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青い瞳のステラ、2019年夏・・・(さらばレスポール!)

  柳ジョージのライブを観ながら、書いている。
  
柳ジョージも愛したギターはフェンダーだったんだななんて思いながら・・・。
 

 



  今の俺(古い昭和歌謡をロックビートにカッコよくのせたい)には憧れのレスポールより、フェンダーのストラトトキャスターが合っていると気づいたんだ。

その日俺は憧れのレスポールにさよならをした。
 
そこまで四本のギターを変遷(初めて手にした中国製の安いギターはよく弾いたけど、次のレスポール、エピフォンは鳴らしたくらいでほとんど弾いてない)して、結局五本目で、言うならば総額18万かけて、フェンダーに辿り着いたってわけなんだ。音自体と響きやキレが違う。たぶん、弦を張るブリッジの構造のせいだと思うんだけど、レスポールは特にストロークして弾いた感じが硬く感じるんだ。それとネックを握った感じも硬い。そして、エピフォンのモデルだとストロークリズムのキレが悪いし、
締まりがなく、音も狙った音が出てこない。
 最初に手にした安物のギター(でも俺はこのギターこそ思い入れは深いし、感謝している大事なギターなんだ。だから安物であっても最初に弾くギターは大事だよ。そのギターに影響されるって意味で)は、今わかったんだけど、フェンダーの廉価版のモデルだったんだ。そのギターで今まで練習して、やっと編み出してきた音やスタイルや奏法がストラトキャスターだとそのまま生きるってことになるかな(ようするに練習してきたギターと同じ構造ということだからかもしれない)。音は少し上質の音になって。
俺もブルースフレーズかなんかをバリバリ弾きたくなったとしたらそのときは、
レスポールを弾きたくなることもあるかもしれないけど。今は弾きたいとは思わない。
10年先はわからないけど。
 
それになんだろう?
俺はピックじゃなくて、素手で弾いているだろう。
フェンダーのベースってのは、いまはピックで弾くやつも多いと思うけど、
やっぱ素手で弾いてきただろう。
たまに音を合わせてもらうベースのHさんも素手で弾いてるし。
だから、
フェンダーは、構造も、素手で弾くのにも適しているというか、優しいんじゃないかな。そんな気がする。
 

 
  どっちも材質は硬いのに、なぜだか握った感じが柔らかいのはレスポールよりフェンダーなんだよ。ネックの形状やギターの重さってこともあるかもしれない。
それから素手で弾いているからわかるのだろうと思うけど、弦の種類ということでなく、リズムストロークしたときに、フェンダーはレスポールより、柔らかい。
 

 
ということで
 

俺は
憧れのレスポールより
フェンダー
ストラトキャスター
エアロダイン

ぞっこん惚れている。
このエアロダイン

抱いて寝ている。


でもね
ギター演奏も
域に達したなら
どんなギターを持ったとしても
それなりうまく
弾きこなすもんだと思うよ。

俺が
最初に手にして
ここまで一年半くらい
夢中になって弾いてきた全てセットで
一万五千円くらいの
FENDERモデルの
中国製のエレキギターは
SELDER
という名だった。
とにかく安く数を売るということで
そんな
名前にしたんだろう。

このギターのおかげでFender Aerodyne に
出会えたと思っている。
夏の暑い日
渋谷の
石橋楽器店で。

あの日
このギターに出会えたことが嬉しくて
汗をかきながら
代々木公園の奥までギターを持って歩いて行って
木陰で弾いたんだ。


 
(^^)/R.  Thank You !

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