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2月, 2019の投稿を表示しています

スクランブルオムレツと関西風焼きそば

昨日は、夕飯で、オムレツを作ろうと思ったんだ。それで、イメージした結果、具材を包み込むようなオムレツでなくて、卵焼きに具材を混ぜた、要するに、具材入交ぜ卵焼きみたいなのをイメージしたんだ。お好み焼きの具材がオムレツ用で、薄力粉じゃなくて、卵で混ぜて焼くってな感じだね。そしたら、具材を多めに作りすぎちゃって、卵を4個入れないと混ぜられないようなことになってしまった。フライパンで焼き始めると、まずまずいい感じのオムレツ卵焼きができるなと思ったんだ。焼いているうちに、半分の折り畳み型にすると、オムレツっぽくなるなと思い、半分重ねようとしたところ、卵焼きが崩れてしまって、ちぇっ!くそ~!と思ったとたん、手が卵焼きをかき混ぜ始めて、スクランブルになっちゃったってなわけなんだ。それでできたのが、 スクランブルオムレット ! 彩ミニトマトサラダ を添えてみた。 それで、ここんとこ。うまい焼きそばをたべたいなぁとずっと思ってて、それなら、男のひとりめし、自分で作っちゃえと思って、具材たっぷりの 大阪風肉焼きそば を 今夜☆   は作って食べた。 (^^)/R. Thank You !

カサブランカと『As Time goes by』

パリ陥落の時、リックとイルザは、恋に落ちている。その時、イルザは既に活動家のラズロと結婚していて、ラズロは投獄中で、脱獄して射殺されたという噂が流れていた。パリを二人で逃れるという日、待ち合わせ時間の駅にイルザは来ない。手紙一通を残して・・・。 数年後(上記は回想場面で映画はここから始まる)、リックは、モロッコのカサブランカで、パリの時と同じように、リックの店を経営している。そこに、イルザとラズロが現れ、二人は再開するというストーリーである。 その時、サッチモのようなジャズを演奏するサムがパリの思い出を呼び起こすようにイルザのリクエストで、再び弾いて歌うのが、「 As Times goes by 」である。終盤、ナチスに追われることになったラズロを、リックは残る自分の身の危険を顧みず、イルザとともに飛び立つ飛行機に乗せて、逃亡させるのだ。 この映画が名作であって、永遠であるのは、まず、リックを演ずるハンフリー・ボガードとイルザを演ずるイングリット・バーグマンという二大スターの共演ということは、周知のことであると思う。両優ともモノクロの映画の中で、いっそう輝いているし、 ( ボガードは勿論いい男だが、今思うと幾分チンパンジーづらだなと思ったりもするが、映画史に残るいい男の象徴のようなボギーを猿づらとはなんだと思う人もいるかもしれない。確かに失礼だとは思うのだが、『猿の惑星-創世記-』で猿の惑星のヒーローであるシーザーがデヴューしちゃったのちに、このボギーをみると、どことなくシーザーと重なるような感じがあってそう思ってしまったんだ ) 特に、イングリット・バーグマンは美しい。いかした男優や美しい女優というのは、モノクロのフィルムの中で、その魅力をいっそう増すのだと思う。 女は罪深いものだと改めて思ったりもするが、三人それぞれの正統な純愛が描かれ、主人公であるリックの、その全てを包み込むような、いわば『男気』というものが、更にその時代の時勢、ナチス勢とフランス勢(自由・平等・博愛の理想を心中に持つ)、アメリカに逃れるために店に集まる人々と店の音楽というような入り乱れた雰囲気が、この映画を名作にしているのだと思う。先の正統な純愛とは、これは俗に言う三角関係の図だが、ひとりひとりが向かう思いをみると、それは 十分な理由があり、正しいということだ。そし...

橋本一子の『Miles Away』

橋本一子 のマイルスへのトリビュート・アルバム『 Miles Away 』は、どうしてこんなにも、今もなおマイルスの不在を寂しがるマイルス・ファンの思い ( 喪失感 ) を満たすのだろう。それは、マイルスのサイドマンであったり、ライブを重ねたミュージシャンたちのどんなトリビュート・アルバムよりなのである。 橋本一子はこのアルバムのライナー・ノートで自ら「マイルス・ディビスは、私にとって、ジャズというジャンルにおいてはもとより、音楽における最   も重要であり偉大な音楽家のひとりです。」と言っている。そして、「常に新たな地平を見据え、スタイルもジャンルも超えて突き進んだその天才は、いま音楽をやっているわたしたちに多大な影響を残していきました」とマイルスのことを語る。 橋本一子をライブで初めて聴いたのは、吉祥寺の確か曼荼羅というようなライブハウスであったと思う。山下洋輔との共演であった。橋本一子の出現は、日本の歌謡界でいうなら、荒井由実の登場のようなもので、日本のジャズ界においては、全く新鮮な輝きと驚きと幸福であったと思う。アルバム『 Ichiko 』『 Beauty 』『 Vivant 』~『 Mood Music 』の三部作、四部作は、彼女の傑作であると思うし、日本の当時のジャズに明らかに、新鮮な風を吹き込み、彩りを加えたと思っている。ジャズを基本としているが、クラシック、現代音楽、ポップスと融合し、更にハスキーでスウィートなボイス・パフォーマンスを加えた彼女独自のスタイルは、刺激的で魅力的であった。 このアルバムは彼女の 14 作目にして初めて、マイルスに捧げられたアルバムということになる。女のジャズピアノアルバムというと、ジャズの世界では、軟弱でジャズ以外の聴く耳に媚びたようなものというようなイメージを持ちがちであると思うが、「 milestone s」から始まるこのアルバムは、力強い、男顔負けといってもいいような骨太のアルバムに仕上がっている。単音は力強く歯切れよくというものであり、そこに女性的なエコーを添えて、更にボイス・パフォーマンスを加えるというようなイメージである。選曲も「 Blue in Green 」「 E.S.P 」や「 Neferutiti 」のような、マイルスのジャズとロック融合期のナンバー...

今日の男の二人昼めしと男のひとり夜めしⅣとエレカシの『今宵の月のように』

今日は、久しぶりに、 K ちゃんと昼飯を食いに行った。復職当時、夏だったが、あの時も K ちゃんと一緒に、昼飯を食いにいったのを覚えてる。あの時は、二人で焼き肉ランチを食べた。夏だったし、あのカルビはうまかったなぁ。それから、「かき氷をどこかに食いに行こうぜ!」ということになって、 K ちゃんが、アイホンで検索すると、ホームセンターの中で食べられるということがわかり、ホームセンター内の鯛焼き屋でかき氷を食べた。あの二人で食べた焼き肉とかき氷の味は忘れない。あの夏は、俺にとっては、特別な夏だったしね。 K ちゃんは、かき氷食いながら、嫁に頼まれて買っていくなんかの部品だったかな、そのことを気にしていて、俺は俺で、昔、シンガポールのオーチャードロードで食べたかき氷 ( そいうとこで好き好んでかき氷を食べるやつもあんまりいないんだけど、やっぱりたまらなく暑かったんだろう ) のことを思い出したりしていた。あのかき氷には、確かにキュウリがのっていた。 ということで、今日はひとり飯じゃなくて、二人飯なんだけど、 K ちゃんのイエローカーに乗って、出かけ、 K ちゃんが用を思い出して、ちょっと待っててくれということになって、車の中で、ちょっと待つことになった。車の運転というのは、どこへ行くにも、いつも自分の車で、自分がしてるので、人の車に乗せてもらったりすると、なんか違和感というか、変な感じがするんだけど、逆に、人が運転する車に乗るってのはこんな感じなんだよなみたいなのをしみじみ感じて、開放感を感じるってのは大いにある。だって、運転しなくていいんだから。運転手付きの社長の気持ちってのは、こういう気持ちの高じたものなのかもしれない。ところで、 K ちゃんがなかなか戻ってこないので、手持無沙汰というか、ちょっと不安な気持ちにもなって、う~む。見ると鍵がついていたので、自分でこの車を運転して行っちゃうかな?と思ったところで、 K ちゃんが、帰ってきた。もし、 K ちゃんが、その時帰ってこないで、俺がその車に乗ってひとりで「今日もやっぱりひとり飯かぁ~。 K ちゃんの車で~。」なんて思って、めしを食いに行っちゃったとしたら、 K ちゃんは帰ってきたときに、点線でまあるく囲まれて中身がない車を見て、きょとんとしたに違いない。そして、俺が飯を食って帰ると、 K ちゃんは、...

男のブランチ2と夜ひとり飯3、そして、Avril Lavigne『Let Go』

今日の男のひとりブランチは、 グラトースト だよ。 昨日、積み木みたいになったキッチンのテーブルを何時間かかけて片付けたんだ。 やろうやろうと思いながら、昨日までのびのびになっちゃった。夜八時くらいまでにやり終えて、夕飯作って食べて、それから、ターンテーブルに久しぶりにマイルスの60年代のレコードをのせて聴いてたんだ。そこのマイルスは勿論、いつ聴いてもよくて、 のりもよく抒情的でもあって、魅力的なんだ。オーソリック&クール&モーディカル&リリック&グルービン!って感じかな。時期的にさんざん聴いた後に、またある時期にさんざんじっくり聴いて、また更に聴いたので、もうマイルスはいいかなと思っていてもやっぱり聴いちゃうのが俺のマイルスなんだ。まっ!気になってた積み木テーブルも片付いたし、マイルスもいいし、気分がいい。 それで、今日はさっそくごみ捨てして、洗濯して、ブランチってなわけ。 ところで、夜の男のひとりめしは、どんなの食べてたのかって?! こんな感じだな。 爆弾おにぎり 、 男の昭和雑炊 と 焼きソース お好み焼き 、スタミナごまだれつけうどん だよ 。 えっ!それで、今日のミュージックは、何かって?! 今日は Avril Lavigne の 『Let Go』 だよ。前半、繊細で抒情的なメロディでしんみり聴かせながら、サビでガツーンとくるのが、或いは頭から綺麗なポップなメロディでガツーンときっぱなしってのが、Avril式なんだ。『Sk8er Boi』や『Things I'll never Say』なんか、けっこうグっとくるぜ。今も新鮮で、どの曲もみんないいね。このアルバムは。聴いたことない人は、是非、聴いてみて! Avrilは、いまも同じようなのりで、バリエーションを加えながら歌ってる。 (^^)/R.  Thank you !

男のブランチ(トマトースト)と『My Funny Valentine』

今日のブランチの トマトップルジュース と カフェオレ 、 ブルーベリープルーンヨーグルト と トマースト    実は、俺の朝食は、パン食なんだ。ガキの頃かずっとそうなので、朝は、パンと珈琲 ( カフェオレ ) じゃないと調子が出ない。というか、めしだと重すぎちゃうんだ。それに、朝は珈琲飲まないとやっぱり調子が出ない。だから、昨年 12 月末、ほら、雪が降った時だよ。高野山の宿坊に泊まった時も、精進の朝食を食べた後にも、珈琲飲みたくなっちゃうんだ。でもね。今、宿坊ってのは、宿泊客がほとんど外国人で ( 思い立ったが吉日で、下調べして行ったわけじゃから、宿も、この道で大丈夫なんだろなというような真っ暗な細い山道をさんざん走って、夜着いて、「今晩、泊まれますか」だから、知らなかったよ ) 、セルフの珈琲マシンが置いてあって、しっかり珈琲が飲めたんだな。美味しかったよ。勿論、精進料理もね。そしたら、その日、朝から高野山は大雪だったってわけなんだ。 Miles Davis 『 My Funny Valentine 』 マイルスが『マイファニーバレンタイン』をやってるアルバムとして有名なのは、 1964 年『 My Funny Valentine in Concert 』だ。これは、マイルスファンなら誰でも知ってる名盤だよ。 1964 年 2 月に N.Y. のリンカーン・センターのフィルハーモニック・ホールでのライブアルバムだ。この頃のマイルスは、メンバー ( サイドマン ) として、ハービー・ハンコック (p) 、ロン・カーター (b) 、トニー・ウイリアムス (ds) と組んで、また新しいスタイルを模索していた時なんだ。試みとして、バンドとして自然発生してきたどんどん速くなるプレイ (4 ビートから 16 ビートくらいに ) にトライしていた時期だと思う。しかし、この『マイファニーバレンタイン』は、しっとりとしたハービー・ハンコックのピアノのイントロで始まり、これは、フリューゲルホーンなのかと思われるような、マイルスのスローバラードプレイが展開される。ただマイルスは、通常のバラードプレイをするというのではなく、高音域を多用し、叫ぶようなプレイが印象的で、聴衆を刺激を与え挑発している。ソロは滔々と流れ落ちる滝のように奏でられ、それが、...

男の Keith Jarret Trio『Bye Bye Blackbird』

キース・ジャレットというと『ケルン・コンサート』のソロが有名だが、スタンダードのトリオ活動に入ってからのキース・ジャレットは、よりいいと思っている。このアルバムは、マイルスが逝って、二週間後に N.Y. で録音されたものである。マイルスに捧げられた追悼のアルバムである。 マイルスがよく演奏した楽曲の中から、 6 曲が演奏されていて、『バイバイブラックバード』はその1曲目に収められている。更に 1 曲キースのオリジナル『 For Miles 』が真ん中に挿入されているという構成だ。そして、更に最後に、 1 曲目の『バイバイブラックバード』のエンディングの別バージョンがおまけのように収められている。よく知られたスタンダードとしては、セロニアス・モンクの『ストレート・ノー・チェイサー』や、コルトレーンの演奏でも知られる『アイ・ソート・アバウト・ユー』などがある。マイルスはモンクとは、ライブ中にひともめしたことで有名な話になっているが、コルトレーンは、コルトレーンが独自の探求の道を歩む前に、マイルスはモードのスタイルを確立するために、組んでいる。キース・ジャレットと言っているが、これは、トリオの演奏で、 Bass にゲイリー・ピーコック、 Ds にジャック・ディジョネットを含む三人の絶妙なインプロビゼーションを含むプレイで成り立っている。 今、このアルバムを改めて聴いていると ( といっても、いつか引っ張り出してきて積んである中から、先のマイルス関連で聴きたくなって、ここ二、三日聴いているんだけど ) 、三人の演奏もさることながら、歌うキースがやけに目立って聴こえてくる気がする。この場合、歌うというのは、歌を歌っているわけではなくて、ジャズミュージシャンがインプロビゼーションをとるときに ( ピアニストやビブラフォン等、管は歌えないからね、だって吹いているから ) 、思わず演奏と同時進行で、口ずさむ即興のメロディのことである。それが、キース・ジャレットのマイルスへの敬慕の表れだという気がするのである。勿論、一曲一曲にその思いは込められているが、そういう感情を感じるのである。キースは自分の音楽としてマイルスを演奏しているが、このトリオはアコスティックであって、変革 ( ロックとの融合 ) 以前のマイルスをやっている。この『バイバイブラックバード』は実に...

男のひとり夜めし2 - ALTAR WAR -

ここんとこ、簡単なもんばかり作って食べてる理由はね。 お袋ケアの後半の更に後半あたりから、二食にした方が、調子がいいことがわかって二食に切り替えたんだ。間におやつとお茶タイムを入れて。二食の期間も長かったので、今、カムバックして昼をしっかり食べると、夜は、あっさりしたもんや、ちょっとしたもんを食べたいという傾向がまずあるんだと思う。それから、ケア中は二人分 ( 二人量でやってたから、ひとり量にするのにちょっと時間がかかった。いまでもつい二人分くらい作ってしまうことがある ) 作ってて、お袋に旨いもんや栄養のつくもんを、また、飽きないで食べさせたいとか、ん?この味はと思うようなお袋の味を含めて、自分が今日は何が食べたいかな~ ( お袋も同じものが食べたいと思うので、原則、ご飯が中心で間に麺類を入れる。食べる時は二人ともしっかり食べる ) でその日その日で作っていた。食事はお袋の一日の大事なイベントであったし、よく食べてよく出す方もまた大事なイベントだった。それで、ひとりになって、自分だけの為に作るとなると、モチベーションが下がるというか、俺が食べるだけだし、簡単なもんでいっかなみたいな傾向も出てくる。更に、仕事して帰って作るとなると、これまた簡単なもんでということになってしまうというわけなんだ。でも、世のお母さんたちは、仕事して帰って、食事の準備してる人も多いと思うから、そういうことは言ってられないね。その 10 年というのは、家事を含める世の主婦の仕事というものを実感としてわかった 10 年でもあったね。お母さんたち、主婦は偉大なりと思ったよ。ほんとに。そして、俺が自分でだいたい何でも作って食べられるようにしてからお袋は逝ったんだなとあとから思えてきて、そのこともお袋に感謝してる。   今夜は、 オリジナル野菜たっぷりソースのべジグラタン だよ。     夜ご飯ミュージック 🎶 は、今の俺の 5 日くらいのブームで菊地成孔率いるDATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN の『 ALTAR WAR 』 なんだ?昨日、アメリカ批判をさんざんしといて、ペンタゴン・ロイヤル・ガーデンだって?いやいや、そこのところが、俺たちの世代のパラドックス! 菊地の 2011...

男のひとり夜めしとイラク戦争

今日は、イラク戦争のことを考えた。   イラク戦争はそれを思い出すと、湾岸戦争に遡ると思う。イラクがクウェートに侵攻したあたりから、アメリカが介入し、湾岸戦争が始まった。石油の利権をめぐって引き起こされた戦争ということになると思う。よく覚えていないんだが、アラブ人、中東人というのは、もともと権利もないようなものを奪いにいくというような性格では無いと思うので、イラクがサウジアラビアに侵攻したというのは、根拠があったのではないかと思っている。それから、事あるごとにアメリカの空爆が続いた。酷い例をあげると、クリントンが秘書とのセクハラ問題 ( そういう報道が米国では選挙が近づくとスキャンダルと立ち上がることがよくある ) が盛んに取沙汰にされていた時に、クリントンは、それを払拭し、人気を得んがために、中東に空爆を開始したと思えるようなこともあった。あの時は、お前らは人を虫けらとしか思ってないんだなと腹が立ってしょうがなかったのを覚えているだから数年前にクリントン夫人とトランプが争ったときに、クリントンをおすのは俺は嫌だった。実際、クリントンが立っていたらアメリカは何も変わらなかったと思う ( 資本家でなく働く者のという意味でだ ) 。北挑戦問題も含めて、トランプでよかったと思っている。 その報復として、 2001 年、イラクの過激組織アルカイーダが 9 月 11 日に、同時多発テロを引き起こした。米国はそれをイスラム側の宣戦布告 ( そうじゃないでしょう、やったのは、イスラムでなくイスラムで生まれた過激組織でしょうと俺は思っている。戦争をするんじゃなくてその組織を追及すればいいんでしょうと俺は思っている。だいたい、あの時空爆しないでくれと俺は願ったのに ( フセインが会談に応じなかったということもあるが、あくまで話し合いで解決してくれと願ったんだ ) 、ボカスカ平気でやり始めるから、その空爆によって家族を失った人々の恨みが募って、こんな大規模なテロが起こったんだろうが。 ) とし、アルカイーダを率いる主犯のビンラディンが潜んでいるとするアフガニスタン空爆を開始した。そしてフセインがアルカイーダを庇っているとして、ブッシュは「 ( フセインは ) 悪の枢軸」だったかな、と公言し、イラク戦争が勃発する。もともと中東にアメリカのシステムを導入する...

男のひとりランチ:バタチキ

  バタチキ 。この店は、Sちゃんが教えてくれたんだ。ありがとう!  昨日書いた10年というもの、食材買いは地元のスーパーか、隣の町のスーパーだった(後半生協が加わった)ので、あとの5年は、今日はどこにどこに行こうか(植木屋センターや植木屋巡りとか、華蔵寺とか、秩父方面とか、軽井沢とか、聖天寿司-何を買いに行こう!というテーマのときもよくあった-とか、雷門とか、天神様とか、那須とか・・・・・)と決めたところにお袋の車椅子を乗せて出かけていく生活だったので(お袋が体力的にもう外出はよくないな、お袋は疲れちゃうなと判断してからは、俺の自己満足ってのはよくないから、そういう外出もやめて、天気のいい日はちょっとだけ庭に出たりして、庭いじりをしてたけど、ほとんどお袋に付きっきりで、「お袋ちょっとどこどこに行って来るよ(話ができなくなっても聞こえるんだからね)」 で、ごみ捨てと食材買いと薬局と銀行と家の五角形を移動してたようなもんだね。主治医には往診してもらうようにお願いして、お袋の飲み薬も持ってきてもらったんだ。ご飯は勿論、俺が作ってたけど、お袋は自分が作れれば、自分が作りたかったに違いないんだ。あっ!言い忘れたんだけど、蕎麦はおばあちゃんのおつうじには要注意だからね。そういう傾向が出てきたら気を付けてね。ごめん。食事の話をしてるのに。)、もとのパスタ屋の馬車道(よく食べに行ったものだけど)が、インドカレー屋になってたなんて知らなかったよ。俺はもう陸に戻ったと思うけど、竜宮城にいた浦島太郎みたいなもんなのかもね。それで、玉手箱はもらったとは思うんだけど、開けたんだか、開けてないんだか、忘れちゃったんだ。たぶん、開けてないと思うよ。   今日は、バイキングの日で、そんなにあれこれ食べたくはないから、 カレー(ほうれん草とバターチキン) と サラダ と ラッシー で食べることにしたんだ。おいしいよ。 ここの店に来るたびに、ここはSちゃんが教えてくれたんだといつも思う。   ほら、カレーはたっぷり盛った。   (^^)/R. Sちゃん。ありがとう!   

男のひとりランチ:コヤラズ

 今日、O君が 「インドカレーしか食べないの?」 と言っていた。うん。確かに、昼飯食えば、インドカレーばかりで、そう思うのも当然だね。全くO君ならではのナイス!な疑問とつっこみだね。  ここんところなぜ、インドカレーばかり食べてきたか、考えると理由がある。話すとちょと長いんだけど、いい?  10年、母の世話(いわゆる介護)をして、5年は仕事をやりながら、後の5年は仕事を辞して、世話だけに集中したんだ。その方が、お袋にとっても、自分にとってもいいと判断したから。仕事とケアに夢中だったということもあるけど、その10年は、時が過ぎるのもまた速かったな。過ぎて行った時は、「10年は一昔」「光陰矢の如し」というよりも、「色即是空、空即是色」だ。とにかく、仕事とお袋のケアのことだけ考えて、過ごしたんだ。後半は「お袋、頑張れよ~。俺がついてるから。」でケアのことだけ考えて暮らした。話をしない親子ではなかったけど、息子なんて、親が元気でいれば、外で仕事したり、遊んだりして、飯を食いに家に帰るようなもんだと思うから。お袋が階段を踏み外して、足を折った時は、自分が折ったように痛かったし、びっくりしたよ。その時も俺は、「お袋、もうちょっと待っててくれ。すぐ行くから。」と思い、仕事を終えてから駆け付けたんだ。「なんかまぶしくて、目がよく見えない。」と言っていたのに、俺は仕事が忙しいことにかまけて(お袋の初期の緑内障はすぐに眼科に連れて行くべきだったのに。そういう知識が自分にはなかった。)、「じゃあ。眼鏡変えてみたらいいんじゃない。少し色つけたりして。」くらいに考えていたんだから。その時だよ。あぁ、お袋も歳をとるんだなと思ったのは。昭和一桁のお袋は、強いし、頑張り屋なので、入院をして、リハビリを終え、また歩けるまでに回復したんだ。それから、10年間、お袋は、自分自身の気持ちでも、また俺のケアの甲斐もあって、頑張ってくれたんだと思う。    話をインドカレーに戻すと、その十年間、俺はご飯をお袋と自分のために作り続けたわけだけど、お袋はどんな風に作ってたかなぁが基本で、自分で工夫して、ほとんどの家庭料理は作れるようになったね。誰だって10年やれば、そうなるよ。それに自分が食べたいものは、自分で作るしかないと思ったのと、お袋にいろいろ食べさせて栄養つけてもらいたいと思ったから(飯の恩返しだ...

男の納豆パスタ

 男のひとりめし野郎は、インドカレーばっかり食べている印象だけど、普段のひとり飯はどーしてんの?と思うかな?  そこで、今夜は、 自家製オリジナル納豆パスタ を紹介しようかな。 納豆パスタなんて聞くと、うへェ!と思う人もいるかもしれないけれど、これが、結構いけるんだな。納豆の栄養は摂れるし、野菜もふんだんに入り、また、ハムや焼き豚を刻んで入れても、全然OKだよ。イメージしてみて(おいらはイメージクッキングってのを編み出したんだ。こんなもの作るにはどうすりゃいいかなと味を含めてイメージして料理するんだ。)!ねっ、けっこういけるだろっ。おいしいよ。  食前酒は、インド料理屋で仕入れた Nepal Ice があるから、今夜はこれでどう?パスタのトッピングは のりと ネギと鰹節 。スープは しめじのコンソメスープ (スープカップの淵が欠けてるよとどうか思わないでくれよ。お袋に食べさせてたカップなんだ)。  さあ、どうぞ、召し上がれ。  (^^)/R.  Thank You !

男の珈琲時間 -『連帯という言葉の意味』編その2 -

  『近代・現代の社会が失ったものは、生命の結び合いである。経済活動の中では全てのものが商品化され、商品として市場で結ばれている。商品を作る人達も商品として扱われ、使い捨てられる労働力という商品にすぎなくなった。そして、社会と国家システムのもとでバラバラになった個人が結び合っているだけのものにすぎなくなった。』  世界や国は政治が動かしていると我々は捉えがちだが、実は、それを動かしているのは、この資本主義社会、経済の中では、資本であり、資本家であると思う。政治が司っているのは、資本主義社会、国家のシステムである。『市場原理主義』ということが言われるようになってから、我が国では、「勝ち組・負け組」というような嫌な言葉が人々を煽り、『全てのものの商品化、バラバラの個人』の傾向はより色濃くなっていったと思う。国や世界を動かしている資本と言われても、ピンとこないならば、具体的に上げさせて頂くと、日本であるならば、トヨタや日産のような自動車産業、東芝やソニーのような家電産業、精密光学機器産業や部品産業、食品産業・・・・等があげられると思う。米国であるならば、フォードに代表される自動車産業(フォード・システムと呼ばれる大量生産化のシステムを考案した)や軍需産業、石油産業、・・・・、マイクロソフト、アップルのようなIT産業があげられると思う。そういう中で、特にIT産業の台頭以後、国家、社会システムの中で疎かにされてきたものは、第一次産業といわれる農林水産業であったと思う。それが、国民にとって最も大切なものであるのに。自分は日本の農林水産業を守り、その復興を願ったものだ。なぜなら、我が国は農産物としても非常に良質のものを作る技術を持っているのに(一言でいえば本当に旨い野菜や穀物だ。日本の米は米だけ食べても旨い。)、我々の口に入るものがほとんど海外からの輸入もんになったのでは、悲しすぎるじゃないか。また、長年をかけて培った大切な技術をその生産者とともに守るべきだとも思った。しかし、現代において様々な技術は既に海外に流出しつつある。また、産業界においては、内需と外需のせめぎ合いのようなこともあったと思う。私はまずは内需、そして外需と考えて欲しいと思ったもんだが、利益を追求するとそういうわけにもいかなかった。こうした中で、社会は生命の結び合いを失ったのだ。  では、いったい『生命と...

男のダンニャバート !! とジバン

本 日の男のひとりランチは、 『ダンニャバート』  「ダンニャバート」はヒンズー語で「ありがとう」の意味だ。ヒンズー語といっても、インドだけではなく、ネパールも「ダンニャバート」を使う。ここの店員はネパール人で、コックはルンバニの出身である。店に入った時になんだか非常に親近感を覚えたのは、自分がカトマンズ中心にネパールを旅したことがあるからかもしれない。  あの時、確かゲストハウスに宿泊して、初日にカトマンズ市街を歩いていると、日本語が非常にうまい少年に出会った。最初、自分の旅の経験から日本語で話しかけてくるやつはろくなやつはいないという思いがあって(悪くとらないで欲しいけれども、多くの場合、金目当てか、日本人好みの趣向を心得ていて、そういうところに案内し、やっぱり金めあて、金めあては当たり前と言えば当たり前なんだが、高額のということである。それに自分はバックパッカーのような旅をしていたわけではないが、比較的チープな旅をしていたので。更に特に日本人好みのということでもなく、自分の思うところを見たいし、訪れたいと思っていたから。)、正直言うとちょっと嫌な感じがしたんだ。でも、少年だからね。15,6歳の。まず、お前はなんでそんなにうまく日本語を話すんだと感心して驚いたのを覚えている。話を聞くと、その歳で、車と運転手を持ち、西欧から来る観光客や日本人を相手にガイドをしてるだと言う。だから、日本語だけでなく、英語、イタリア語、独語等使いこなすという。それで俺は、その向学心や生きる力にいたく感心して、ひとりで旅をするつもりで来たが、その少年に、ガイドを頼むことにしたんだ(勿論、ずっと付きっきりということではなく、基本はひとりで行動し、「一緒に行かない?」と思ったところは一緒に行くという感じだ)。少年の名前はジバン。その名前は忘れない。少年には、それだけの資金を出してくれる人がいたということであるとも思う。それは両親と特に、当時、日本の有名デパート(伊勢丹のような)に上質の曼荼羅を輸出して商っている叔父さんであったと思う。何度かジバンと会っているうちに、紹介されてわかったことである。おそらくジバンは多くの観光客を叔父さんの店に連れて来たんだろう。自分だって、ジバンにほだされて、曼荼羅を買っちゃったくらいだから。勿論、よくデスカウントしてもらって。ジバンと一緒に、バクダ...