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辣油ご飯としめの久の餃子、そしてゴム通しと荒木一郎

今週、昼は、ひとり飯はやってない。T.tと一緒に天気のいい昼に、えびすラーメンを食べに行ったり、相川食堂でレバニラ炒め定食を食べたり、Mも一緒に、藤岡市のみやこ食堂に中華そばを食べに行ったりした。ひとり飯じゃないから、写真は撮らないのかと思うかもしれないけど、人と飯を食いに行くときは、写真はやめたいという気持ちだ。話したり、なんだかんだ言ってるのが楽しいからね。男の二人飯も三人飯もいいもんである。あとの昼飯は、弁当でした。

今夜は、帰宅してから、30分くらい、ゴム通しと紐通しに集中していた。なんとゴム通しは生まれて初めてやった。なんだ、ゴム通しぐらいやったことがないのか、と思う人は偉いよ、自分でゴム通しやってきてるから。なにが悲しくて(楽しくて?)男のひとり飯野郎がゴム通しをやっているかというと「着つつ慣れにし」パジャマズボン二つと家ジャージひとつ、ゴムが抜けて、紐が解けると、スラリと脱げ落ちてしまい、松田優作の探偵物語のネクタイ締めて下パンツみたいな状態になってしまうからだ。誰が見ているというわけではないが、ヒラリとパジャマパンツやジャージが脱げ落ちたときは、全く気が抜けるというか、ガックリくるというかで、たまらなくその感じが嫌だからだ。前からなんとかしなきゃなと思ってて、今日、ふと思い立ってやったというわけだ。だいたいゴムパンツというのが、いただけないと思う人がいるだろうか?ジャージだって基本ゴムが入ってて、紐締めだし、パジャマもそうゆうものが多い。勿論、仕事着のスラックスやチノパン等はゴム付きじゃないのはわかっている。ゴムが入ってないそういうものは、柔道着か空手着くらいのもんだ。ここはパジャマを含む家着と思ってほしい。生まれて初めてっていうのは、今まで、ゴムが切れちゃったみたいだからたのむとか、紐が抜けちゃったからたのむとか言って、お袋に任せていたからである。なんということもないくらいに思っていたが、自分でやるとなると、シコシコシコシコいざってやるんだが、けっこう面倒臭いもんだ。だから、頼んでやってもらってる人は、母や、女房にそこは感謝した方がいい。俺は、こういうのはお袋がやってくれてたんだよな、みんな。ありがとう。と改めて感謝した次第である。また、新しいのを買えばいいじゃんという考え方もあると思うんだが(時としてそれは有効だ)、まだ直せば使えるものを、すぐに買えばいいというような考えはあまり好きじゃないし、家着みたいなものは、俺はなえたもんがより馴染んでいるので、より好んで着る傾向がある。だから家で着るTシャツなんかは、矢吹ジョーのようにボロボロになっても着ていることがある。「あ~したは、あし~たの陽がのぼるだろう~🎶

 それで、ひとり夜めしは、自分がそれを欲して、2、3日辣油ご飯を食べていた。そう,
その味を食べたくて食べていた。そして、今夜は、その辣油ご飯のしめで、お袋が好んで買っていた、久の手作り餃子で、お袋に感謝して、お袋に捧げつつ、餃子ご飯にした。
 
(^^)/R.  ありがとう! 


そして、今夜のミュージックは、先にあげた「果てしなき闇の彼方に」(あしたのジョー2のテーマ曲)が入って、「懐かしのキャシー・ブラウン」「今夜は踊ろう」「ジャニスを聴きながら」「いとしのマックス」「君に捧げるほろ苦いブルース」「りんどばーぐスペシャル」・・・と粒ぞろい☆の荒木一郎『プライムベスト』だよ!
君は荒木一郎を知っているか?!
 


 

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