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7月, 2019の投稿を表示しています

文月庭花三花

    そして   ビートルズ が やってくる ヤアヤアヤア!       さらに     愛の歌       Mに捧ぐ     (^^)/R.

温泉天国 ♨

   その日の僕は、なんだか疲れが溜まったようで、くたくたの一歩手前みたいだった。暑かったり、涼しかったりの日々も続き、仕事は忙しいしで。今日は暑くて、身体も汗ばんでいて、思っているほどではないのかもしれないけど、顔もなんか脂汗みたいので、ぬめぬめしてるような気がする。そういえば、ここのところ、国道を走ると、「全身マッサージ」とか、「もみほぐし」とかの看板が、変なビームを発していて、「気持ちいいよ~♪」とか「楽になるよ~♬」とか言っているような気がして、首を傾げながら横目でみていたんだ。     どれだけ走ったんだろう?或いはそんなに走ってはいないのか?ナビに「温泉の国」かまたは、「温泉天国」とでも入力したんだっけかな?確か、高速も走っていたような気がするな。辿り着いて、ちょっとした森を抜けると、なんと、そこは温泉天国だった。そうかぁ!こうなったら、4、5軒、温泉梯子して、疲れ癒すぞー!ということになり、身体をよく洗って、トロリとした温泉に浸かる。あ“~。気持ちいい。やっぱ、疲れた時はこれだよなぁ。などと思いながら出て服を着ると、空腹であることに気づいた。そう思った途端に、目の前になんだか、ちょっと気が利いたような洋食が現れた。ナイスッ!ペロッとそれを食べて、また、次の温泉に入る。トットロ♪トット―♬。   結局、僕は温泉2軒の梯子で、温泉天国を後にした。 帰りながら、身体のなんと軽いこと。車もスイスイ走る。やっぱ、マッサージより温泉がいいかもな。この国は温泉の国だしね。待てよ。いつの間にか辿り着いたけど、どこにあるのか、あの温泉天国は、かつて、お袋を連れていったこともあるな。そうか。お袋が疲れた時は、温泉にでも浸かれと言っていたのかもね。お袋。ありがとよ。   (^^)/R. Thank You !

空海の立体曼荼羅と世界の中心で・・・

    空海の立体曼荼羅を見た。 実際に何体もの仏像をまじかにして、全体を見渡した時、確かに不思議な空間を醸し出していた。当時、空海の情熱をまじかにみた人々は、きっと畏れを感じたにちがいないと思った。それ以外は何も特別なものは感じなかった。しかし、どうか失礼だなと思わないで頂きたい。    ひとつきほど前に、「世界の中心で愛を叫ぶ」のテレビドラマ版を観た。 主人公は、愛する人が不治の病に侵されたことを知ってから、空を見上げ、空の写真を撮る。愛する人の為に空の写真を撮る。こういうストーリーは映画版にはなかったと思う。それゆえ愛する人も、その状況下で新たに芽生えた空への憧れを募らせる。本当であるならば、それはあまりにも無謀な試みで、医者や看護婦を伴っても、なお困難な旅であったと思うのだが、主人公は、愛する人を連れて、かつてみたオーストラリアの青空を見る旅に出る。それは、若さゆえ、愛するゆえの無謀として、許されるかもしれない。しかし、二人は旅立つ空港で、悲しくも座礁してしまう。    空に憧れて、空に何かを求めて空を見るという、また空景を撮るという行為は、自分は、愛する人を失った者が、とる行動、行為だと今は実感としてわかっている。かつて、荒木経維が愛する妻を失って、空景を撮ったように。     このセリフも、映画版にはなかったと思うが、座礁の場面で、愛する人が言う。 「あの世なんてないよ。」そして「天国なんてないよ。」と。さらに「ここが天国だよ。」と。  自分は、空景を撮る主人公や、「あの世も天国もない。ここが天国だ。」というようなストーリーやセリフを書く人というのは、見えている人、わかっている人が書いているんだな、そういうことを感じてしまう。    空海は、ドラマの愛する人が言った「あの世」や「天国」の全てを垣間見て、この国の守護や救済のために、その道を志す者には、系統順序立てて仏教、仏道を体系化して、洗練させていった。自分の独学の求道、究竟というものは、空海の爪の垢ほどにもならないのかもしれないが、空海が形造ったものが、実は全く的を得ているということがわかるのだ。自分は空海ほどの人物は、生きながらして...

新宿

   10 年ぶりに、新宿はどうなっているのだろう?と思い、立ち寄ってみた。 かつて自分にとって新宿は、大学時代のサークル ( 文学研究会 ) の大きなコンパから始まって、仲のいい友と酒を飲んだり、また食事をしたり、映画を観たり、新宿御苑を散歩したり、伊勢丹や丸井等のデパートで衣類をみたり、ジャズのレコードを探したり、ピットインで好きなジャズをさんざん聴いたり、写真を撮ったり・・・・という街だった。 足は自然にかつてアルパのあった出口から出て、そうして、ランチタイムということもあって、懐かしいラーメン屋を探し、またジャズ喫茶に向かった。そして、歌舞伎町の中心に、確か噴水があったかな?その中央の広場に向かった。さらに区役所通り、花園、ゴールデン街へと。そうして、大通りを渡り、昔、ピットインのあった場所を通り抜け、また、 DUG に至る。ジャズ喫茶もかつては、 DUG だけでなく、何軒かあったんだ。例えば、木馬とか・・・。西口やガード付近には、全く縁がなかったというと、そういうことでもない。とにかく、その日はそこに足が向かったということなんだ。 変わったとこと言えば、コマ劇場がなくなり、そこに大きな東宝?のビルが建ちそびえ、ゴジラが新宿の中心部に出現したということだ。そして、かつてはあったジャズ喫茶やジャズの店が無くなり、中央広場の突き当りの映画館が消え、そこが、突き抜けている。アルパは無くなったが、駅周辺に、紀伊国屋はあり、高野フルーツパーラーも、中村屋もある。短時間で見たからわからないところもあるかもしれないが、見た目であっても、見えないところであっても、 10 年もすれば、他にも変わったところは、あるのだろう。何がそれを変えたというならば、原因はやっぱり、よくもわるくも、商業に伴うスマホの情報革命であると思う。しかしながら、新宿のような古い街は、その根っこはやはり変わらないだろうと思うのだ。だから、 DUG のマスターはいつまでも、いつまでも、その店を維持し続けて欲しいと心から願うのである。そこには、見えるものと見えないものと新宿とジャズの歴史が刻まれていると思うから。   今回は短時間であったが、新宿を去るとき、「青春のかけらを置き忘れた街」という河島英五の歌のフレーズが頭に浮かんだ。新宿だ...

元祖 わらじカツ丼

 子の権現にお参りした帰りに久しぶりに、安田屋のわらじカツ丼が食べたくなって、寄ってみた。かつて、ここはドライブコースに入っていて、お袋も何度か一緒に食べにきたことがある。 わらじカツ丼はどこか変わったところがあるかというと。かつてはもう少し薄いカツであった気がするが、ボリュームが増したような気がする。想像するに、スマホの情報化が進んで、若い客もあちこちから多く訪れるようになって、ボリュームを増したのだろう。 味は変わってないし、やっぱりうまい! これが、元祖わらじカツ丼である。 弟さんの姉妹店が秩父市内の踏切の近くにもある。 (^^)/R. Thank you !  

子の権現

    お袋が二階のベランダで布団を干していた時に、一階にかかった電話を取ろうとして、階段を一段踏み外して、大腿骨を骨折した時、入院中のお袋を毎日見舞ったが、職場でそのことを話すと、足腰の神様があるということを、同僚の N が教えてくれた。「効きますかね?」というと、「効くよ!」と言った。その言葉を信じて、俺は夢中で秩父から高麗川沿いに車を走らせ、正丸峠を越え、飯能に至り、深い山の頂上にあるその寺に車を走らせた。そして、辿り着いたのが、子の権現天龍寺である。 病院の担当医が良い医師で、お袋の足の手術は無事に終わり ( お袋の大腿骨はボルトナットでとめられた ) 、近所は、入院していて入院ボケが始まったお袋を見て、「はぁ、出てこねぇよ。」というようなことを言っていたらしいが、その後お袋のリハビリを担当してくれた医師がまた良い医師で、自身の熱意とともに、お袋は見事歩けるようになるまでの復活を果たした。お袋の入院ボケだが、毎日、家事や様々なことで動き回っていた人が見知らぬ一部屋に動くこともなくじっと閉じ込めらると、入院ボケということがおこるのだろう。その時、どうしたものかとさんざん考えた挙句、看護婦に「お袋を、一度家に連れ帰ってもいいかな?」ということを提案して、俺はお袋を抱きかかえて車に乗せて、お袋を家に連れて帰った。すると、お袋はすぐにボケから回復した。その後は、リハビリ等も始まり、そういう症状になることは全くなかった。 お袋の骨折に際しては、病院の主治医はじめ、リハビリの担当医、スタッフ、そして、子の権現の神様に心から感謝をしている。退院の時、「よかったねぇ。」という看護婦の声に、ニコニコ顔だったお袋のことをよく覚えている。本当に嬉しそうだったな。 そうして、その機会に家の中の段差も無くして、手すりも設置し、お袋が安全に家のなかで過ごせるようにした。しばらくの間、お袋は骨折から見事に復活を果たして、健康な日々を送っていた。それから、電話には極力気をつけるようにした。鳴れば慌てて出たくなるのが心情だから。 しかし、予期せぬできごとというのは、突然やってくる。お袋を近所のパーマ屋に連れて行き、「終わったら、電話してくれる?すぐ迎えにくるから。」「いいよ。終わったら送っていくから。」という言葉に、一度、「いいよ...

養老渓谷 ♨

千葉の養老渓谷をゆくと。 鮮やかな朱色の観音橋があって その橋を渡り 山を登ると 源頼朝が再起を願ったという 観音様に会うことができる。 そして その渓谷は 不思議な光を映し出す 鉄色の 湯が沸いている。               (^^)/R. Thank You !  

浜千鳥

青い月夜の浜辺には 親を探して鳴く鳥が 波の国から生まれ出る 濡れた翼の銀の色   夜鳴く鳥の哀しさは 親を訪ねて海越えて 月夜の国へ消えてゆく 銀の翼の濱千鳥・・・                           (^^)/R. Thank You !      

月の砂漠 ☽

    むかしむかし、まだ車の免許も持っていなかったころの話。   僕はそんな少年の日に何を思ってか、一人で長いこと電車に揺られて乗り継いで御宿の砂浜にやってきたことがある。なんのために、またなぜ御宿だったのか、なにひとつ思い出せない。それから四十数年経ったいま、その謎を解き明かすべく、僕は再びその砂浜に立ってみた。 海風が吹き、太陽が雲の合間に見え隠れする長い砂浜の海。   なにひとつ思い出せず、謎を解く鍵もみつからない。覚えているのは、少年のある日、僕はこの浜に立ちたくてやってきたということだけ。少年の自分に感情移入して、思いを巡らすと。海は広いな大きいな、いってみたいなよその国。少年は広い、長い、美しい砂浜の海に行きたかった。しかし、鳥取砂丘では遠すぎる。そして、月の砂漠の砂浜にたどり着いたということだろうか。 ロマンティックの始まりだったのかもしれない。 謎はとけないままだ・・・・。 とその時、僕は思ったが、その後思い出したことがある。謎は、意外と単純だったんだ。「俺たちの旅」のイントロダクションだった。あなたは覚えてる?   月の砂漠を はるばると     旅の駱駝が 行きました・・・・。     (^^)/R. Thank You !