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OUT BACK ! : 若冲・弘前編


『雨の日のOUT BACK ! 』の第二弾がある。

     芭蕉の筆に『三里に灸すゆるより・・・』というのがあるが、それに似た感覚で、桜を追ったほうがいいんじゃないかという気持ちに駆られた。謂うならば、季節を遡って、おそらく本州で咲いている最後の桜に会いたくなったということである。桜が自分を待っているというような、その桜を撮らなければならないという気持ちにとらわれた。

 高速道路を延々と走り続けていると、走るのが好きな自分でも、ただ走っているだけのような気がしてきて、いったいこの走りにどんな意味があるのかというような考えも過ぎったりする。勿論、目的を持って目的地に向かって走っているのだが、その目的地に辿り着いて、目的を果たし、その目的に満足できなかった時は、この長い長いひとりの運転は、空しいものになるのだろうかなどと考えながら走っていた。高速道路がただ無機質な道路だとは言わない、危ないのでお勧めはしないが、走りながら、十分ではないが、季節を遡っているような風景も見ることはできるし、窓を開ければ、その幾分涼しい風は心地よかった。また、胸が洗われるような風景も見ることはできた。本来的には、高速でなく下道を走り、幾つもの町や市、村を通りぬけ、川を渡り、山を越えるのがいいのかもしれない。かつて、芭蕉がそうしたように。しかし、高速道路ができてからは、時間短縮のため、自分の家から目的地までその過程を省略し、ワープする。高速の意義からすれば、走っている時は、速く走ることだけに専念すればいいのかもしれない。しかし、俺のようなものは、通過していく土地や町が気になるし、高速を走っていても、かつて下道を走っていたような意識で走っているのだろう。

 今回の目的には、もうひとつの目的があって、途中で福島県立美術館に寄り、東日本大震災復興祈念の若冲を観るということである。そこまで約690km、連休ということと事故渋滞があって、時間にして5時間かかった。美術館は混んでいた。建物は図書館と併設されていて横長の造りは、周りの自然と調和していて美しかった。信夫山(しのぶやま)が印象的だった。若冲ファンには、申し訳ないが、自分にとって若冲はどうということはなかった。動物、特に鶏を描くのが上手い、その生きたような目が特徴的だと思った。寧ろ周りの風景、信夫山や若冲のパネルの前で無邪気に自撮りをしている女の子と、観る前に食べた美術館前の甘食屋のおかみさんが若冲展のために用意した鶏弁当が心に残った。

 福島からさらに約460km、時間にしてまた5時間。夜8時過ぎくらいに弘前に着いた。弘前公園の桜、桜と弘前城を撮るというのが、このOUT BACK !の目的だ。車を近くのデパートの駐車場に入れ、ホテルに荷物を置きすぐに徒歩で出かけた。30分ほどで弘前公園に着く。夜の空気がひんやりとしていた。堀の桜はみんな散ってしまっていて、あぁ遅かったなと意気消沈した。しかし、このままのはずはないと気を取り直して、公園内に入る。公園はライトアップされていて、ほんの少し観光の客が歩いていた。しだれ桜が今咲いているのだ。そして、遅咲きの桜もその花を残していた。「ここよ。」「こっちよ。こっち。」「ほら。わたしが見える?」というように囁きかけている。それで、時を忘れて夢中になってシャッターをきった。気が付くと閉園の時刻になっていた。午後11時。じゃあ、俺は帰るよ。ありがとう。と弘前公園の夜桜に別れを告げると、一瞬、風が吹いて、花びらを散らした。


  (^^)/R. Thank You !
 
 

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