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The end of the North -埼北物語 児玉編 1- そして『男のひとりめし』は続く・・・・

  ”the end of the north”と言っても、「この世の果て」ということではない。勿論、そういう連想は免れないかもしれないが、そういう意味ではない。「この世の果て」は”the end of the world”である。これは、「北の果て』つまり、最北端という意味である。最北端は具体的には埼北端、埼玉の北部の果てという意味である。しかし、「この世の果て」とは、いったいどこにあるのだろうか?この春、二度目に訪れた恐山は、本州の北端、果てにあるが、あの場所がそれに近いのかもしれない。山に囲まれた蓮の花の中心にあって、荒凉と浄土とが同居する場所。そう言いながら、心では、どこか、「この世の果て」とは恐山は違うと言っている。自分がそう思えないのなら、その場所は「世界の果て」にはなり得ない。もしかしたら、歌にもなって、その耳慣れた言葉は、場所を指しているのではなく、時間、つまり人生の終わりの時を指しているのかもしれない。そのスタンダードにもなっている有名な歌は、恋の終わりを嘆いてそれはこの世の終わりみたいなものだと歌っている。つまり、the end of the worldという言葉は、その歌を離れてひとり歩きしているのだろう。そうして我々はその言葉の響きが持つ魅力に憧れて、それはいったいどんな場所なのだろうなどと想像力を働かせる。 

成身院百体観音堂

児玉には、日本三大さざえ堂のひとつ
成身院百体観音堂がある
1783年におきた浅間山の大噴火の犠牲者を
弔うために建立された
今も百体の観音像が
この土地を見守っている

 さて、埼玉北部の北の果て、児玉地方は、上記したような「この世の果て」のイメージがあるというわけではない。しかし、県堺にあるこの地方は、埼玉北部の端、埼玉の最北端、県堺のエリアという独特の感じや雰囲気はいくぶん持っていると思う。川を渡れば他県、山を越えれば他県、そして中央からは北に最も遠い。そういう地理的なものが醸し出す雰囲気でもあると思う。かつて、埼玉の南部に勤めていたときに、南部の水が自分にどこか合わないと思ったことがある。埼玉の北部には、北部の水というものがあるのだ。熊谷であっても、深谷であっても北部は北部でローカルといえばローカルだ。そしてこの児玉地方は、さらにその北部、謂わば埼玉の北端ということで、ローカルの中のローカルなのだ。それは、秘境のような山間の村というような意味で言っているのではない。勿論、この土地は、山あり、川あり、畑あり、田んぼありの何の変哲もない田舎の町である。熊谷、深谷、本庄に比べたら、ド田舎、山んちだということを言っているのではない、そこに身を置いてわかるまた違う田舎の感じを持つ埼玉最北端の土地に興味を持ち、むしろ先に書いた埼玉北部の水の源泉のようなものを見ているのかもしれない。


長泉寺骨波田の藤



長泉寺には
樹齢650年とされる
自慢の藤がある


R.




 ところで、『男のひとりめし』は第二の故郷本庄に始まり、随筆や紀行、評論等を交えて、深谷を経て、第三の故郷熊谷に別れを告げたあと、どうなったのか?もう終わってしまったのか?
 その後、埼玉の最北端、児玉に活動の場所を移し、勿論、続いている。『男のひとりめし』は続くである。

カツ丼のきらく


このあたりでは誰もが知っている
タレカツ丼のきらくである


やっぱりおやじの
カツ丼の味は絶品





きんそば


そのスープの色は
まさに黄金色
このスープの色をとって
きんそばと名付けたのか



おやじの作るめしは
なんでも旨い





ひら久


ひら久のかあちゃんが作る
ハンバーグ定食は旨い
しかも
急いでいる時でも
短時間で作ってくれる



味噌汁は家庭の味がする

かあちゃんの料理は
ヒレカツ丼でも
やっぱり
なんでも旨いよ




ろ


『ろ』とは何だ?と思うかもしれないが
蕎麦屋である。


古風な店構えも店内の感じも
魅力的である


蕎麦も天ぷらも旨い



一度、行ってみな。



Pasti


見た目の色と違って
Pastiの
トマトクリームソースのパスタは
美味しいよ




永楽


永楽のマスターは
いい感じだよ
ラーメンにも
その味が出ている


餃子が旨い



いろいろつけてくれるんだよ





R.



to be continue....



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