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3月, 2019の投稿を表示しています

あとひき豆

 アネキが帰ってから、アネキが置いていった 酒井のあとひき豆(落花生) の殻を パキッ ☆ て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、また殻をパキッ☆て割って、ピーナッツを出して、薄皮をむいて、ポリポリと食べ、もう 本当に止まらない落花生を食べながら、ひとしきり「ほら!鳩撮った!」と言って得意そうに見せてくれたアネキのことや、このお彼岸のことを考えていた。 (^^)/R. ありがとう! 

焼き肉ご飯

    夕飯時や昼飯時のランチ狙いで、、ひとりで焼き肉屋で、焼き肉ご飯を食べるってのは、それなりに根性がいるもんである。カウンターかなんかあればいいが、カウンターが無い店だと、ボックス席を独り占めすることになるからだ。それでも、どうしても焼き肉屋でひとり飯したくなった時には、それをやるしかない。ずっと焼き肉みたいなものを食べない日々が続いたが、ある日、焼き肉を食べたくてしょうがないというほどでもないが、食べたくなった。そこで、高級焼肉店ならそんなに混んでもいないだろうと思い、 米沢牛でうってる 琥珀屋 ( 以前は確か、一口ステーキの焼き肉弁当が美味しかった、喫茶店風レストランだった ) に行くことにした。  それでも、二組待ちくらいになっていたが、待つことにした。店内は、全く改装されていて以前とは違う。段違いでボックス席が置かれているようだった。席が空くとボックス席に通され、注文をする。飲みたいわけじゃないので、ノンアルコールのビールを頼をんだかな頼まなかったかな、カルビ、レバー、鶏ももと野菜焼にご飯を頼んだ。まもなく、肉や野菜が皿に盛られて運ばれてきて、カルビからどんどん乗せて焼きはじめ、まず、カルビを食べると、これまたやっぱり旨い!ご飯も進むってなわけである。焼き肉ってのは、タレで食べるもんだから、旨いってのは、タレの味と肉の食感と肉汁と脂身の味ってことになると思う。何が旨いんだと聞かれると、焼いてタレ無しで食べても旨い味ってことになると思う。実際、いい肉は旨い。それで、その晩はひとり美味しく焼き肉ご飯を済ませたというわけだ。ウエイトレスのお姉ちゃんも。まぁ、愛想のいい可愛い娘で、気分も悪くない。若い時だと、むしゃむしゃ食べたいだけ食べて、そういうわけにはいかないと思うが、それで ¥ 3,900 くらいだったかな。この歳になるとそれで腹いっぱいで十分なんだ。   墓参りをした翌日は、じゃあ、高級焼き肉を食べに行こう!ということになり、風の強い日だったけれども、二人で出かけたが、あいにく、本日は予約で満席ですみたいな、表示が入り口にあった。ちぇっ!なんだよ、せっかくまた来たのに。少し拍子抜けで、がっかりもしたが、焼く肉を予約して食うってのは、いったいどんな奴らなんだよとその中に自分がいなくてよかったという気もした。と...

彼岸の生まれ土地(鬼石町)

彼岸なので、春分の日は休日ということもあって、みんなもお墓参りしたかな? 俺も生まれ土地の鬼石町に訪れて、墓参りをした。非常にいい天気で、墓参り日和だったね。  生まれ土地の 鬼石町 は、なんの変哲もない小さな田舎町で、今日も静かに佇んでいた。子供の頃、ガキグループを作って、神流川で泳いだり、石の投げ合いをしたり、三波川渓谷で遊んで、沢蟹をとったりした。町のなかでは、先に書いた銀玉鉄砲で遊んだ。勿論、それだけではなく銀玉が流行る前は、チャンバラをやったり、缶蹴りやだるまさんが転んだ、二グループに分かれてやるかくれんぼ ( 逃がし ) なんかをしてよく遊んでいた。山遊びは、町の西にある山を一本松と呼んで、そこには、秘密基地を作った。東側の山は一本松より高く、二本杉と呼んでいた。山道をひたすら登り、川の中や川のほとりを登ったりして、山頂征服を楽しんだものである。町の周りじゅうの山に登った。ある時は、はるか峠を越えて隣町まで行ってしまい、夜になって車で迎えに来てもらったこともある。相棒の Y と秘密で、穴を掘り続け、地球の裏側に行くことを計画したこともあった。 三波川渓谷 には、一面、青緑の砂でできた山があって、俺たちはその山を青い砂と呼んでいた。「今日は、青い砂に行ってみるか!」ってな感じである。今思うとその青い砂は三波石が自然に削られてできたものか、或いは石を削った石の削り粕が捨てられてできた山かもしれない。 鬼石というのは、興味をそそるような不思議で変わった地名だが、幼いころ、「鬼が石を投げたその石のある場所 ( 鬼石の神社になっている ) ということで、鬼石という名がついた」という話を聞いたことがある。鬼石町に伝わる昔話からその名がついたのであろう。名物の 八塩煎餅 は藤岡の瓦煎餅とはまた違い職人技で焼いた非常に薄い煎餅(また磯部煎餅も薄いがそれよりも更に薄焼きである)で、地酒は 鬼面山 である。三波川には、天然記念物となった 寒桜 が山頂付近一面に咲く観光名所の 桜山 がある。健康ランド風の桜山温泉が後 からできたが、古くから 八塩館 と 神水館 という温泉旅館もある。   天気がよかったので、その日は桜山に登り、鬼石町を山頂から眺めた。 (^^)/R.   Thank You ! P.S...

三夕三食(肉野菜焼きそば・焼きそばライス・かき揚げ天ざる)

かき揚げ天ざる蕎麦 焼きそばライス目玉焼き付きブロッコリー添え

アディールのダルカレー

  アディール はインドカレー屋だ。この地域でも知っている人はあまりいないかもしれない。俺も生まれ故郷の O 町から帰るときに車で走っていて、あれっ!と思って気づいて見つけた店だから。同僚の S に知ってる?と聞いてみると、そこが一番、チープで美味しい店だと言っていた。彼女は、 500 円で食べられると言っていた。   そうこの店はこのエリアの穴場的な店なんだ。しかも、俺はここのインド人 ( カルカッタから来た ) のコックが作る ダールカレー ( 豆のカレー ) が絶品☆ だと思っている。少なくともこのエリアでは一番なんだ。食べるとこれはカレーなんかな?と思う人もいるかもしれないけど、豆の旨味が十二分に発揮されたテイストで、深みがある。ターメリック ( カレー色を出しているのはこの香辛料だ ) がよく使われていて、勿論、これはカレーである。インド人はおそらくその香辛料のアレンジで自分らの舌にあったカレーをめいめいの家のハウスメイドとして作り、またその日の様子で食材やそのアレンジを変えたりしているのだと思う。同じ味だと飽きるってのがあるからね。でも、不思議なんだ。この味だけは、本当に自然を食べてるような感じで、全く飽きがこないんだよ。ほんとにおいしい。それでなんといってもヘルシーで、しかも、ほら、ポパイがほうれん草の缶詰食べた時のように、元気が出てくるんだ。味の趣味や好みってのは、個人差があるから、君が食べても俺のように感じるかどうかはわからないけど、やっぱり、確かに旨いなと思うと確信するね。 S は 500 円と言ったが、スープ、ナン、カレーにチャイ ( もし君が、喫煙者、愛煙家であるならば、このカレーを食べた後に、ホットの濃いチャイを飲みながら吸う煙草の味も最高だね。 ) を付けて 650 円。おそらくチャイを付けないで、水で食べるなら 500 円なんだろう。 店の内装は決してお洒落というふうではないが、綺麗である。おそらくコーランとおもわれるいくつかの壁掛けと、タージマハールの大きな壁掛け、サウジアラビアのマディーナにある預言者ムハマドのモスクの大きな壁掛けが店を飾っている。   (^^)/R. Thanks !

聖観音の日(ヨシカミのポークソテー)

  その休日は、いつものようにゆっくりと起きた。起きたときに、あぁ、今日もやっぱり間に合わないなと思った。そして、天照に手を合わせ柏手を打ち、仏に線香をあげて、いつもの休日のブランチを食べた。食べ終わると、何故か、いや、間に合うか間に合わないか行ってみようという気持ちになった。身なりを整えて、戸締りをして、車を走らせる。思いのほか車はスイスイと走り進んで、スカイツリーが見えてくる。そして、大きな提灯が下がる朱色の門の前の交差点を超えた前方にある地下駐車場の入り口に着く。正月は満車で入れなかったが、今日は、空と出ている。車を地下 3F まで滑らせて、空いているところに入れる。間に合った、ありがとうと思う。間に合うどころか、十分時間がある。混雑している仲見世通りを一本左に避けて、歩く。これもスイスイと歩く。本堂内のご祈祷受付所まで。小木札を選び、夕座の法要を申し込む。 10 分ほど前に、本堂外陣右側から中に入って、内陣に上がる。内陣というのは、参拝者が賽銭箱に賽銭を入れて手を合わす外陣の格子を隔てた内側で、僧侶が法要の際、経を読む場所である。そこには、御宮殿があり、その下段には御前立て本尊、上段には、 絶対秘仏の聖観音 が安置されている。内陣に上がると、既に二十数人くらいのひとが、座っていて、中央より右寄り、右側に大きな数珠を持った鎌倉の大仏のようなおかあさんが座り、左に痩せた夫婦の眼鏡をかけた夫が文庫本を読んでいるその間が、一人分空いていたので、失礼しますとそこに座ることにする。まもなく紫の衣を着た僧侶を先頭に、三人の僧侶が入ってきて御宮殿の前に座すと、紫の衣を着た僧が、経を唱え始めた。祈祷札と回向札は僧侶と聖観音の間に立てられて並んでいる。歌のような、和讃であろうか。内容は、参拝の人々の賑わいにかき消されて、歌のような音だけが聞こえてくる。自分には、それが、なぜだか自分が幼いころ、母がよく歌ってくれた『五木の子守歌」のように聞こえるのだ。右隣の大仏のおかあさんは大きな木の数珠玉を数え始めている。左隣の夫は、目を閉じて聞き入っている。僧侶の歌が終わると、おそらく三人で経を唱え始める。観音経であろうか。「念彼観音力・・・。」やはり、参拝の賑わいに消されて、内容が聞こえてこない。自分は聖観音の真言を心で唱える。「おんあろりきゃそわか。おんあろりきゃ...

金曜日の午後の空(くう/そら)

  金曜日の午後は、健康診断をする必要があったので、休みをとって、健康診断をした。母の主治医だった Y 先生の Y 医院に行った。検尿、視力、体重、身長、 X 線、心音、呼吸、血圧チェックといったところだ。特に異常は無しという診断だった。身長が 1.3cm 低くなった以外は。あれっと思い、二回、三回計ってもらったが、やはり、低くなっていた。  そして、今日もまた、以前にも書いたタイルのテーブルが置いてあるベンチに座って、一服をした。俺はこのタイルテーブルが気に入っているんだろう。以前、書いた時は、そこで漠然と考えをしたと書いた。それは思考するともなく思考する。呆然とする。ボーっとする。というようなことだが、考えもなく記憶を辿っているというようなこともある。意識も思考もなく、うっすらと脳の中を、無声映画のような映像が映し出されるような感じ。仕事中に、同業者に小林旭という人がいるという話を聞いて、おれはつい「昔の名前で出ています」という反応をした。その話をした T も、また、本人も嫌と言うほどそういうリアクションを聞いているに違いないと思って、自分自身、苦笑してしまったわけだが、話をした T はそのことを期待していたかもしれない。その夜、夕食前にちょっと昭和歌謡ロックの練習をした時に、「東京ブルース」「星の流れに」「骨まで愛して」をやって、その後に、「昔の名前で出ています」を歌ってみた。「京都にいるときゃ~」で始まり、二番は即興で替え歌で歌っていた。「忘れたことなど、一度もなかったわ。いろんな食事を作るたび。いつもこの胸かすめる面影の。あなたが作ってくれるの待つわ。昔のご飯で食べています~。」食事の準備をしながら ( ご飯が炊けるまでの練習 ) ということもあって。その日は、そんなことを、漠然と、或いは、呆然と辿っていたのかもしれないし、あるいは、全く違った場面がうっすらと写し出されていたかもしれない。  その呆然、漠然は、無のようでもあり、また、空 ( くう ) のようでもある。しかし、 Y 医院は母の主治医でもあったし、母を連れてきたこともあるし、母の薬をとりに来たこともある。その無や空が支配する空気、世界、氣というものは、母が関わっているのかもしれない。だからといって、明るく日差しのあるベンチに座っているので、感情的になったり、悲...

三夜三膳(ブロぺペロン・えび天棒うどん・オムレツ風玉子焼き)

ブロッコリーと焼き豚のぺペロンチーニ えび天うどん 卵焼きのオムレツ風

酢豚風麻婆豆腐とOne Ok Rock

今夜☆のひとりめしは、名付けて、酢豚風麻婆豆腐。酢豚が食いたいが、具材は、豆腐と鶏肉とちょい鶏肉だったので、酢豚の味がする麻婆豆腐を作ったんだ。旨いよ。 今夜のミュージックは、 ONE OK ROCKだよ。 (^^)/ R. Thank You !

『バクダッドの靴磨き』のアフメドとコルト拳銃

『絶対に秘密なんだけど、お客さんにだけは教えてあげる。三十ドルでコルト拳銃が手に入るんだ。中古だけどね。ちゃんと装弾カプセル2ダース付きなんだ。さっきのと合わせて六十ドルだから二丁買える。えっ、人を殺すの買って?いや、僕は人は殺さない。絶対に人は殺さないってば。僕が殺すのは占領者たち、侵略者たちだけだよ。』―『バクダッドの靴磨き』米原万里―より    物騒な話で申し訳ないが、コルト拳銃は、現在、安いもので、 50 ドル~ 100 ドルくらいで手に入るらしい。しっかりしたものであるならば、 120 ~ 30 ドル出せば、米国では、手に入るらしい。勿論、中古だが。であるから、戦場のイラクであれば、中古の安いものなら、三十ドルくらいで買えるものは、あったかもしれない。  コルトは、手に握ってちょうど収まるくらいの小型の自動小銃である。俺たちの世代は、この拳銃の名前には、馴染がある。勿論、実物は見たことは無い。映画の中で見たことはあっても。何故馴染があるかと言うと、学校に上がる前くらいのちびガキの頃、このコルト拳銃のおもちゃが流行ったことがあったからだ。男の子であるなら、ほとんど誰もが、そのおもちゃで遊んでいると思う。コルト拳銃を模ってプラスチックでできた簡易なもので、ピストルの上部に弾倉カバーがあって、そこを開けて、 5mm くらいの銀色の玉を入れて、ばね式で引き金をひいて撃つというしくみである。どういうわけか、とにかく流行っていたのだからしょうがない。そんなちびガキには罪は無いだろう。みんな持っていたので、安価であったと思うが、銀色の玉をまとめて入れて撃つというおもちゃなので、当時、銀玉鉄砲と呼ばれていた。  そのおもちゃの拳銃で、「顔は狙うなよ。」くらいのルールで、友達とパンパン撃ち合って遊んでいたのだ。今思うと、俺たちの子供時代は全く過激な遊びをしていたものだなと思うが、先に言ったように、そういうおもちゃを俺たちに与えたのは、大人で、当時の玩具会社が作ったものなんだろう。  それどころか、 8mm くらいの色とりどりの玉があって、中に火薬がつまっているんだが、それを壁に当てたり、地面に投げつけると、パンッ!パンッ!と激しい音をたてた。その玉は癇癪玉と呼ばれていた。さらに 7cm くらいの細い厚紙の棒の先に火薬がつき...

カレーお好み焼き(ウスターソース付け焼式)

 今日は、午後ちょっと出かけてきて、帰宅してから、今夜は今夜の男のひとりめしのことを考えていた。何食べたいかな~。或いは、毎晩ずっと作ってきたから、今夜は外食と洒落こもうかな~。 すると、唐突に、天の声というか、神の声というか、仏のおやじの声が聞こえた。 「食材がないわけでもなし、お前のようなやつは、ちょっと作れば、作る腕ももっているのだから、そういう時に、外食を考えるのはやめろ。出かける用があるなら、自分で作って食べてから、出かければいいだろう。」 「うむ~。それは確かに言える。そうするよ。」と素直に思った。(それに、可愛いめし友が今はいるわけでもなく、ひとりで食うんだし。めし友と食うのなら、楽しいけどね。) さらに、ソースもんが俺は食べたいんだということに気づいた。そして、昔、お好み焼き屋のおばちゃんがカレーパウダーを具材に入れていたことを思い出して、 カレー味お好み焼き をつくることにした。ウスターソース付け焼式で。ウスターソースは写真くらいで、軽く一度塗るくらいでいい。さらにお好み焼きソースをかけるからね。 やっぱりまだ俺は、つい二人分作っちゃうね。 (^^)/R. Thank You !

今日のブランチのカレートースト

みんな! おはこん! 今日の男のブランチは、 カレー・チーズ・トースト 。 それにいつものトマトップルジュースとカフェオレ、ブルーベリーヨーグルトと ブロッコリーとリンゴのサラダ 付き。 今日は、これを食べて おいらは、 頑張るかな。 みんなも、 いい休日になるといいね! (^^)/ R.  Thank You !

エレキ・ギターの勧め -自分の世代の音楽史-

 実は、エレキ・ギターは練習し始めて、まだ 1 年ちょっとである。ギターには大きく、クラシックとフォーク、そしてエレキとあるからね。エレキギターのどこがいいのかと言われると、それは、まさに電気ギターであるところということになると思う。エレキ・ギターは、アンプによって音を増幅、増大し、また音を作るという他のギターとは大いに違う面があると思う。それは凝って、はまればはまるほど、創造の世界も無限大に広がる面であると思う。しかし、当然、なまくらなギターの腕やテクでは、思うように音は出せないので、ひたすらギターを弾くというある意味、地味な練習、作業が必要になるということになる。おそらく、名だたるロック・バンドやギタリストによって、その音の全ては、限界近くまで、出し尽くされているんだと思う。でもね、ポロポロ、ジャンジャン、ザッザッ、ピンピン、キンキン、ポンポン・・・と弾いているうちに、まだ誰もそのギターで出したことのない音に辿り着けるかもしれないよ。なんちゃってね。   それから、二つ目の理由。自分にロックが定着しているのか?ということである。 俺たちの世代は、戦後の第二期のといったらいいのかな、欧米文化ナイズまっさっかりの時代に果敢な時期を過ごしてきたもんだから、個人差は多いにあると思うが、欧米のロックやポップスの影響受けまくりといっていいと思う。今は、全くないのだが、柳ジョージがフェンスの向こうのアメリカを思うように、幼、少年期、確かに欧米、特に自分の場合はアメリカに憧れがあったと思う。例えば、スーパーマンや宇宙家族ロビンソン、サンダー・バードやら、・・・ジョン・ウエインやジェームス・ディーンといったような文化的な影響は、いつも自分が育った時代のポップスやロック交じりであった。子供や若者というものは、いつの時代も新しいものの魅力、ここにないものの魅力に憑かれるものである。だから、少年期の自分は、確かに、 N.Y. の摩天楼に憧れながら、また飽くなき興味と好奇心を持って、ロックやポップスを漁ってまで聴いていたという記憶がある。 ロックとの衝撃的 ( あのときはそんな風だった ) な出逢いは、具体的にいうならば、それは、小学校時代、友人の U の家での出来事であった。 U の兄と U と俺の三人は、卓上プレーヤーの上にのせられた中心に青い林...

豚丼

今夜☆は、ギターを弾きながら、洗濯もんがたまったので、さんざん洗濯をして、家干しして、また、夕食の準備をして、 豚丼 を食べた。

或る日の午後の焼まんじゅう:田中屋分店

午後の紅茶というのはあるが、午後の 焼まんじゅう というのは、あまりない。しかし、男のひとりめしが午後の紅茶、アフタヌーンティーってなイメージが合うかな? というような理屈ではなくて、理屈抜きで、その日の午後、焼きまんじゅうを食べたくなった。食べたくなったら、もう走るしかない。例によって、ブルックリンブリッジ ( 阪東大橋 ) を渡って、車をやはり男の直進!そのうち、曇って降って   いたような空も、俺が焼きまんじゅうを買いに行くのを喜んでるかのように晴れてくる。気持ちのいい天気になってきた。 K ちゃん。晴れでも焼きまんじゅうは似合うんだぜ。 そうして、辿り着いたのが、 田中屋分店 。 なんで分店なのかというと、本店は更に進んだところにある。そこが兄さんの焼まんじゅう屋で、この分店は弟さんの店ということなんだ。だから、田中屋は兄弟店。しかし、今は、残念なことに本店は、休業中である。 「こんにちは!」店に入ると、田中のおやじさんは、 20 個入りくらいのクール便で送る生の焼まんじゅうの箱詰めをしていた。三つくらい。「焼きまんじゅう五個くれる?一本食べていくから、六本ね。」と言うと、わかったということで、おやじさんはさっそく炭をおこし始める。あっという間に、炭に火が付く。「いまはこの麹のまんじゅうは少ないから。」といいながら、まんじゅうを串に刺して、焼き始める。おやじさんは、加藤茶か、仲本工事かと言えば、やっぱり仲本工事だ。そうして、「たれは、三回塗るからね。」と言う。そして、「やっぱり、焼き立てを食べなきゃ。」と言う。 なんだかんだ話していると、あっという間に一本焼きあがって、おやじさんが皿にのせて、串をつけて出してくれる。「いただきます!」なるほどな。焼き立てを食べると、表面がカリカリしていて、中はホットでもっちりしていて、たれの味は香ばしくて甘みそ味でおいしい。表面のカリカリってのに今まで気付かなかったよ。こりゃ、旨いや。 実は、焼きまんじゅうは、本店がやっている時は、本店へ。本店が閉まってからは、分店へ。よくお袋を連れて、買いに来たんだ。   文頭で焼きまんじゅうは男の食べ物みたいなことを書いたが、お袋だって好きだったし、女性も是非、「午後の焼まんじゅう」をやって...