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12月, 2019の投稿を表示しています

みんな、良い年を! - 年越しそば -

  信州産の生蕎麦を ほどよく茹でて のりをのせ   揚げたてのかき揚げ天ぷらで食べる 天ざる は いかかが   山葵と葱を薬味にして お気に入りの蕎麦汁 で召し上がる     地酒もそば?に 用意して   みんな。 良いお年を!   (^^)/ R.  

納豆お好み焼き

  納豆ピザじゃなくて これは 納豆お好み焼き   お好み焼き粉、または薄力粉を水でといて キャベツを切って入れる さらにお好みで桜エビ、切りイカ、揚げ玉を入れる そこに納豆を入れて、玉子を入れて よくかき混ぜて こんがり焼く   好みで ソース、マヨネーズ、鰹節、青のり、紅生姜等を トッピングして できあがり   旨いよ   (^^)/ R.  Thank You !

おもチーズとブロッコリーとチキンのカルボナーラ

  たまには自分がクッキングしたものも 書いてもいいだろうと思って。   これは 醤油味のおもチーズ いそべ巻きの要領で作ればいいんだけど おもちを 焼いて醤油をつける チーズをのせてまた焼いて もう一度醤油をつけてね そして のりを巻く   おいしいよ。   やってみ。         これは ブロッコリーとチキンのカルボナーラ ブロッコリーを茹でたのちに 細かくちぎって ホウレン草、人参、玉ねぎ と 鶏のもも肉を平らにカットした肉とニンニク そして オリーブ油で炒める そこに カルボナーラソースと牛乳を加えれば ソースの出来上がり! 味は塩で調節してね。   パスタを茹でて ソースを上にのせれば できあがり!   食べるときは 混ぜて食べてね。   パスタなのに 肉も野菜も摂れて いいと思うよ。   美味しいよ。   (^^)/R. Thank You !        

The Christmas Song

Chesnut roasting on an open fire Jack Frost nipping at your nose   yuletide carols being sung by choir and folks dreesed up like Eskimos   Evrybody  knows:   a turkey and some mistlete help  to make the season bright   Tiny tols with thier eyes all aglow will find it hard to sleep tonight   They know that Santa's on his way   He's loaded lots of toys and goodies on his sleigh   And evrey mother's child is gonna spy to see reindeer really know how to fry   and so I'm offering this simple phrase to kids from 1 to 92   Although it's  been many times,many ways;   Merry Christmas to you   by Mel Torme & Robert Wells        メリークリスマス   あなたに     R.

森田童子の『淋しい雲』と寂寞

いつもきみのあとから長い影を踏んで いつも君のあとからついてゆきたい どこにゆくあてもなく僕たちは よく歩いたよね 夏の街の夕暮れ時は 泣きたいほど淋しくて 僕ひとりではとてもやって ゆけそうもないよ 君の好きなミセス・カーマイケル 僕もいいと思うよ 夏休みが終わったら もう逢えなくなるね そしたら時々懐かしいミセスの話をしようよ 夏の街の夕暮れ時は 泣きたいほど淋しくて 君一人では とてもやってゆけそうもないから   どこにゆくあてもなく僕たちは よく歩いたよね 夏の街の夕暮れ時は 泣きたいほど淋しくて 僕ひとりではとてもやって ゆけそうもないよ   森田童子 『淋しい雲』   森田童子の歌には、学園闘争に敗北、挫折した若者の悲哀と寂寞があると思う。柴田翔の小説が抱えたテーマのような。   漱石の「寂寞」を書いたので、仕事帰りの車の中でふと頭に浮かんで、口ずさんだこの歌の寂寞を書きたいと思った。思えば、それは思春期には早すぎるほんの少年の頃、夕暮れを見た時にいつも感じていた「淋しさ」があって、それはいつまでも俺に付き纏ったけれども、あの「寂莫」はいったい何だったんだろう。       彼女は あの時、新宿のロフトで歌っていた。   それは俺が経験した 初めての アンダーグランド であったかもしれない   俺は同級生と一緒に 息をひそめるようにして 彼女が か細くかん高くて強い そんなボイスで ギターを抱えて 物語の語りを交えて歌う 歌を聴いていた。   何故だかわからないけれども 彼女はそれをわかっていたかのように 俺の一番好きなフレーズを ジャケットに書いた。   ありがとう。 と言って     ( ^^)/R.   Thank You !

漱石の『こころ』と明治の精神と寂寞

 漱石は、小説「こころ」の下巻「先生の遺書」の中で、その主人公である先生に「明治の精神に殉死する」と言わせている。また、先生は、それ以前に親友の K と下宿のお嬢さんとの三角関係の恋をめぐり、お嬢さんを獲得するために K を出し抜いて、婚約を下宿の奥さんと決めてしまう。その後、 K は「薄志弱行でとうてい行く先に希望が持てない」という遺書を残して自殺してしまう。先生はお嬢さんと結婚生活を営むことになるが、 K を裏切って自殺に追いやってしまったという罪悪感と寂寞を背負って暮らすことになるのである。ここに、「明治の精神」と「寂寞」という言葉が出てくるのであるが、ここでは、この二つの言葉の意味に拘りたいと思う。    まず、「明治の精神」である。先生は、明治天皇の崩御、そして乃木将軍の殉死の報道を受けて、私も「明治の精神に殉死」しようと思うようになるのである。乃木将軍の殉死は、明治天皇に命を預けた乃木将軍が、己の職務の中で明治天皇の崩御に殉ずるというものであり、公的な意味を持つものであると思うし、当時の日本の軍人の魂のあり方として、理解、納得ができる人は多いと思う。その乃木大将の殉死とシンクロナイズさせて先生の自殺を描いているところに、漱石のトリックがある。どういったトリックかというと、実際は、個人的な罪悪感と寂寞に苛まれて先生は自殺するのであるが、その先生の自殺を乃木将軍の殉死と重ねて描くことによって、美化するというトリックである。そして、読者に先生の死は美しいと思わせてしまうのである。実際、友人を騙して死に追いやってしまったという罪悪感を背負い、その罪滅ぼしのために自殺する先生は、美しい?のかもしれない。しかし、乃木大将の殉死とは、公的と私的という大きなレベルの違いがあるだろう。嫌な言い方をするかもしれないが、乃木将軍の殉死が広義を持つならば、先生の自殺は、狭義であり私義であり、エゴとさえ言えるのであろうと思うのである ( 寧ろ罪滅ぼしとしても罪悪感と寂寞に耐えながら、お嬢さんを守って生きるという美しさもあるだろう ) 。さて、それでは、先生の言う「明治の精神」とは、いったいどんなものなのであろうか?維新、文明開化、啓蒙・・・という新旧が入り混じる混沌の中で発展を目指して快活、活発であった時代。そういう時代の「日本帝国主義を軸とす...

鎌鼬(カマイタチ)にご用心!!

今月の上旬の出来事である。     その日、日直の鍵閉め当番だったので、日没近くに、二回目に玄関を閉めに行った。一回目は5時過ぎであったが、まだ入って来る者がいたので、閉めるのをやめたのである。玄関から外を見ると、近くの薄暗がりで、 5 、 6 人がたまって話をしている。外に出て、そのうち近くにいる二人のうち一人とちょっと立ち話をした。向かい側の 3,4 人が暗い影になって雑談をしている。さらに少し離れたところに、軽自動車が停まっていて、ハザードを点けているのを見た。運転者は暗くて確認できなかったが、薄暗がりのなかで、ハザードランプが黄色く点滅していた。お迎えの車で誰かを待っていたのだろう。もうその時期なので、夕刻になると少し冷え込みはじめたが、強風が吹いているというようではなかったと思う。それでもやはりまだ、入ってくる者がいたので、二回目も玄関を閉めるのは断念して、玄関から中に入り、廊下を歩いていると、何かがポタポタ顎のあたりからたれているような気がして、それを手で拭いながら歩いた。気のせいかと思っていたが、しつこく垂れている様子なので、拭っていた手を見てみると、手が血だらけなのである。「なんだよ!血かよ!」と思い、慌てて洗面所に入って、鏡を見ると、左顎の半分より下あたりからすっと線が入って切れていて、顎の下あたりに血が溜まってポタポタとたれている。血だらけになった手を洗い流し、トイレットペーパーを濡らしてやはり血だらけになっている首や頬や顎を拭った。そして、暫く傷のあたりにトイレットペーパーをあてて押さえていると、幸い血は先ほどの出血を思うと不思議なくらいすぐに止まったのである。しかし、ワイシャツは血だらけである。 部屋に戻って、同僚に見せると、「どうしたんですか?!」ということになった。冗談を言っている場合ではないのだろうけれども、「力石徹のカミソリアッパーを食らっちゃったんだよ!」と答えた。「え~っ!」という同僚にその一部始終を話した。正に俺は、力石徹にカミソリアッパーを食らった時の矢吹ジョーのように血まみれだった。何かにぶつかったということもないし、何かにかさったり、かすったりしたということもない。そして、極鋭利な刃でスーっと切ったと思われるような痛くもなんともないような綺麗な切り口である。あの薄暗がりの...

デビット・ボウイを聴いていた

デビットボウイは、 5 枚くらい LP を持っているだけで、まぁそれで大体わかっているつもりになっていていいと思っているけれども。その 5 枚は、「ジギースターダスト」「スケアリーモンスター」「ステージ」「トゥナイト」「レッツダンス」。    しかし、俺はジギーから聴いていて、その前後を聴いてないなと思い。ジギーに至るまでの暗中模索のデビットボウイを聴いたり、またそれ以後も詳しくは聴いてないと思いそのあたりを聴いていた。それでわかったことは、ジギーに至る約 10 年のあいだにデビットボウイは、強いてロックの主流でなく、独自の個性を探し求めて、パントマイムや演劇的なことまでしている。そのファッション性が後にグラムロック発祥に繋がっていくんだと思う。当初、アコスティックギターを弾きながら歌うデビットボウイは、ポップ調であって、いまいちではあるけれども、メロディや曲作りに可能性を感じる。面白いところがある。そのあたりで、「スペースオディティ」のシングルヒットを飛ばす。 が、アルバムは泣かず飛ばず。そして、「ハンキードリー」の「チェンジス」でヒットを飛ばす頃には、アメリカンソウルを取り入れ、ニューヨークアンダーグランドで人気を獲得し始める。   「ジギースターダスト」は、その 10 年間の結晶で、ロックとポップスを全く上手く融合させて、独自のメロディと歌い方と歌詞で他にない個性を築き上げ、一世を風靡する。まぁ、たどり着きたかったところに行き着いたというわけだ。ところが、デビットボウイは、ジギーにおいては、これまでの結晶を姿にしたジギーを自分自身で演じていたというわけだ。そこで、ジギーのライブツアーの最後に、「ロックンローラーの自殺」を歌い、ジギーのバンドユニットを解散してしまう。「みんなこれまでありがとう。忘れない。」と言って。ジギーを終わらせて、デビットボウイとしての活動に移る。そして、「アラジンセイン」において、グラムロックを確立する。   今回の『デビットボウイを聴いていた』で、特に改めて新たに心に残ったデビットボウイのナンバーは、「スペースオディティ」「チェンジス」「ロックンローラーの自殺」「アッシュズトゥアッシュズ」だ。    だからどうしたと思うかもしれ...

師走庭花九花

    師走の庭の花は ちょっと さみしいかな?   (^^)/R. Thank You !

BABY BABYのシングル・チーズバーガー

  那覇の国際通りを ちょっと入ったところに Baby Baby という ハンバーガーレストランがある。   シングル・チーズバーガー(勿論ダブルもある)は 炭火の香りのするハンバーグに チーズがこってりとろけている。 それに トマトとサニーレタスを 挟んで食べる。   タンドリーの香りの ハンバーガーは 旨い。   こざっぱりした店内が なんだか沖縄的で 髭を生やした 優しい若者がやっている。     ハンバーグの香りは 燻製にしたハンバーグをつかっているからだと 言っていた。   (^^)/R. Thank You !

沖縄に思ふ

  沖縄に関しては 様々な意見や議論があると思う。     俺は 沖縄に真の戦 後はないと思っている。   なぜならば 県の中央に巨大な米軍基地があり、   戦後、ずっと、 ただ 基地問題で終始してきたからだ。   そして 観光開発が少しばかり なされただけで   正常な土地開発や 都市開発、 工業促進、 農業、水産業促進等・・・ 本格的な発展、発達事業がなされていないと思う。   俺は 沖縄を、遅すぎるかもしれないけれども 米軍基地から解放したい。   本土返還されたけれども、   例えば 観光開発が順調に成されていれば 沖縄は 日本のハワイになっていてもいいはずだったと思う。   安保体制のもと 現状維持というのであれば 基地を置いたままでも 国はその力で 大企業の工場を誘致することはできないのか?     例えば 自動車工場を誘致して 多くの県民の雇用を生み出し 新車(今や新車が売れると思う)を製造し 中国、韓国、台湾、東南アジア、中東へと船で輸出する。 精度のいい家電等の工場もいいと思う。 精度のいい高額製品と丈夫な低額製品の二種生産で メイドインジャパンをバンバン出荷する 大きなハブ港を築き上げることはできないだろうか?   このことは、ずっと以前から考えていた。   先に 沖縄を米軍基地から 解放したいと言ったが   それは あの広大な土地があれば そういう意味でも 多くの工場を誘致できると 思うからだ。   県民の心情としても 米軍基地から解放されなくては 日本に還ったという気持ちにはなれないし 正常な戦後を迎えることはできないのではないだろうか。   基地の必要性ということであるならば 自衛隊を強力にして 沖縄にその基地をおけば いい...