なぜ振り返るのかというと。今年前半はPCの不調やブログそのものに対する疑問もあったりして、ほとんど記事も書かず、投稿もしてないからだ。しかし、なにもしていなかったわけではないし、ブログ記事になるものがなにもなかったわけではない。最近「埼北物語」の投稿も始まって、今年の前半、ブログ投稿をあまりしていないことで、ブログ的になんだか、頭の整理がつかず、すっきりしない。すっきりしないから、今投稿中の「埼北物語」も先に進まない。大祓も済んだことだし、写真を減らして、少し端折り気味でも上半期を振り返ろうということになったのである。
一月。大晦日の長渕剛の富士山ライブを見て、新年が明けて、コロナ禍ということもあるので、混雑を避けて、一月から三月にかけて、俺はまずゆっくりと初詣をした。金鑽神社、それから浅草の観音様、湯島天神、そして諏訪大社である。昨年のお札を納めて新しいお札を頂いてきた。
そして、三月には伊勢神宮、二度目のお伊勢参りを果たした。今回の伊勢参りは、伊勢神宮について考えを深め、またじっくりとお参り、堪能できたと思っている。満足のいくお伊勢参りだった。
古来から
お伊勢参りをするには
ここをお参りして清めた心身で
参拝するのが正式な参拝とされた
俺は逆になっちゃいました
古くは
海から来てということであったんじゃないだろうか
と一瞬思ったが
やっぱり海路というのは少ないだろう
陸路が主だったと思う
二神輿玉神社の夫婦岩
「お伊勢参らば朝熊かけよ。朝熊かけねば片参り。」
と伊勢音頭で歌われている
朝熊岳金剛證寺は
伊勢神宮の鬼門を守る神宮の奥の院と言われてきたが
伊勢の神にお参りをして
仏のお参りをしないのは片参りということであろうと思う
芭蕉が確立した蕉風は
マンネリ化を極力嫌う
俺もマンネリを避けようとして
日々暮らしたいものだと思うけれども
それが真にできるとしたら
神の技だなと思う
芭蕉はそれ故にマンネリを避け
常に旅をすみかとしたのかもしれない
朝熊の展望台のレストランで
ランチに
伊勢風焼うどんを食べた
炒飯もつけて
伊勢の最後におまけ
家で伊勢うどんを作って食べたいなら
伊勢市のスーパーで売っている
このうどんが美味しいよ
たれも忘れないで!
さらに、三月末には、職場仲間だったなかちゃんと一緒にまだ残雪のある戸隠参りに出かけた。
そして、桜が咲き始め、庭の夜桜をしんみりと眺めた。今年も弘前に桜を追うことになるのである。
五月の連休には、弘前にでかけた。これは写真展『弘前』を開催することが決まったので、その写真を撮影の場である弘前に届けに行く必要があったからだ。その際に、先に書いた「the end of the world」の二度目の恐山参りをするということになったわけである。今回の目的は恐山を写真に収めることと、霊場の中にある温泉に浸かることである。弘前が目的で恐山を最初から目指して行ったわけではないのである。しかし、せっかくここまで来たのだからもう少し足を伸ばすかなということになったわけである。
恐山は
日本三大霊場のひとつ
霊場内に四つも温泉があって
参拝者はだれでも入浴できる
穢れを洗い、疲れを癒すことができる
こんな長閑な霊場が
他にあるだろうか
蕎麦を食べ終わって車に乗り
カーナビで自宅を指すと
9時間50分
749kmと
ナビ子が言っていた
弘前市に行くには、東北道を大鰐弘前というインターで下りる。何故、鰐などいるはずもない土地に「大鰐」などという地名があるのか、不思議である。かつて我が国では、鮫のことを鰐と言った。その土地にはオオサンショウウオが生息していてそれを鰐と呼んだ。ふたつ考えられるが、どうやら正解は後者のようである。
山椒魚は右往左往しているめだかの群れを見て言った。
「なんて不自由千万な奴らなんだ!」
ところで、俺の唱和歌謡ロックであるが、この二度目の弘前トリップに影響されて、ひばりの『りんご追分』をアレンジしてロックバラードでやった。歌い込んでいると、りんご追分で歌われている季節はちょうどこの季節なんだと気づいた。弘前の時代屋という喫茶店に写真展のDMを置いてもらうために寄った時、珈琲を飲んでいたお父さんに「弘前のりんごの花の季節はいつごろなんでしょう?」と聞くと、「遅い桜の頃、早咲きのりんごの花が咲き始めて、そのあとだね。」と言っていた。その早咲きのりんごの花の季節である。俺の昭和歌謡ロックは、40~50曲くらいやってきたが、この『りんご追分』のロックアレンジを終えて完結したような気がしている。
「どうするかなぁ?」
と俺が言うと
若いマスタ―がエスプレッソを入れながら
「せっかくここまで来たんだから。」
と言った。
その青森行は高速道路を走っていると、真っ黒い雨雲の中に突っ込んでいくような感じだった。しかし、不思議と行く場所、行く場所では雨に降られない。いくつもの虹を見た。一度だけ嵐のような雨に打たれたのは、陸奥湾を見ている時だった。荒波とともに叩きつけるような雨が降っていた。恐山より先にこれが「この世の果て」の光景かと思ったりした。しかし、その光景を見て、写真を撮っている自分自身はどうかというと、恐れのようなものは全く無く、嵐に洗われ、身を清められているようで、むしろ気持ちいい、心地よかったのを覚えている。
むつ市に一泊し
翌日
恐山に向かった。
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今更、なにも振り返らなくてもいいのに
という人もいるかもしれないけれど
ざっと振り返ってみた
振り返ってどうだかというと
『男のひとりめし』もそれなり活動しているなということである
しかし一方で
コロナ禍の真っ只中
そんな元気に活動している人ってのも
あんまりいないだろうと思う
俺だって
ウィズコロナというだけで
かなり鬱陶しい
『男のひとりめし』も
ひとえに
読んで見てくれている貴方がいるから
成り立っている
ただのひとりごとじゃ
やっぱりつまらないからね
そして
なにごとも
「継続は力なり」って言うだろう?
どうか
今後とも
よろしくね!
R.
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