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赤城山 に行こう!- 名月赤城山? -




  「名月赤城山」で有名な赤城山は、この地方で育って生活してきた者なら、ほぼ毎日その遠景を見てきたと思う。小学校の庭に吹き下ろされる激しい赤城おろしは、庭の細かい砂粒を吹き飛ばし、ショートパンツの足にパチパチとあたり痛かったのを今でも覚えている。


 若いころは、赤城の大沼にくねくねと登りながら向かう山道を楽しみながらよく車で走って登ったものだった。いつからだろう?赤城山にいかなくなったのは・・・。長い月日を経て、再び赤城に向かいたくなった。それは、また何故だろう?


  長いこと御無沙汰したねと思いながら、その日は、積乱雲が沸き立って見える赤城山に、やはり大沼を目指して車で走って登った。ここ数年、何故かこの土地では、積乱雲を見ていない気がしてたのだが、この夏は積乱雲を見ることができた。




 積乱雲の真ん中はどうなってるのか?などと思いながら登り始めたが、大沼に着くころには晴れ間が出ていた。

















HUTTE HAYASHI
という
カフェがある
ホットドッグが旨い
勿論
サラダも旨い
赤城で飲む
エスプレッソも

・・・・・

ヒュッテのママが言うには
赤城では鹿を見ることがあるらしい




その日
鹿に出くわすことは
なかった


でも



俺の

名月赤城山


見ることができた。


R.


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 その後、代車に乗っているときに、小沼あたりをじっくり見てみたいなと思い、赤城山に今季、三度めの車を走らせた。標高1000mを越えたところから、道に雪が見え始めた。こんな感じだと道が凍る前に下りてくれば大丈夫だろうと思いながら、慎重に運転をしてさらに登ると、警官が立っていて、その先で車が斜めになって止まっている。危険なので、交通整理のため、ここにいるんだなと思う。その若い警官に聞いてみると、このノーマルでこの先行くのはどうだろうというようなことを言う。じゃあ、下ります!と素直に山を降りることにした。考えてみると、この時期に赤城山を走ったことがなかったので、俺はこういう状況があるということを知らなかったなと思う。この時期には、もう赤城の上には雪が降る。もっともなことだ。浅間山も真っ白だし、新潟の雪山も見える。

  その後、愛車のジムニーが戻ってきて、その慣らし運転をしていると、天気もいいし、気分も良くて、なんて言ったらいいのだろう。「ラバーカムバックトゥミー(ジャズのスタンダード)」みたいな。そんな感じだった。気分上々で、そうだ、雪で降りた赤城をやり直そう。そして、そのまま、また赤城に向かった。

  大沼は深々として、水を湛えていた。遥かに赤城神社の島が見える。空気はどこまでも澄んでいる。既に午後から夕刻に向かう赤城山。








  覚満淵



月が水面に降りて水面に吹く風に砕けている。


 
小沼に降りていくと、そのトレイルで老夫婦二人とすれ違う。「こんにちは」「小沼とはいえ、けっこう大きいですね」というと、じいさんがにっこりしてただうなづいた。沼の浜に出ると、山歩きを終えたか、或いは沼の浜で過ごし終えた二人がリュックを背負って去ろうとしている。「この沼の小さい祠がどこにあるかわかりますか?」「さあ。」わからないなぁというような顔をしている。



風で立った沼の波が岸に押し寄せ
はった氷が
ミシミシ!ミシミシ!
と音を立てている。


  そして、俺は沼に沿って最初逆時計まわりに歩き始めた。なぜかというとそっちまわりの方が祠に近いような気がしたからだ。足を止め、時計まわりに歩き始める。その方が歩き始めやすい沼沿いの小道が見えたからだ。葉を落とした木々の間を雪を踏みながら、ザクザクと歩く。ヒュッテの料理ママが言っていた。赤城の鹿に会うかもしれないなと思いながら歩く。もう、日は落ちようとしていて、さっきの二人が去ったあとでは、沼にはもう誰もいない。さらに歩きながら、熊のことが頭をよぎった。なぜなら、先程の老夫婦が、熊避けの鈴を鳴らして歩いていたから。でも俺は熊に出くわす時は、熊が出るかななどとは思ってもいないときに、突然、出くわすんだろうと思う。しかし、気づくと足早になっている。日が落ちる前に、沼を回ってしまおうという思いも手伝って。



地蔵岳





出発地点のちょうど真向かいを過ぎて、少しまた沼沿いの道を歩くと。
ありました。小さな祠が。
沼の弁天様が鎮座する。






 熊笹が生い茂る道を歩いていると、月が目に入ってはなれない。

流石、名月赤城山の赤城だな。

 











この時節この日の月は、名月とは、言い難いかもしれないけれども、
やはり、俺にとってはこの月も名月だな。

 





R.






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