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The end of the North - 埼北物語 児玉編 2 - 水源を求めて・・・

   源泉を見ていると先に書いた。それは埼玉北部の水の源泉ということだが、ここだけ読むと源泉を求めて、川を上流に遡って行くという話に思えるかもしれない。その「水」というのは、「水が合わない」というときの水である。ようするに風土みたいなものである。その風土みたいなものには、人柄、気質みたいなものも含まれるのだろう。それにしても、北部を熊谷、深谷、本庄、そして最も北の児玉と遡っているのではないか。川の水の源泉を求めて遡っていくのとどう違うだろうか。どこかそれと似通ったものを感じざるを得ないのである。

 そこで、埼玉北部を流れる川を水源を求めて遡っていくと、利根川は奥利根湖を湛える八木沢ダムを経て、群馬と新潟の県境にある大水上山に水源を持つ。荒川は、長瀞を経て、秩父湖を持つ二瀬ダムを遡り、秩父の甲武信ケ岳に水源を持つ。神流川は、藤岡、児玉から鬼石町を流れ、神流湖を湛えた下久保ダムを経て上野村に至り、上野ダムを遡り、秩父、群馬上野、長野佐久にまたがる三国山に水源を持つ。

 荒川は埼玉北部の熊谷、川本、寄居を流れ、埼玉の北端において、利根川と神流川は群馬との県境を流れる。

 さて今回水源を求める児玉のど真ん中を流れる利根川の支流である小山川(見馴川)は、上流に東関東初の農業用水用ダムを持つ間瀬湖を控え、埼玉県皆野の女岳に水源を持つ。この水源は言うならば、純埼玉産である。


小山川




 この物語は「世界の果て」「この世の果て」というような話から始まった。それをどうか辛気臭いとか、不吉だとか思わないで頂きたい。また、児玉編の児玉に「この世の果て」を自分は見ているわけではないし、その意味合いというものを重ねないで頂きたい。しかし、「The ebd of North」 と言った時に、「北の端」「北の果て」というニュアンスは生まれると思うし、そういった環境や雰囲気は持つという意味は含まれている。話を戻すと、旅をする者、旅をすみかとする者は、その「世界の果て」に拘り、いったいどんなところなのだろう?とか、この地上のどこにあるのだろう?などと考えるものだからだ。例えば、沢木耕太郎もそのことを思い、その場所を旅の終わりのサハラ砂漠に「世界の果て」を見ている。しかし、自分に向かって、朝陽が昇ってくるのを見て、ここは「世界の果て」であると同時に自分にとって世界の中心だと思う。サハラ砂漠は沢木が見た、沢木にとっての「世界の果て」であって、そこに俺が立ったからといって、そう感じるとは限らないと思う。昨日、625日だが、マイケルジャクソンの命日であった。マイケルは最後の大規模なロンドン公演、世界的なツアーを控え、リハーサルに集中していた。そのために、よく眠りたいと願い投薬をし、そのまま目覚めなかった。50歳であった。マイケルにとって、「世界の果て」は「This is It !」。ロンドン公演本番のステージそのものであったのだろう。

間瀬













 この間瀬湖の水こそが、最も濃い埼玉県北の水であるのかもしれない。埼玉北端の水の源泉であり、水源である。それは農業用水のためのダムに湛えられた水であるのだ。そうして、小山川を上流に向かってさらに遡っていくと、秩父地方皆野の金沢あたり、女岳に至る。そこは、採掘現場の地であった。
















 このように小山川水源を求めて川を遡りながら、一方で、テーマは「埼玉県北の風土、というよりむしろ埼玉県北人の気質」を探求、考察することであるのにも関わらず、実際に水源を求めることにいったい何の意味があるのかという思いが半ば、頭をよぎっている。半ばと言ったのは全く意味のないことではないと思える節があるからである。(続く・・)

  そして、今回の「埼北物語」は「日本神社」を紹介するよ。



日本神社

 児玉町の小平、荒井商店から左にある小道に入り、小高い山を登っていくとその神社はある。ふもとからは神社は見えない。日本全国を探してみても、「日本」という名がつく神社はここにしかない。日本女子サッカーのなでしこジャパンが参拝し、青い達磨を納めた。そして、勝利をものにするという、屈指の強運、勝運を招く神社といわれている。山の樹木が茂った登り坂の参道の石段を、左右に赤いのぼりを見ながら一段づつ、登って行く。






  791年、坂之上田村麻呂が蝦夷征伐の際、この地に立ち寄り、児玉小平の現在日本神社がある神山にて、神武天皇を祀って蝦夷征伐、平定を祈願したとされる。そして、平定後、社を建立したとされている。当初、神武神社と呼ばれていたが、六つの社が合祀され、1881年に日本神社と改名された。坂之上田村麻呂が征伐の戦勝を祈り見事平定を成就したところから、勝運の神とされてきたと思われる。また、日本神社と改名され、更に日本に勝運をもたらす神というイメージが備わったのであろう。
 その日、小雨が降っていたが、少し汗ばみながら、ひとり黙々と山を登り、神社の前に立って、二礼して、柏手を打つと、爽やかな風が境内を吹き抜けた・・・。







 さて、最後に児玉編の「男のひとりめし」はまだまだ続くである。今回は麵屋をメインにいってみようか!どの店も旨いよ!

日の出


梅丸二代目ということは
川本にある梅丸の二代目店ということなのかな
でも
「日の出」という店名がなんともいい
縁起が良くて


これは
味噌担々
コクがあっておいしいスープ




デザートで食べた
抹茶きなこアイス
黒蜜がかかって
旨い

 

くおん


くおんとは
久遠
久しく遠い
遥か彼方という意味
また
永遠と言う意味



若い店長は
遥か彼方までその味をとことん追求し
永遠に残る拉麺を
目指しているのかもしれない
醤油も勿論あるけど
塩をテーマに



メニューの裏に
トッピング、オプションメニューがある
餃子も旨い


桃太郎


店名の桃太郎に
神川塩ラーメンと
地名をうたっているところが
実にいいな


おやじがつくる桃太郎ラーメンは
塩味のスープよし
それで
ちぢれの太麺で食べると
その麺の食感と味とスープの絡み具合が
またいい







まつだ



綺麗に盛り付けられた
この冷やしたぬきうどんは
まつだのうどんである
麺のコシもあって
味もよし
夏にさっぱり食べられる


店内も綺麗で
整然としている






二松庵








小山川沿いに走って
二松庵の蕎麦を
食べてみよう
蕎麦の実の
味がする






きやんち



コシのある麺に


コクのある肉汁


天ぷらも選べる


俺はけっこう
ちくわ天が好き

旨い




R.



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