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8月, 2021の投稿を表示しています

夏の終わりの夏バテ予防3食!

1 ヘジョワーダ まずはブラジルの家庭料理 ヘジョワーダ それを作るために 本場のヘジョワーダを もう一回食べてみよう! レストランブラジル 大泉のスーパーで ヘジョワーダ用の黒豆(へ―ジョンプレート)と 国産骨付き豚バラ肉、 業務用のフランクフルト、 ニンニクを購入 自家製ヘジョワーダを作ってみよう! 豚バラ肉と切ったフランクフルトを 鍋に油を敷いて刻みニンニクと黒コショウで炒める 水に一時間程浸しておいた黒豆を水ごと鍋に入れて煮る 水を加え、加え、豆が柔らかくなるまで煮る そして塩で程よく味付けをしたら できあがり! 暑い夏にピッタリ! 旨いよ。 勿論、BGMは アントニオ・カルロス・ジョビンか、スタン・ゲッツ/ジルベルトで(^^♪ 2 ソースカツ丼 これはスーパーで仕入れた三元豚のカツ ソースは自分のオリジナルソースをブレンドして作って 食べてみよう! これは簡単! やっぱり群馬の三元豚は旨い。 3 鰻丼 これもスーパーで仕入れた鹿児島産の鰻 一度、オーブンで鰻を焼いてから たれをたっぷり、山椒も少々かけて食べましょう! これも簡単だね! これで 夏の終わりの夏バテ防止は ばっちりだよ! R. 「男のひとりめし」は 今でも 基本、 自炊で食べているんだよ。

高崎観音山と三島由紀夫

  久しぶりに高崎の観音様をお参りした。手を合わすと巨大な観音像が、猛暑の中、涼しげな面持ちをして、聳え立っていた。お参りを終えて、下りの参道の途中でもう一度振り返り、観音様に手を合わせて別れの挨拶をした。  車に乗って、エアコンをつけてもまだボタボタと垂れてくる汗を拭いながら、走った。 そうすると、ふと無意識に口ずさんでいた歌があった。その歌は、あなたにとっては意外であるかもしれないけれども、「お〜さ〜なあなじみぃ〜のかんのんさぁ〜ま〜にゃ〜。おいら〜のこころぉはおみとお〜し〜。」である。高倉健の「唐獅子牡丹」である。  すると同時に、その日の三島が思い出された。思い出されたと言っても、特集番組を見たり、あるいは読んだりした記憶の中のということである。しかし、その日の出来事は子供ながらも白黒テレビの画面で見ていてその記憶はしっかりとあるのである。ことに及ぶその日、三島由紀夫は若い楯の会のメンバーとともに、駐屯地に向かう車の中で、その「唐獅子牡丹」を声高らかに歌っていた。ともすると揺らぐ決心を諫めるためか(いや、それはないな)、或いはことに及ぶその思いを勢いづけるためか、いや、その覚悟をメンバーとともに確認するためであろう。  三島はその事件を起こしたおとしまえとして、自決する。最初からそのつもりだったのだ。その事件は「三島事件」と呼ばれ、クーデター未遂ということで扱われた。三島の主張に耳を傾ける自衛隊員はいなかった(もしかしたら、いたかもしれない)。 三島は自衛隊を国軍として、天皇に返したかったのである。それが日本の文化と伝統を守ることと信じていた。三島を語るときに「憂国」という言葉があるが、三島は当時、日本の安保闘争、全共闘等を国の乱れとして憂いていたのである。そして、楯の会の若者たちに対してけじめをつけるため、その事件の責任をとって、自決をしたのであるが、ナルシストの三島由紀夫は、滅びゆく、失われゆく日本の秩序と美とともに、自分の死に場所を初めから求めていたのであろう。  その時、三島の本懐が実現していたとするならば、日本にとっても、日本国民にとってもよいことであったとは思えない。なぜなら、日本はすぐそこにあった体制に逆戻りしたに違いないと思うからだ。また、戦後の日米関係というものもあるので、そんなに簡単に日本国内の体制がそこに戻るのを、米国も許すと...

The end of the North - 埼北物語 児玉編 2 - 水源を求めて・・・

   源泉を見ていると先に書いた。それは埼玉北部の水の源泉ということだが、ここだけ読むと源泉を求めて、川を上流に遡って行くという話に思えるかもしれない。その「水」というのは、「水が合わない」というときの水である。ようするに風土みたいなものである。その風土みたいなものには、人柄、気質みたいなものも含まれるのだろう。それにしても、北部を熊谷、深谷、本庄、そして最も北の児玉と遡っているのではないか。川の水の源泉を求めて遡っていくのとどう違うだろうか。どこかそれと似通ったものを感じざるを得ないのである。  そこで、埼玉北部を流れる川を水源を求めて遡っていくと、利根川は奥利根湖を湛える八木沢ダムを経て、群馬と新潟の県境にある大水上山に水源を持つ。荒川は、長瀞を経て、秩父湖を持つ二瀬ダムを遡り、秩父の甲武信ケ岳に水源を持つ。神流川は、藤岡、児玉から鬼石町を流れ、神流湖を湛えた下久保ダムを経て上野村に至り、上野ダムを遡り、秩父、群馬上野、長野佐久にまたがる三国山に水源を持つ。  荒川は埼玉北部の熊谷、川本、寄居を流れ、埼玉の北端において、利根川と神流川は群馬との県境を流れる。  さて今回水源を求める児玉のど真ん中を流れる利根川の支流である小山川(見馴川)は、上流に東関東初の農業用水用ダムを持つ間瀬湖を控え、埼玉県皆野の女岳に水源を持つ。この水源は言うならば、純埼玉産である。 小山川  この物語は「世界の果て」「この世の果て」というような話から始まった。それをどうか辛気臭いとか、不吉だとか思わないで頂きたい。また、児玉編の児玉に「この世の果て」を自分は見ているわけではないし、その意味合いというものを重ねないで頂きたい。しかし、「The ebd of North」 と言った時に、「北の端」「北の果て」というニュアンスは生まれると思うし、そういった環境や雰囲気は持つという意味は含まれている。話を戻すと、旅をする者、旅をすみかとする者は、その「世界の果て」に拘り、いったいどんなところなのだろう?とか、この地上のどこにあるのだろう?などと考えるものだからだ。例えば、沢木耕太郎もそのことを思い、その場所を旅の終わりのサハラ砂漠に「世界の果て」を見ている。しかし、自分に向かって、朝陽が昇ってくるのを見て、ここは「世界の果て」であると同時に自分にとって世界の中心だと思う。サ...