スキップしてメイン コンテンツに移動

ジョン・レノンの日

  今日が何故、ジョンの日かというと、今日がジョンの命日とか、ジョンにとって意味深い日というわけではない。そうではなくて、俺にとっての「ジョンの日」ということなんだ。数か月前から考えていて、今日それを実行した日ということである。


 なんとその日の今日は、朝から雨で、山には所々濃い霧がかかっていた。しかし、俺にしてみれば、思い立ったら・・・ということで、雨の日の今日で差し支えない。雨も止むかもしれないとも思っていた。車を走らせながら、或いは、こんな霧深い雨の日でいいのかもしれないとも思っていた。


 俺の「ジョンの日」は、この写真で始まる。なんだなんだ、レストランのテーブルにあるサラダのプレート?しかも、コースを食おうとしているのか?その通りである。万平ホテルの洋食のダイニングのランチコースを食べようとしている。ジョンはテラス席を好んだらしいが、それはカフェテラスの席で、ダイニングでもきっと食事をしたに違いないと思うのだ。


 こんな中庭があったんだっけなとまじまじとレストランの戸外を眺める。ここで食事をしたのは随分昔の話だ。放心ということでなく、無に近い感じで、幾分、追憶からかセンチメンタルな気分を抱えて、綺麗なんだなと思いながら眺めている。それは自然に近い庭の在り方だったからだろう。すると、何かが、樹木の枝を高いところから揺らしながら、庭の真ん中に降り立ったのを見た、というより感じた。それはジョンであるかもしれないし、ジョンでない別の何かかもしれない。また、このブログはそういう番組ではないので、そこのところはどうか勘違いしないで頂きたい。とにかく、動画で見て頂けばその感じがわかって頂けるかもしれないが、俺にはそう見えたんだ。それはそれで俺が見て感じた真実だからね。レストランには、他に食事をする人が、三テーブルあったが、おそらく俺しか気づいていない。




 これは赤かぶのスープである。なんでこんな様子なのかと言うとですね。このスープはおそらくジャガイモの白いスープの真ん中に、日の丸のようにまんまると赤かぶのピュレが美しく浮いていたのだが、色気より食い気というのか、写真撮るより先に食べてしまったのです。本来なら、こういった写真は掲載しないのだけれども、そうするとコースのスープ料理がなくなってしまうので、失礼して敢えてこの写真を載せたという次第ですね。味? は良いですね。



 メインは信濃牛のフィレステーキ。ワインソースに山葵がつく。好みということもあると思うけど、少し肉の匂いがして、筋が少し入っていたのが俺は気に食わない。が、ワインソースで山葵をのせて頂く味はまずまず。良い塩味のバケットを食べながら頂くとこれまたよい。



 デザートは申し分のないお味でした。








 締めの珈琲はですね。エスプレッソに近いビターテイストで、これも申し分ないですね。
さて、みなさんにも目で見て食べて頂きましたが、この万平ホテル洋食ダイニングの信濃牛のランチコースはおいくらでしょう?!過去とは物価の違いということもあるけれども、かつては、この半額くらいで食べられたのになと思いまして、この値はかなり高めだなと思いました。さて、おいくらでしょう?!
 

 食事を終えて、ちょっとショップのほうまで廊下を歩いた。なぜかというと、その廊下の壁にかつてはジョンの写真が飾ってあったからだ。それを見たくてショップまで廊下の壁を注意しながら歩いてみたが、写真はなかった。まぁ、しょうがないなと思って諦めて、出ようとした時、そこにいた少年のようなドアボーイにその話をしてみた。すると「その写真は今は客室の廊下のほうに展示してありまして・・・」と言う。「じゃあ、今日は見られないね。」と再度諦めて帰ろうとすると。「でも、展示室にジョンレノンが弾いたピアノが展示してあります。」と言う。「そうなの?!」ということで、これが展示室にあるジョンが少しばかり弾いたと言われるピアノである。





 ジョンが軽井沢の万平ホテルに初めて宿泊したのは、昭和45年、1970年である。故郷のリバプールに似た雰囲気を気に入って、ジョンは1976年から1979年(亡くなる前年)まで4年間、毎年、夏の一時期を過ごした。



 この高い建物がある棟がジョンが滞在したアルプス館である。



 本当に美味しいレモンケーキとブレンドコーヒーである。「今日は俺のジョンの日なんだよ。」と言うとマスターは、「ジョンレノンさんが好きなんですね!」と「さん」をつけて言った。「なにもこんな雨の日にしなくてもと思うかもしれないけど。」というと、「いいや。雨の日もいいもんですよ。」と言った。「うん。雨の日じゃないと見られないものもあるからね。」と俺は答えた。店は聴こえないくらいの極小さい音量でジョンの「スターティングオーバー」や「ウーマン」が流れていた。
 そして、これがジョンが好んで座っていた「離山房」のテラス席である。



 離れの東屋もジョンのお気に入りで、そこでヨーコとショーンと、親子三人で、いっしょに楽しそうに過ごしていたそうである。





 帰り際、冗談半分に、「ジョンが本当に軽井沢の日々を懐かしく思うようなことがあったら、その時は、ジョンの魂があの席に座ってることがあるかもしれませんね。」というと、ウエイトレスの女性が、「実は、ジョンの誕生日やなんだかの日には、ジョンの霊が来ていると霊能力者の方が言っていました。」ということになって、なんだかマジな話になってしまった。俺自身はどう思うかというとジョンの思いの中心は、若いころ、奇跡のスーパーポップロックバンド、ビートルズの全盛期や幼い頃を過ごしたリバプールやヨーコとソロ活動を展開したニューヨークにあると思うので、頻繁にはそういうことはないだろうと思ったりしたのだが、それは言わなかった。この店でもジョンのことを話す人はまるで、禁句のようになって最近少なくなっているとマスターは言っていた。しかし、俺もこの歳になると色々経験したり、見たりして、世界は勿論、繋がっているし、世界の神秘を信じるようになって、そういうことはあるかもしれないと思うのである。そして、頻繁にはと言ったが、この軽井沢の自然がジョンの心と魂を癒したに違いないと思うのだ。



 最後にジョンが気に入っていた軽井沢銀座にあるベーカリーである。
フランスベーカリーである。




 このフランスパンをジョンは好きで齧っていたかもしれないな。

 こうして俺が計画した「ジョンの日」は終わった。俺の家から行ける最も近いジョン・レノンに会える場所である。軽井沢はどしゃぶりの雨ではなくて、フランスベーカリーには、パーキングから傘をささずに行った。

 軽井沢からの帰りは、いつものように碓氷峠の旧道を走って帰った。今日は何かが起こるような気もした。かつてこの峠では、猿は勿論のこと、猪などの野生動物に出くわしている。そういう意味でだ。かなりガスっていたので、フォグランプを点けて。見えるのは道だけで、山の景色は何も見えなかった。道路沿いで落石注意の看板もいくつか見られた。「熊とか、猿とか、猪、鹿ならいいんですが、落石だけは勘弁して下さい。」と何度か願った。いくつもの険しいカーブを右へ左へと下りながら走り抜けた。また、走りながら、「山の神さま。どうか、俺に山の命とパワーを授けて下さいませ!」と三たび祈ったかどうかはわからないが、峠の中腹より少し下ったところで、前方左すみを小柄なやせた犬のような動物が走っている後ろ姿を見た。猪に出くわした時も山から出て来てのっしのっしと車の前を走っていた。そいつは毛が雨で濡れている。まさに濡れなんとかというやつだ。ゆっくりと走ってついていくと車の通り過がり際に山の方に逃れて行った。それを左を見ながら見送ると、その動物は振り向いて俺の方は見た。目の輪郭が黄色に発光しているように見え、小顔で鼻ぱっしらの尖った狐だった。確かにそいつと目が合ったのだ。ほうら、やっぱり何かあったなと得をしたような気持ちで峠を下りて、峠の茶屋に向かった。しかし、残念ながら、峠の釜飯のドライブインは4時で閉まっていたのでした。前もって調べてないとこういうことはよくある。

 こんな風にして、俺の「ジョンの日」は終わったのでした。俺にとっては良い一日だったと思うな。





R.





コメント

このブログの人気の投稿

橋本一子の『Miles Away』

橋本一子 のマイルスへのトリビュート・アルバム『 Miles Away 』は、どうしてこんなにも、今もなおマイルスの不在を寂しがるマイルス・ファンの思い ( 喪失感 ) を満たすのだろう。それは、マイルスのサイドマンであったり、ライブを重ねたミュージシャンたちのどんなトリビュート・アルバムよりなのである。 橋本一子はこのアルバムのライナー・ノートで自ら「マイルス・ディビスは、私にとって、ジャズというジャンルにおいてはもとより、音楽における最   も重要であり偉大な音楽家のひとりです。」と言っている。そして、「常に新たな地平を見据え、スタイルもジャンルも超えて突き進んだその天才は、いま音楽をやっているわたしたちに多大な影響を残していきました」とマイルスのことを語る。 橋本一子をライブで初めて聴いたのは、吉祥寺の確か曼荼羅というようなライブハウスであったと思う。山下洋輔との共演であった。橋本一子の出現は、日本の歌謡界でいうなら、荒井由実の登場のようなもので、日本のジャズ界においては、全く新鮮な輝きと驚きと幸福であったと思う。アルバム『 Ichiko 』『 Beauty 』『 Vivant 』~『 Mood Music 』の三部作、四部作は、彼女の傑作であると思うし、日本の当時のジャズに明らかに、新鮮な風を吹き込み、彩りを加えたと思っている。ジャズを基本としているが、クラシック、現代音楽、ポップスと融合し、更にハスキーでスウィートなボイス・パフォーマンスを加えた彼女独自のスタイルは、刺激的で魅力的であった。 このアルバムは彼女の 14 作目にして初めて、マイルスに捧げられたアルバムということになる。女のジャズピアノアルバムというと、ジャズの世界では、軟弱でジャズ以外の聴く耳に媚びたようなものというようなイメージを持ちがちであると思うが、「 milestone s」から始まるこのアルバムは、力強い、男顔負けといってもいいような骨太のアルバムに仕上がっている。単音は力強く歯切れよくというものであり、そこに女性的なエコーを添えて、更にボイス・パフォーマンスを加えるというようなイメージである。選曲も「 Blue in Green 」「 E.S.P 」や「 Neferutiti 」のような、マイルスのジャズとロック融合期のナンバー...

2022年3月:歯根嚢胞手術の巻(入院食でひとりめし!)

 2022 年は、年賀状を出したばかりで、「ひとりめし」の投稿、更新もなく、 申し訳ありませんでした。実は、手術があったり、その後、別の生活習慣病が起こって、自宅療養と言っても、通院しながらの自主食事療法のようなことをしていました。   m ( _ _ )/  ごめん!    昨年度から歯と鼻炎の治療を継続的にしていて、その関係で上顎のCTを撮るということがあって、そこで歯根嚢胞が上の左の歯の根元にあるということがわかって、その手術の必要が起こりました。それで、三月末に入院をして、口腔外科で嚢胞を除去する手術をしました。その口腔外科でもう一度CTを撮ると、やはり歯の根元に嚢胞があるということで、この歯根嚢胞というのは、後々、葉肉や周囲の歯に悪影響を及ぼすので、やはり除去する必要があるということでした。また、その時、別の大きな粘液嚢胞というのも発見されたのですが、この粘液嚢胞は悪影響はないので、手術の必要はないと言われました。へえ!この粘液嚢胞のやつの方が大きくて悪そうなのに、取らなくていいとはね。やっぱり、小さくても歯の根元にくっついてできた嚢胞の方が小さくても悪いということなんだろう。その時、ついでに、その粘液嚢胞のやつもとって欲しいと思ったわけですが、悪影響が無いものを手術除去する必要はないということになったわけです。しかし、普通では歯根嚢胞チェックのためのCT撮影なんてしないから、この嚢胞を発見する機会というのはないなとも思いました。だから、多くの人がこの嚢胞がもしあったとしても、なんらかの症状が出るまで、放置することになるなと思うわけです。    手術は、午前中、一時間くらいで終わったと思います。医師は腕のいいと思われる女医でした。「よろしくお願いします。」と言うと、医師は麻酔を何か所かにして、歯を何回かで根元まで抜いた感じでした。麻酔が効いていたので、痛みは全くありませんでした。ところが、その後、嚢胞を探している様子で、「あれっ?!」と言うのです。ちょっと。なんだ?嚢胞がみつからないのか?ちょっと探っていて、中心より横のあたりで、「あった。あった。」ということで、その嚢胞をピンセットで取り出して、「ほら。これが嚢胞。」と言って、看護師に差し出して容器に入れさせた。これで、手術は首尾よく終わったというわけです。「ありがとうござ...

faces. 『The First Step』

 振り返って、そして遡って 60 年代のロックを聴いている自分にとって、また、『 Atlantic Crossing (1975 ) 』からロッド・スチュアートを好きになって聴いてきた自分にとって、フェイセズを聴くことは、 60 年代からのロックの森のなかで、親しい友達と出会うような感動がある。ロッドの歌声を聴くだけでひとまずホッとしてしまうところがある。   フェイセズのデビューアルバム『 First Step  (1970) 』は、 やはり 自分が好きでよく聴いてきたボブ・ディラン ( ボブ・ディランもその歌声を聴くだけで自分はホッとしてしまうところがある ) の『ジョン・ウィズリー・ハーディング』からのカバー曲で、「ウイキッド・メッセンジャー」から始まる。ボブ・ディランはブルースハーモニカを吹きながら、 2 ビートの跳ねるような感じのアップテンポでこのブルースを歌っている。ドラムもベースも入っているが、アコスティックブルース調である。アルバムのタイトル曲や「聖オーガスティンを夢に見た」「見晴らし塔からずっと」「フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド」などと比べると、ブルース曲の押しではあるが、あまりパッとしない曲である。 ところが、フェイセズが歌うこの曲は、全く別の曲かと思わせるようなロックテイスト溢れるアレンジで、更にロッドのボーカルとロンウッドのリズムギターとくると別の命を吹き込まれたようで、本当にいかしている。ブルースロックというより、グルーブ感が効いたリズム&ブルースロックなのである。そして、ボブ・ディランのオリジナルの中から何故、この曲を選んだか考えてみた。歌詞の内容は、「悪意を持ったメッセンジャーがいて、ちょっとしたことでも何倍もにして、お世辞しかしゃべれないようなやつだ。ある日、そいつは足の裏が燃えている。海が裂け、人々が立ちはだかり、そいつは悟った。良いことだけ話せばいいと。」というような少しばかり、啓示的な意味合いもあるかと思われる内容である。フェイセズがそのデビューアルバムの初っ端にこの曲を入れたのは、まずブルースであることが挙げられると思う。それから、俺たちはお世辞でなんだかんだごちゃごちゃ誇張してやるのでなく、よい歌だけを歌うんだというようなメッセージがあるような気がし...