、検証されているのかということである。見た者は誰もいないわけだから。地球から確認できる範囲に重力の神秘を解明する鍵はあると思う。



まず燃えたぎっている太陽である。あの太陽こそが引力、重力の王様と言えるだろう。あの太陽が最も強力な引力、重力を持っている。なぜなら、太陽系の星を永年にわたって引き付けていると思われ、その引力というものは想像を絶するものと思われる。例えば、地球ほどの球体の遠心力に勝る強さを持っているということだから。その引力がなければ、地球は太陽から年々遠ざかり、もはや暗黒の宇宙の中に消え、凍りついている筈だから。そして、月である。この引力と重力は既に確認、検証されている。

さて、自分はあの太陽が地球の先に述べた万有引力をもった核の大型版と考えるのである。しかも丸裸の。とすると万有引力と火というのは密接な関係があると思われ、地球の核にもあの太陽のミニチュアがあると考えるのである。それがマグマとなり、時に地上に吹き出している。月に考えを馳せると、月でもかつて、火山活動があったのではないかと思う。しかし、月の核の燃える力は弱まり現在にいたり、と同時にそのことに比例して月の重力は弱まっているのかと思われるのである。



  ということで、「リアル重力論」の鍵は太陽にあり、火山活動の活発な地球は重力健在とみるのである。地球の核に届く穴を掘ることができれば、重力の神秘は解明できると思うが。それは不可能であるし、可能であったとしても、地球滅亡を招くような危険な試みであると思う。

 

 遠い遠い将来、いつか引力と熱と光の王様、太陽が燃え尽きる日は来るのであろう。その時、徐々に地球は太陽から遠ざかり、限りなく冷えながら暗黒の彼方、宇宙の果てへと消えていくのであろう。その時点では既に地上の生物は絶滅している。この宇宙で唯一無二のこんなにまで進歩した知的生命体が消滅してしまう。その前に我々人類は、この地球の救済手段を考えなければならない。必ずその方法を見い出すに違いないと信じている。その時こそ、原子力が本来の力を人類を生かすために発揮するのではなかろうかと思っている。太陽に代わるものとして。


お詫び:

ブロガーのリニューアルから作成画面の不具合に見舞われて、この投稿を公開するまでに何か月もかかりました。突然、休止状態になったことをお詫び申し上げます。R(_ _)/ ごめん!





R.



ブログ:夏樹良写真展

において

リンゴを

モチーフにして

宇宙を表現した写真展

『アイザック-重力の秘密-』

を開催します。

この写真はその一部です。


Coming Soon !


 


 

 

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