スキップしてメイン コンテンツに移動

かんちゃんと二人めし

  かんちゃんは俺と同い年で、同期である。車の整備士で本当にいい車の整備をしてくれる。俺がジャズをやっていたときに知り合って、それからずっと、愛すべきマイカーの整備はかんちゃんにまかせている。かんちゃんというと、寛二とか、貫太郎というような名前なのかなと思うかもしれないけれど、当時、ジャズクラブの幹事を担当していたので、かんちゃんという愛称で呼ばれるようになったらしい。かんちゃんはいい整備をするというだけでなく、かんちゃん価格というのがあって、完璧な整備をした上で、あれこれ考えてぎりぎりのところまで、値引きしてくれる。

金来



金来はかんちゃんが紹介してくれた最初の店
ここのタンメンはかなり絶品だよ
何と言っても
この店の歴史を感じさせる看板は感動もんだね!


日と月




この店は「日と月」という店の名前と
その外観に誘われて
かんちゃんを誘って行った店
看板の地獄ラーメン
ミニ丼も旨いよ!

 俺は、自分の仕事を得たまだ初任給の安月給の頃、よく働いて働きずくめであったにも関わらず思いと力及ばす力尽きた親父から引き継いだ一市民としては、多額のローンと自分の生活のためのローンをダブルに抱えていてカツカツの生活をしていたんだ(なんだか、身の上話になっちゃったね)。とは言っても、ある程度、勿論、100パーセントではないけど、やりたいことはやっていたので、人からはそう見えなかったかもしれない。その頃、給料を貰うとそれがほぼ返済となって、右から左へ消えていった。生活費を引くと人付き合いもままならない。そこでまだ若かったけれども俺はある選択をした。ん〜、こうなったら、更に借金してでも、今、やりたいことはやってしまおう!と。同時に俺は「楽天」というものを手に入れたのかもしれない。そして、俺が早期退職して、愛しのお袋の完全介護に入った時、もらった退職金は長期ローンの残りとカードローン返済等で半分以上さっと消えてしまったし、残りはお袋との介護生活でほぼ消えてしまった。切り崩しの介護生活に入る時、俺は「そのあと自分ひとりくらいはなんとかなるだろう。」と思っていたんだ。そんな俺にとって、かんちゃん価格は嬉しかったし、助かったんだ。

らいすぼうる




らいすぼうるはかんちゃんと走っていて見つけた店
店名はおにぎりという意味ではなくて
地名からとっているんだよ
久しぶりに普通の美味しい洋食を食べられた

 そして、かんちゃんも、一人で食べに出る飯には、かなりこだわりがあるんだよ。それでいろんな店を独自探究している。だから、食材と味つけだけでなく、風味や香りにまでこだわって一食一食に勝負をしているという感じだね。俺より非常に味にはうるさいよ。勿論、味には個人差や好みというものはあるけれども、もし、かんちゃんにまずいような店を紹介しようもんなら、その一食で一生恨まれるね。かんちゃんのひとりめし、外食への拘りは驚きだよ。これは、かんちゃんと食べに行ったひとりめし、というか、ふたりめしの記録なんだ。




笹はかんちゃんが紹介してくれた
とっておきの店
舌を焼くようなあんかけのスタミナラーメンが旨い!
餃子もつけて食べよう!
店の外観、たたずまいもいいよね。






喜久屋食堂



これは喜久屋食堂の
ロース―炒飯
炒飯の上に
肉糸(ロース―)が盛ってあるんだよ
美味だね!






ねんりん



ねんりんの
オムライス
旨いよ!






人生ってのは
思い通りにはいかないもんだな
(いや、思い通りにしたのか?)。

そして

こんな人生もあるんだよ。


最近、俺は思ったりする。



そして

かんちゃんと俺の

二人それぞれの
ひとりめしは

続く・・・


R.


コメント

このブログの人気の投稿

橋本一子の『Miles Away』

橋本一子 のマイルスへのトリビュート・アルバム『 Miles Away 』は、どうしてこんなにも、今もなおマイルスの不在を寂しがるマイルス・ファンの思い ( 喪失感 ) を満たすのだろう。それは、マイルスのサイドマンであったり、ライブを重ねたミュージシャンたちのどんなトリビュート・アルバムよりなのである。 橋本一子はこのアルバムのライナー・ノートで自ら「マイルス・ディビスは、私にとって、ジャズというジャンルにおいてはもとより、音楽における最   も重要であり偉大な音楽家のひとりです。」と言っている。そして、「常に新たな地平を見据え、スタイルもジャンルも超えて突き進んだその天才は、いま音楽をやっているわたしたちに多大な影響を残していきました」とマイルスのことを語る。 橋本一子をライブで初めて聴いたのは、吉祥寺の確か曼荼羅というようなライブハウスであったと思う。山下洋輔との共演であった。橋本一子の出現は、日本の歌謡界でいうなら、荒井由実の登場のようなもので、日本のジャズ界においては、全く新鮮な輝きと驚きと幸福であったと思う。アルバム『 Ichiko 』『 Beauty 』『 Vivant 』~『 Mood Music 』の三部作、四部作は、彼女の傑作であると思うし、日本の当時のジャズに明らかに、新鮮な風を吹き込み、彩りを加えたと思っている。ジャズを基本としているが、クラシック、現代音楽、ポップスと融合し、更にハスキーでスウィートなボイス・パフォーマンスを加えた彼女独自のスタイルは、刺激的で魅力的であった。 このアルバムは彼女の 14 作目にして初めて、マイルスに捧げられたアルバムということになる。女のジャズピアノアルバムというと、ジャズの世界では、軟弱でジャズ以外の聴く耳に媚びたようなものというようなイメージを持ちがちであると思うが、「 milestone s」から始まるこのアルバムは、力強い、男顔負けといってもいいような骨太のアルバムに仕上がっている。単音は力強く歯切れよくというものであり、そこに女性的なエコーを添えて、更にボイス・パフォーマンスを加えるというようなイメージである。選曲も「 Blue in Green 」「 E.S.P 」や「 Neferutiti 」のような、マイルスのジャズとロック融合期のナンバー...

2022年3月:歯根嚢胞手術の巻(入院食でひとりめし!)

 2022 年は、年賀状を出したばかりで、「ひとりめし」の投稿、更新もなく、 申し訳ありませんでした。実は、手術があったり、その後、別の生活習慣病が起こって、自宅療養と言っても、通院しながらの自主食事療法のようなことをしていました。   m ( _ _ )/  ごめん!    昨年度から歯と鼻炎の治療を継続的にしていて、その関係で上顎のCTを撮るということがあって、そこで歯根嚢胞が上の左の歯の根元にあるということがわかって、その手術の必要が起こりました。それで、三月末に入院をして、口腔外科で嚢胞を除去する手術をしました。その口腔外科でもう一度CTを撮ると、やはり歯の根元に嚢胞があるということで、この歯根嚢胞というのは、後々、葉肉や周囲の歯に悪影響を及ぼすので、やはり除去する必要があるということでした。また、その時、別の大きな粘液嚢胞というのも発見されたのですが、この粘液嚢胞は悪影響はないので、手術の必要はないと言われました。へえ!この粘液嚢胞のやつの方が大きくて悪そうなのに、取らなくていいとはね。やっぱり、小さくても歯の根元にくっついてできた嚢胞の方が小さくても悪いということなんだろう。その時、ついでに、その粘液嚢胞のやつもとって欲しいと思ったわけですが、悪影響が無いものを手術除去する必要はないということになったわけです。しかし、普通では歯根嚢胞チェックのためのCT撮影なんてしないから、この嚢胞を発見する機会というのはないなとも思いました。だから、多くの人がこの嚢胞がもしあったとしても、なんらかの症状が出るまで、放置することになるなと思うわけです。    手術は、午前中、一時間くらいで終わったと思います。医師は腕のいいと思われる女医でした。「よろしくお願いします。」と言うと、医師は麻酔を何か所かにして、歯を何回かで根元まで抜いた感じでした。麻酔が効いていたので、痛みは全くありませんでした。ところが、その後、嚢胞を探している様子で、「あれっ?!」と言うのです。ちょっと。なんだ?嚢胞がみつからないのか?ちょっと探っていて、中心より横のあたりで、「あった。あった。」ということで、その嚢胞をピンセットで取り出して、「ほら。これが嚢胞。」と言って、看護師に差し出して容器に入れさせた。これで、手術は首尾よく終わったというわけです。「ありがとうござ...

faces. 『The First Step』

 振り返って、そして遡って 60 年代のロックを聴いている自分にとって、また、『 Atlantic Crossing (1975 ) 』からロッド・スチュアートを好きになって聴いてきた自分にとって、フェイセズを聴くことは、 60 年代からのロックの森のなかで、親しい友達と出会うような感動がある。ロッドの歌声を聴くだけでひとまずホッとしてしまうところがある。   フェイセズのデビューアルバム『 First Step  (1970) 』は、 やはり 自分が好きでよく聴いてきたボブ・ディラン ( ボブ・ディランもその歌声を聴くだけで自分はホッとしてしまうところがある ) の『ジョン・ウィズリー・ハーディング』からのカバー曲で、「ウイキッド・メッセンジャー」から始まる。ボブ・ディランはブルースハーモニカを吹きながら、 2 ビートの跳ねるような感じのアップテンポでこのブルースを歌っている。ドラムもベースも入っているが、アコスティックブルース調である。アルバムのタイトル曲や「聖オーガスティンを夢に見た」「見晴らし塔からずっと」「フランキー・リーとジュダス・プリーストのバラッド」などと比べると、ブルース曲の押しではあるが、あまりパッとしない曲である。 ところが、フェイセズが歌うこの曲は、全く別の曲かと思わせるようなロックテイスト溢れるアレンジで、更にロッドのボーカルとロンウッドのリズムギターとくると別の命を吹き込まれたようで、本当にいかしている。ブルースロックというより、グルーブ感が効いたリズム&ブルースロックなのである。そして、ボブ・ディランのオリジナルの中から何故、この曲を選んだか考えてみた。歌詞の内容は、「悪意を持ったメッセンジャーがいて、ちょっとしたことでも何倍もにして、お世辞しかしゃべれないようなやつだ。ある日、そいつは足の裏が燃えている。海が裂け、人々が立ちはだかり、そいつは悟った。良いことだけ話せばいいと。」というような少しばかり、啓示的な意味合いもあるかと思われる内容である。フェイセズがそのデビューアルバムの初っ端にこの曲を入れたのは、まずブルースであることが挙げられると思う。それから、俺たちはお世辞でなんだかんだごちゃごちゃ誇張してやるのでなく、よい歌だけを歌うんだというようなメッセージがあるような気がし...